(67)お足(あし)
文明社会のこの世を生きるためにはお足がいる。必要とか不必要とかいう次元の話ではなく、ついて回るのだ。このお足のことを、人はお金と呼ぶ。皆さんが手元に多ければ多いほどニンマリと気分がよくなる貨幣や紙幣などである。など・・というのは、小切手とかその他のニンマリもあるからだ。^^
さて、このお足について考えてみよう。考えたくない人はソフトクリームでも舐めながら寛いでいただけばそれでいい。^^
人が動くには両足の動きが欠かせない。動かさないでそれでも動くとなれば、移動可能な機械に頼る他はない。乳母車に厚かましく乗りながら母親に押させる幼少時から、その行動は始まっているのだが、歩行にお足は必要がない。歩いているにもかかわらずお足が必要ない訳で、^^ よ~~く考えれば、そんな都合のいいジレンマ話がある訳もなく、体内エネルギーを消費することで見えないお足は使っているのである。ただ私達は、それを自覚することなく動いている訳だ。見えるお足[お金]が要らないのは、歩行か自転車まで[泳ぐ水泳や漕ぐボート、滑るスキー、スノーボード、スケートを含む]で、それ以上はお足が要る。この場合のお足は、機械を起動させるガソリン、電気、ガスとかを買う必要経費である。もちろん、自転車バイクも含まれる。^^
連休のとある観光を済ませた家族が、すっかり疲れて帰宅した。内の中へ入ろうとしたとき、そこへ偶然、隣のご主人が通りかかった。
「やあ! お出かけでしたか?」
「はあ、まあ…。ちょいと藁灰温泉まで…」
「ああ、藁灰温泉でしたか? あそこは泉質がアルカリイオンでいいですなぁ~」
「はあ、まあ…」
「いい保養をなされましたな。私など、手元不如意で、お足が要らない家庭温泉で、鰹の叩きの一杯でしたっ! ホッホッホッ…」
「いや、それがなによりです。帰りの渋滞で、返って疲れました…」
「ああ、さよでしたか。それはそれは…」
隣のご主人は、お足を使わないでよかった…と思いながら、慰めの言葉を吐いた。
お足は、それでも! と無理に使わず、効果的に使った方がいいようだ。^^
完