(23)続ける
私は、つれづれなるままに…を記した超有名な兼行法師ではないものの、すでに十数年以上も駄文を書き連ねている。取り分けて続ける必要に駆られて・・ということででもないが、馬鹿のように連ねている訳だ。^^ 読者の方々が寛がれる一助にでもなれば…と偉そうに考える次第である。^^
人がどう思おうと、それでも続ける原動力とは何なのだろう? と探るのは興味深い。それを表すいい言い回しがある。頑な・・という形容動詞である。ただ、ひたすら意固地に◎◎をする・・などという意味合いで使われるが、続ける気分の源泉となる言葉だ。そんなことで、私はお馬鹿のように続けている訳だ。^^
桜並木の近くにある茶屋の長椅子に座り、チラホラと咲き始めた桜を朝から夕近くまで飽きもせず、ただひたすら見続ける一人の老人がいる。
「そろそろお帰りになられては?」
茶屋の主が、見かねて声をかけた。店先で倒れられては…という迷惑気分も少しあったが、それは思うに留めた。
「ああ、はい…。そろそろパッ!! ですかな、ははは…」
花は咲き始めると、勢いが増幅されるという意味合いだ。店の主は客に、『それはいいんですが、茶一杯と団子ひと串で一日中、見続けるというのは如何なものでしょう…』とも言えず、また思うに留め、愛想笑いした。
「ではまた、明日…」
「はあ、毎度…」
店の主は客に、『明日もやはり、来なさるのか…』とも言えず、やはり思うに留め、愛想笑いした。そんな主の気持など知るはずもない老人は、決まりごとのように団子と茶の代金を長椅子へ置くと、これもいつものように楚々(そそ)と立ち去った。主は桜並木と老人を一つの見慣れた景色として見送った。
それでも続ける行為はいい場合、世の中に一つの風情を生み出すようだ。^^ 悪い場合は語りたくない、語りたくないっ!^^
完