(18)楽になる
それでも! と意気込まなければ、総てが楽になる。また、それでも! と意固地にならなければ、総てがスンナリと流れる。ところが人は、目に見えない魔の力に苛まれ、自我という蟠りを持つことになる。蟠れば、意気込んだり意固地になる・・と、まあこうだ。そうならないためには、自分を勘定に入れず、自我を捨てれば楽になる訳だが、世間はそれを許さず、魔は虎視眈々(こしたんたん)と機会を窺っている。まあ、私に言わせれば、弱っている人々をそこまで苦しめないでもいいのに…とは思える。^^
明日に予定されている、とある綱引き大会の練習が、とある体育館で行われている。そこまで…と、誰もが思うほどの熱の入れようで、開始は夜の7時過ぎだったから、もうかれこれ3時間が過ぎようとしていた。
「そろそろ、止めにしませんか、コーチ!」
「いやっ! もう、30分!」
「いやぁ~、皆さん、もうお疲れなんですからっ!」
「いやいやっ! このままでは3位の銅メダルも取れん!」
「銅メダルなんて、どう[銅]でもいいじゃないですかっ! 鉄でもアルミニウムでもっ!」
「う、上手いっ! いやいやいやっ! もう少しの練習で取れるんだっ! 取れれば、今までの練習の苦労が消え、皆、楽になるっ!」
「銅を忘れれば、あなたが楽になるっ!」
「…」
その返しに何を思ったか、コーチは矛を収め、練習を終えた。
翌日、チームは番狂わせで3位決定戦に勝ち、どう[銅]でもいい銅メダルを獲得した。^^ 当然、コーチを含む皆は楽になった。
要は、力まなければ楽になる訳だ。^^
完