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「ところで、私からも訊きたいんだけど、二人はもうわかったのかな? この『田代・古賀、VK教団殺人事件』の真相。もしそうなら、そっちの方もぜひとも聴かせてもらいたいねぇ」
教授の要望に、僕たちは同時に頷いた。一応、話せるだけの答えは思い付いている。
と言っても、あれはたぶん非常に単純な犯人当てだろうから、わかったところで自慢にもならないが。
しかし、教授の反応は至って無邪気だった。
「さすがだね。──どちらからでも構わないから、さっそく教えてくれる?」
僕たちは一瞬顔を見合わせた。
「先に話せよ、ホームズ。俺の出番はなくてもいいぜ?」
とのことなので──いちいちくだらない皮肉に取り合うことはせず──、先陣を切らせてもらう。
「結論から言わせてもらうと、犯人はおそらく『一』って人です。──あ、もちろん、この小説の中の方の」
「大丈夫、伝わってるから。敬称もなしでいいよ。現実の一くんとは全くの別物なんだし」
「では、そうさせてもらいます。──何故一が犯人かと言うと、三人の中で犯行が可能なのは、実は彼だけだからです」
「へぇ、それはまたどうして? 特にアリバイの有無については言及されていないし、さほど特殊な殺害状況でもないように思うんだけど」
「確かにアリバイは関係ありません。それより重要な点は、水晶玉が凶器に使われたと言うことです」
おそらく、それがこのミステリにおける肝なのだ。
「水晶玉は花瓶や灰皿などと言うよくある凶器と違い、殴打するには必ず両手で持って振り上げなければいけません。つまり、必然的に動作が大きくなるわけです」
「なるだろうねぇ。──それで?」
「そんな物を振り上げて殴打しようとするなら、なるべく相手に避けられぬよう、狭い場所で犯行に及ぶのが自然だと思います。そしてこの条件に打って付けの場所が、現場のすぐ近くにありました」
「ははあ、要するに、本当の犯行現場は例の隠し部屋だったと言うんだね?」
そう。犯人は教団の「脳」の中で、教主を殴り殺したのである。
「現場の状況に、特に争ったような形跡は見られなかったそうです。しかし、被害者は抵抗していた。このことからも、本当は別の場所で犯行が行われたのだと考えられます。──そして、狭い空間で水晶玉を振り上げることができたとなれば、それが可能な人間は、必然的に小柄な人物に限られる。物語の後半に唐突に各人物の体型に関する情報が現れますが、これはおそらく、この推理の為に必要な物だったからでしょう」
正直なところ、あまり綺麗なロジックとは思えなかった。隠し部屋の広さと言う重要なデータが曖昧だし、これだけのことで犯人を絞り込むのはいささか強引に思える。
しかし、作者がこの推理をさせたがっていることだけは、なんとなく察せられた。
だから、僕はひとまず直感を信じ、結論へと向かう。
「後はもうわかりますよね? 犯人たり得るのは、三人の容疑者のうちもっとも小柄な人物──つまり、一と言うわけです」
僕の話は以上だった。
犯人当てと言うよりかは、ちょっとしたクイズのような物だ。
それでも教授は感心してくれているようで、
「なるほどねぇ、私はそんなこと思い付きもしなかったよ。歳のせいか頭が硬くなってるのかなぁ」
ザルを被ってラーメンと祈っている時点で、十分柔らかいと思うが。
「いや、本当に素晴らしい。──で、緋村くんはどうだい? 相方が見事に答えてくれたわけだけど。君の意見も同じなのかな?」
「相方なんかじゃありませんよ。──まあ、基本的には同意見ですかね」
どこか違う部分があるわけか。
しかし、いったいそれは何なのだろう? 全く見当も付かなかった。
「若庭が言うとおり、確かに犯人は一なのでしょう。しかし、それを当てただけでは完璧ではない。何故なら、この事件には共犯者がいるからです」
──共犯者だと?
少々意外なフレーズだった。そんな物が必要な犯行とは思えないのだが……。
「ほう、それは何故? 理由を教えてもらいたいねぇ」
「もちろんです。──まず、本当の犯行現場か隠し部屋の中だと言うことは間違いないと思います。そしてさらに言うと、犯人が被害者を殴り倒したのは、おそらく右目の間に繋がる隠し扉の前だった」
どうしてそんなことが断言できるか。そう尋ねると、
「犯行に打って付けの場所だからさ。確か、隠し扉はコの字を倒したような形をしているだろ? つまり、その縦の辺に当たる部分──要するに左右の目の間に繋がる部分に立ち塞がって、隠し扉の前に追い詰めちまえば、逃げ場をなくすことができるわけだ」
なるほど、言われてみればそのとおりだ──が、それが共犯者がいることと、どう繋がると言うのか。
「すぐにわかる。──さて、こうして追い詰めた獲物を逃さない為に、当然ながら唯一の退路である隠し扉は封じておかなければならない。じゃねえと、そこから右目の間に逃げられて、そのまま廊下へ脱出されちまうかも知れないだろ? 左右の目の間のドアの鍵は、内側からも開け閉めできるそうだからな。事前にそちらに鍵をかけておいたとしても無意味だ。──と言うことは、反対側から扉を抑え、開かないようにする人間が必要になる。左右の目の間にあったのは、水晶玉を抜かせば、小さなテーブルと椅子だけだった。そんな物じゃ、どんでん返しを封鎖することはできねえだろうからな」
これまた当たり前の話だった。反論の余地はない。
問題は、誰が共犯者なのかだ。
「本当の犯行現場が別の場所だったと言う点においても、犯人は二人いたと考えるのが自然でしょう。その方が死体を運びやすい。
では、もう一人の犯人はいったい誰なのか。結論から言えば、それは作中に登場する人間の中で、隠し部屋の存在を知っていた人物です」
どんでん返しを抑える役目を果たしたわけだから、当然その共犯者も教団の「脳」について認知していたはずである。
「隠し部屋のことを知っていたのは、亡くなった二人の教主を除けば、後は『脳』の役割を担っていた教徒だけです。となると、殺人の実行犯である一こそが、その『脳』役だったと言うことになる。──そして、彼らの他にもう一人、交信の議の真実を知っていた人物が作中に登場していました」
ここまで来れば、それが誰なのかは明白だった。
教授にも、緋村の言わんとしていることがわかったようだ。
「つまり、あの警部ってキャラクターが共犯者だったと言いたいんだね?」
「そうです。彼は教団の交信に関する秘密を全て知っていました。それに、体格的に見ても、どんでん返しを抑えておく役としては適任だったはずです。──彼は事件のあった日の午前中に教団本部を訪れ右目の間を調査していたそうです。無論この時の調査と言うのは嘘で、実際は犯行の支障になるような物が何もないことを確認していたのでしょう。そして、この際彼は右目の間のドアを施錠せずに、鍵を返し、いったん本部を後にしました。こうして予め右目の間に侵入できるよう準備をしておいてから、密かに戻って来たわけです」
警部のセリフによれば、教団本部には監視カメラが設置されているものの、死角となる部分があり外部から忍び込むことも十分可能だと言う。そして、警部自身がそう言っていたのだから、当然彼もこのことを知っていた──この点においても、彼は共犯者の資格を有していたと言えるだろう。
「無論、これが現実に起きた出来事であれば、他にも条件に当て嵌まる人間がいる可能性はあります。教団側──と言うか教主たちが隠し通せているつもりでも、実はバレバレだったと言うことも考えられますし、捜査を行った他の警察関係者も、当然隠し部屋の存在を発見していたはずですので。……しかし、これはあくまでも推理小説です。繰り返しになりますが、作中に登場した人物──すなわち容疑者の中で、条件に該当するのは、被害者と実行犯を抜かせば、後は警部しかいない」
おそらくそれが筆者の想定した解答なのだろう。少し身も蓋もないように感じたが。
「だけど、共犯者がアリなら、片方が被害者を羽交締めでもしている間に、もう一人が撲殺したって可能性もあるんじゃない? もしそうなら、本当の犯行現場は狭い場所だったとか、隠し部屋のことを知っていたから共犯者とか、そう言ったロジックは無意味になると思うんだけど」
意外と言ったら失礼かも知れないが、スルドい指摘が飛んで来る。
「仰るとおりですね。しかし、今も言ったようにこれは所詮小説です。『目の間』や隠し部屋などと言った装置を登場させておきながら、真相とは全く関係がないとは思えない。だから推理に組み込んでみました」
こともなげに言い、灰皿の縁に煙草を擦り付ける。捻くれ者らしい発想だなと、僕は呆れ半分感心半分でその横顔を見た。
「確かに、当を得た意見だねぇ。何よりお話としても、そっちの方がオモシロそうだ。──いずれにせよ、これで謎の一つが解決されたよ。この推理小説の真相も気になっていたんだよ」
「それは何よりです」と、ニコリともせずに言う。「しかし、残念ですがこの小説を誰が書いたのかに関しては、突き止められそうにありませんね。お手上げです」
「うん、それなんだけどねぇ。実は私も一つ、思い付いたことがあるんだよね」
教授はまっすぐに彼を見据え、意味ありげな笑みを浮かべた。深く刻まれた皺の奥にある黒目がちな瞳に、理知的な光がハッキリと見て取れる。
いったい何を言い出すつもりなのか。僕たちが黙って続きを待っていると、
「緋村くん。君ねぇ──本当は誰がこれを書いたのか、知ってるんじゃないの?」
それは、思ってもみない言葉だった。瞬時に理解が追い付かないほど……。
──緋村は、この小説の著者を知っている? いったい、教授は何を根拠にそんなことを言い出した?
もしその指摘が正しいのであれば、緋村は真実を知っていながら嘘を吐いていることになるが……では何故そんな、犯人を庇うような真似をしているのだろう?
押し寄せる疑問符の波を戸惑いつつ、僕は二人の様子を窺い見た。教授は笑みを崩さず、緋村も鉄のような表情のまま、その視線を見返している。
ほどなく、教授の声が数秒間の静寂を破る。
「なんでこんなことを言うかと言うと、君があまりにも確信を持っていたからだよ。──今読んだ物が、この小説の全てだとね。これだけ中途半端なところで終わっていたら、もっと続きがあると考えるのが自然だと思うんだよねぇ。それなのに、さっき『隠し部屋の存在を知るのは登場人物の中で三人だけ』だと言いきれたのは、これ以上続きはない──少なくとも、問題編はここまでだとわかっていたからじゃないかな? だとすると、今日初めてこれを読んだはずの君が、何故それを知っていたんだろう? 考えられる理由は、一つだけだ」
緋村は小説の筆者と通じていて、初めから小説の内容を知っていたと言いたいのか。
「もし本当にそうなら、作中に君たちの名前が登場するのも謎ではなくなる。他ならぬ本人が協力してるんだから、名前を知っていて当然だ。ラプラスの悪魔なんかじゃなくてもね。──ちなみに、君自身が書いたのではなく筆者の仲間だと考えたのは、最初の方にも言ったとおり、筆跡が違うから。改めて言うようなことでもないけどね」
「でも、それはおかしくないですか? この原稿用紙はだいぶ古そうですけど、何年も前の物なのでは?」
もしそうなら、僕と緋村が出会っていない時点で書かれたことになるが……。
「そんなの簡単な話だよ。原稿用紙が古い物ってだけで、書かれたのはごく最近──少なくとも君たちが大学で仲よくなった後なんだろう。そして、私の友人たちが登場すると言うことは、やっぱり筆者は彼らのことを知る人物で、緋村くんはその人とグルってわけだ」
確かに単純な手だ。トリックと言うのも大袈裟なほど。
僕はそれ以上反駁の言葉が見付からず、仕方なく隣りを見る。緋村は相変わらず感情の読み取れぬ顔を、わずかに俯けていた。
そんな彼に、教授は優しく諭すような声音で問いかける。
「とは言え、君が自らこんなわけのわからない悪戯をするとも思えない。だから、言い出しっぺは筆者の方なんだろう? どうかな? 答えてくれる? いったい君は、誰に頼まれてこんなことに手を貸したのか」
僕も教授も、ジッと彼の答えを待つ。
今しばし沈黙が続くかと思われた──その時。
「私ですよ」
唐突に声が降って来た。
驚いた僕は反射的に首を回し、それがした方──テーブルの真横を見上げる。教授も面食らった様子で、同じ場所に目を向けるのが伝わって来た。
──そこには、《えんとつそうじ》の店主が佇立していた。
手に、ナポリタンの皿と伝票などが乗った盆を携えて。……え?
「お待たせ致しました」丁寧な言葉と共に、店主はナポリタンと伝票、そしてフォークを僕の前に置く。
「あ、どうも。──いや、それより今のは」
「私がそれを書いたんです。緋村くんにも一役買ってもらってね」
意外すぎる展開である。
美味そうな匂いと湯気を立ち昇らせる皿を目の前にしながら、食事どころではなくなってしまった。