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 《喫茶&バー えんとつそうじ》の常連客は、僕の知る限り二人いた。一人はいつもカウンター席の隅に座り新聞を読んでいる中年客。そしてもう一人は、僕と同じく阪南芸術大学に通う二回生の男──緋村(ひむら)奈生(なお)だ。

 その日も、やけに日当たりの悪い店内には、彼らの姿があった。そこまではいつもどおりなのだが、僕はすぐにある()()を発見し、入店した途端に足を止める。

 ()()()()()をした客が一人、一番奥の四人がけの席──奇しくも、普段僕がよく座っている場所──に、こちらに背を向けて座っているのだ。

 驚いて立ち尽くす僕に、カウンターの向こうでカップを拭いていた店主が穏やかに「いらっしゃいませ」を寄越す。紳士然とした初老の店主で、バータイムでも通用しそうな蝶ネクタイが似合いすぎていた。

 店名からも察せられるとおり、彼はウィリアム・ブレイクのマニアであり、店の壁には幾つも銅版画や挿絵のレプリカが飾られている。

 反射的にそちらに会釈した──ところで、問題の席の向かい側に腰かけていた緋村がこちらに気付き、軽く手を挙げた。

「よお」と声をかけて来た彼は、いつもながら死んだ目をぶら下げていた。今日も暗がりに溶け込むかのような黒い服を着ており、生っチロい肌ばかりが浮かび上がって見える。

 彼は貴重な常連客であるだけでなく、この喫茶店の二階に下宿してもいた。つまり、店主と彼の関係は大家と店子でもあるわけだ。それもあってか、彼は一番奥の四人掛けを陣取り、煙草を吹かすか本を読むか──あるいはその両方をしていることが多かった。

 すると、その向かいに座っていた問題の人物も、体を傾けこちらを振り向く。

 枯葉のような色のジャケットを着た初老の男性で、カールした白い蓬髪や鼻の下に蓄えた髭が、どことなくアインシュタインに似ていた。──それはいいのだが。

 僕を驚かせたのは彼の頭に装着されたある物だった。

 どう言うわけか、彼は麺の湯切りに使うような()()を被っているのだ。

 いったい何故? そんな小さな子供みたいな悪戯をして喜ぶような大人が、いるとは思えない──いてほしくない。

 全く意味がわからぬまま、緋村に手招かれた僕は、彼の隣りの席へと向かう。

 テーブルの上には灰皿と二つのカップの他、空いた皿が、これも二人分置かれていた。

「この人が若庭(わかば)くん? 君の()()()()()()なんだって?」

 僕が席に着くなり、彼は緋村に尋ねる。好奇心旺盛な子供のような目をしていて、小柄ながら、エネルギッシュな印象を受けた。

 この問いに対し、咥え煙草に火を点けた緋村は、心底嫌そうに顔をしかめる。

「そんな大層なモンじゃありませんよ。ただお互い、他にかまってくれる人間がいないからつるんでるだけです」

「そうなの? 二人はいいコンビだと噂に聞いたんだけどねぇ」

「ロクでもない噂ですね。間に受けないでください」

 相変わらずの口の悪さだ。正直なところサイドキックとやらの意味はわからないが──おそらくサッカーとは無関係のはずだ──、なんとなく馬鹿にされているようで引っかかる。まあ、「お互い他にかまってくれる者がいないからつるんでいる」と言う点に関しては、否定はしないが。

 そんな風に考えていると、緋村は紫煙を吐き出しながら、ようやく彼を紹介してくれた。

「こちらは古賀教授だ。俺のゼミの担当をしておられる」

 と言うことは、芸術企画学科の教授なのか。元から何をしているのかよくわからない学科だと思っていたが、彼が被っている物を見て余計にわからなくなった。

 ちなみに、僕こと若庭(よう)は文芸学科に所属している。

「気になるかな?」

 古賀教授は悪戯っぽい笑みを浮かべ、自らの頭に被ったザルを指差す。当然だ──と思いながら、僕は頷き返した。

「これはね、私の宗教の()()なんだよ。空飛ぶスパゲッティモンスター教って言うんだけど、知ってる?」

 聞いたこともない。と言うか、スパゲッティモンスターの時点で謎の存在なのに、さらに空まで飛ぶのか。

「ボビー・ヘンダーソンって言う人が始めたんだけどね、ユーモアと皮肉に富んでいてとてもオモシロイんだよねぇ。元々はID──インテリジェント・デザインを教育に組み込むことへの批判として誕生したんだ。我々にとってのその知性ある造物主が、スパゲッティモンスターと言うわけだよ。まあ、どうやら彼は、酔った勢いに任せて宇宙を拵えたみたいなんだけどね」

 何を言っているのかイマイチよくわからないが、緋村が口を挟まない辺り、どうも本当にそう言う宗教──と言えるのか? ──が存在するらしい。

「ちなみに祈りを捧げる時はこうだ。()()()()

 アーメンとかけているのか?

 反応に困り生返事をしてしまったが、教授は全く気にしていない様子だった。

 愉快そうに笑い皺を深めながら、ザルを脱ぎ──結局脱ぐのか──、隣りの椅子に置く。

「君も食べる? ナポリタン。私も今日初めて食べたんだけど、結構イケるね。何もかもがシンプルで全く捻りがないけど、そこがむしろ好ましい」

「はあ。──いや、せっかくですけど」

「遠慮することはない。学生は食える時に食っておくべきだよ。それに、よかったら君にも知恵を貸してもらいたいんだよねぇ。緋村くんの相棒として」

「と言うと、こいつに何か相談されていたんですか?」

「そう。ある殺人事件について、彼の意見が聴きたいんだ」

 急に物騒な話になって、少々面食らう。

「と言っても、()()()()()()()()()()()()なんだけどねぇ」

 何やら意味深長な言い回しである。にわかに興味が湧いて来た。

「気になるでしょ? なら、やっぱり君にも聴いてもらおう。元々、若庭くんも無関係ってわけじゃないし」

「どう言う意味ですか?」

「うん、その質問に答える前に、注文だけ済ませちゃおう」

 結局ナポリタンをご馳走になることになってしまう。申し訳なく思いつつも、赤貧の身としてはただ飯にあり付けるのは素直にありがたかった。夕食にはまだだいぶ早かったが、腹具合的にも問題はなさそうだ。

 店主を呼び、空き皿と引き換えにするように注文を終えると、教授はさっそく話を聴かせてくれた。

「まずはこれを読んでもらうのが早いだろうねぇ。緋村くんにもまだ見せていなかったから、一緒にサクッと読んじゃいなさい。心配せずとも、すごく短い話だからすぐに済むよ」

 彼は携えていた古い皮の鞄を漁り、封筒に入った原稿用紙の束を取り出した。右端がホッチキス綴じられており、黄ばんだ表紙の中央には、「田代・古賀、VK教団殺人事件」と言うタイトルらしき物が、達者な字で記されていた。「古賀」は教授のことなのだろうが、だとしたら「田代」も人名なのかも知れない。

「私の死んだ友人が書いたみたいなんだけどねぇ。一応推理小説なのかな。とにかく、それを読めば、どうして私が君たちに相談を持ちかけたのかも、すぐにわかるよ……」

 意味深長な言葉を聞いた(のち)、緋村の手が表紙を捲る。

 僕はすかさず横からその原稿を覗き込んだ。

 そして。

 ほどなくしてあることに気が付いた僕は、先ほどの教授の言葉の意味を悟り、クラクラと眩惑されるような感覚を味わう。


 文中に、()()()()()()()()()()()からだ。

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