恵みの露おく主は来ませり
03.恵みの露おく主は来ませり
実桜の朝は、私よりも三十分は早い。
つまり、顔を洗って制服に着替え、きれいに髪を梳かした後の姿しか、私は知らないということだ。
「おはよう、雫ちゃん」
今日も一点の曇りもなく愛らしい笑顔に迎えられ、私の朝は爽やかにはじまる。
「……おはよう」
朝というものは、誰だって一分でも長く寝ていたいと願うものなのではあるまいか。
多少寝癖がついていようが、頬っぺたに枕の跡が残っていようが、どうということもないだろう。
「ほらほら、早く起きて? お腹ペコペコなんだから!」
私にかまわず先に行って、と言ったところで却下されるだけなので、私は暖かいベッドを渋々あとにし、靴下を履いて、身支度をする。
「おはよう!」
「おはよう」
「おはようございます」
「うぃーっす」
「はよ」
朝の廊下は賑やかだ。制服に着替えた乙女たちが、空腹を抱えて食堂へと向かう。壇上に先生方の席も並ぶ、荘厳な大食堂での夕餐会とは違い、生徒のみが自由に行き来し、部屋自体もひとまわり小さな朝食室は、質素で明るく、白木のテーブルと椅子が心地よい空間を作っている。
朝食は、セルフサービス方式だ。六時半から八時までの間に、和食、洋食、どちらでも、用意されたものの中から各自好きに選んで食べればいい。昼食用にお弁当箱に詰めていくことも認められているし、おにぎりやサンドイッチを拵えてもかまわない。だから朝食は和食、ランチは洋食ということも可能だし、春風のように、パンパンに詰め込んだお弁当は午前中に食べてしまい、ランチはパン屋やカフェテリアで購入する、という強者までいる。
私はその日の気分によって、味噌汁やだし焼き卵の和定食にすることもあるし、サラダとオムレツとトーストにすることもある。実桜はいつでも、ヨーグルトとシリアルとフルーツ盛り合わせ。七海は栄養バランスのとれたおかずを二人分、きれいにプレートに並べてくる。放っておくと、菫子はコーヒーだけで済ますからだ。春風は朝から元気にどんぶりから溢れんばかりのご飯とおかずで豪勢なお茶漬け、逆に朝が弱い志紀は、スープにパンを浸したものを、時間をかけてゆっくりと食べる。
「パン粥って、憧れたな」
志紀の朝食を見るたびに、子供の頃に読んだ児童文学を思い出す。
「パン粥とか、とうもろこし粥とか、ライス・プディングとか」
「雫は、リゾットとかライス・コロッケとか、好きだもんな」
菫子の言うとおりだ。
「七草粥も小豆粥も、かぼちゃ粥も好きよね」
七海はそうつづけてから、志紀の手の中に収まる小降りのボウルを見遣り、指摘した。
「まあ、志紀のそれは、パン粥というより『洋風ねこまんま』といった方が近いけど」
「確かに」
菫子はうっすらと笑みを浮かべ、優雅にマグカップを口許に運ぶ。
「雫ちゃんは、フレンチ・トーストとかパン・プディングも好きよね?」
実桜の言うとおり、朝食に焼き立てフレンチ・トーストが供される日は、必ず列に並んでしまう。たとえ遅刻ギリギリになろうとも、フレンチ・トーストだけは譲れない。ランチとデザート兼用ということで、カフェテリアでメイプルシロップをたっぷりとかけたパン・プディングをオーダーする私に、甘いものが苦手な菫子が異星人でも見るような視線を向けるのもいつものことだ。
「考えたことなかったけど、パンでもご飯でも、やわらかくてとろっとしたのが好きなのかな」
言われてみれば、オムライスもとろとろふわふわの方が好きではある。
「雫はそういう、かわいいところあるから」
「あら、雫ちゃんは、どこから見てもぜんぶかわいいわよ」
「……っ」
シレッとした顔で言う菫子と実桜に、からかわれているのだとわかっていても、顔が赤くなった。
「朝から趣味の悪い冗談はやめてください」
「なんで怒る?」
「そういうところもかわいいのよ、雫ちゃんは」
「美の女神」が首を傾げる向かいで、「かわいい」の化身がにっこりと微笑む。
当たり前のように愛されて、称賛されることに慣れている彼女たちには、そういうものと無縁に生きてきた私の戸惑いは理解できないに違いない。
「ほら。そろそろ食べちゃわないと、遅れるわよ」
七海が救いの手を差し伸べてくれて、春風が口いっぱいに頬張ったまま「うぇーい」と応じた。賢者のような顔付きをした志紀は、黙々とスプーンを口に運んでいる。
それで、この話はもうおしまい。いつまでもしつこくされることはない。
菫子と実桜もそうだけど、この人たちは、本当の意味で賢いのだと思う。学校の成績とか、そういうことではなく、他人の気持ちに聡くて、対応がスマート。そうでなければ、こうして共同生活を送ることなどできはしない。
「今日の一時間目って、なんだっけ?」
「悠ちゃんの数学。そろそろ起きた頃かなぁ」
一時間目の神宮寺先生は、いつもよりちょっぴり「夢みがち」だということで有名だ。本人は「考えごとをしてたんだよ!」と仰るが、どう見ても「おねむのコドモ」のようで、そこがまた「かわいい!」と乙女たちの母性本能をくすぐり、「先生教室こっちだよ?」「ほら、教科書ちゃんと持って!」と世話を焼かせることになる。
「うちは化学。実験だから、ちょっと楽しみ」
鳴瀬先生は、私たちが興味を持てるような授業を意識的にやってくれる。ほとんどの生徒がそのまま持ち上がりで四年制大学、もしくは二年で卒業の短期大学部に進むという状況をかんがみ、受験勉強とは別の、生活に役立つような知識を与えてくれるのだ。
「期末試験は気が重いけど……」
「それが終わったら、冬休みだ!」
私たちはトレーを持って席を立つと、食器を片づけ、登校の準備をするためにそれぞれの部屋へと戻っていった。
そうして、教室での一日が無事に消化されて、今日もまた、つつがなく終わりのときがやってくる。
もちろん、日常の変化は乏しくても、時間は流れ、季節は移ろう。
宗教色のない学園なのだが、いや、むしろ、だからというべきか、一年中なんらかの行事が催される。
中でも人気があるのが、これからまもなく訪れる、期末試験の先のクリスマス。信仰心もないし、恋愛うんぬんで盛り上がれる環境でもないというのに、なんとはなく浮かれた空気が漂って、そこはうら若き乙女が集う女子校だから、華やいだ雰囲気でいっぱいになる。
構内の飾り付けを担うのは、お祭り大好き宮田先生と、独特の美的センスの持ち主神宮寺先生。
望月先生の塒と化している温室では、シクラメンとポインセチアがムードを盛り上げ、「料理は科学!」がモットーの鳴瀬先生が主催する「ボン・ヴィヴァン」(正式名称は「家庭科部」だが、通称の「美食倶楽部」の方が実態に相応しい)では、シュトレンからはじまって、日持ちのするパウンドケーキやクッキー、クリスマス・プディングにブッシュ・ド・ノエル、ジンジャーマンブレッドなどなど、各国のおいしいものたちが量産されて、放課後の学内に甘い匂いを撒き散らす。
音楽室からは井上先生の伴奏のもと、コーラス部の歌声が聞こえてくる。私も、いちおう、部員のひとりということになっているのだが、練習に加わったことは一度もない。「すべての生徒はなんらかの部活動に参加すべし」という学則を楯に、実桜に入部させられただけのことだ。
中等部からコーラスをやっているという実桜は、その歌声もやはり愛らしい。彼女のやわらかなソプラノは、満開の桜のように華やかでいて、風に舞い散る楚々とした風情もはらんでいる。
音楽室には中二階があって、楽譜や楽器を保管する小部屋と、一階を見下ろす階段席が設けられている。小規模な演奏会や、ソロ担当者の選抜試験のときのほかは、カーテンが引かれて立ち入り禁止だ。
「こんなところに隠れて聴いてるくらいなら、雫ちゃんも一緒に歌えばいいのに」
「音楽は、聴いてるだけで充分」
「声に出して歌った方が、楽しいと思うけど」
「私は自分の声よりも、実桜の声の方が好きなんだよ」
「私は好きよ? 雫ちゃんの声」
実桜は優しいけれど、嘘はつかない。だから、本当にそう思ってくれているんだろう。これといった特徴のないメゾ・ソプラノには、誰かに嫌われるほどの価値もない。
「もう下に戻って。実桜がいつまでも帰ってこなかったら、誰かが探しに来ちゃうよ」
そうしたら、私が潜んでいるのがバレてしまう。
実桜は小さく肩を竦めると、「じゃあね」と囁き、カーテンの向こうに姿を消した。かわいらしい足音が階段を下りていき、グランドピアノのまわりを取り囲む少女の群に自然と溶け込む。
この隠れ場所を私に教えてくれたのは、実桜だった。
そして彼女は、コーラス部に伝わる「伝説」を教えてくれた。
それは、実桜がまだ中等部にいた頃の話。
放課後の音楽室から、誰かの弾くピアノが聞こえてきた。それ自体は珍しいことではないけれど、その音色の厚みと重層感には、人の耳をそばだてさせる「何か」があった。
みながこっそりと覗いた室内では、井上先生と見知らぬ誰かが、グランドピアノに並んで向かっていた。鍵盤の上を四本の腕と二十本の指が縦横無尽に駆けめぐり、奏でていたのはガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」。それはまるでジャズのセッションのようで、お互いの呼吸を合わせながらも煽ったり焚きつけたり見せつけたり、二人の高揚感とともにどんどんスピードが上がっていって、小さな教室には収まりきらない熱量が歓喜を迸らせて溢れかえって、最高潮に達したところで、「ジャン!」と二人の奏者によって幕が下ろされた。
その瞬間、たったひとり、隠れて聴いていた誰かが、思わず拍手をしてしまったのだという。
「仕方なかったのよ。ほかのみんなだって、気持ちは同じだったんだから」
この話をしてくれたとき、実桜は中二階から空っぽのグランドピアノを見下ろして、溜め息とともにそう言った。
実桜が見ていた幻が、私にも見えるような気がする。
ずっとずっと、リズムに合わせて手拍子したくて、足を踏みならしたくて、それをグッと堪えて聴いていたのだ。最大級の讃辞を送りたい、「ブラボー!」と叫んでこの感動伝えたい、その思いは誰の胸にもあった。
しかし、それをしてはならないこともまた、少女たちは知っていた。この学園で生きていくためには、余計なものは見てはならない、聞いてはいけない。たとえ何かを見聞きしても、何もなかったことにしなければならない。
その禁が破られたら、本当に何もなかったことになってしまう。
事実、魔法のときは消え去って、それから二度と、彼らが二人でピアノに向かうことはなかった。
のちに彼女たちは、その見知らぬ男性が新任の英語教師であることを知った。彼がピアノを弾く人であるということは、今も彼女たちだけの秘密となっている。
一度でいいから、私もあの人のピアノを聴いてみたい、弾いている姿を見てみたい。けれど、それは叶わぬ夢なのだ。
これは、私への教訓でもある。
鐘の音に紛れ込まされた、豊かなテノール。私が愛するあの声を、失うわけにはいかない。月に一度、聴けるかどうかの歌声を。
そのためには、秘密を守り通さなければならない。彼自身に対してすら、私が知っていることを気取られてはならない。
彼からあの歌声を奪ってはならない。絶対に。
「それじゃ、もう一回、最初から」
井上先生は淡々と言うと、美しい和音を響かせる。
美術室にあるデッサン用の胸像のように端正な面立ちの、井上先生。歴史が好きで、わざわざ社会科の教員免許まで取得して、授業も音楽史ばっかりやりたがって、そこから脱線してヨーロッパ各国の政治史をまるまる一時間語った挙句、イエズス会によって日本にオルガンが伝えられたことにこじつけて、戦国武将に纏わる小ネタを嬉々として語りつづける井上先生。教職員の中では最年少で、ヘンに子供っぽいところがある一方、ヘンに老成してもいて、いつでもここではないどこか、ここにはない何かに気を取られているような、井上先生。
「ラプソディ・イン・ブルー」を弾いていたときは、そのときだけは、彼も本当に笑っていたのかもしれない。私たちに見せる「感じのいい教師」のお手本のような笑顔じゃなくて、心の底から楽しそうに、笑っていたのではないだろうか。
実桜は、もう一度それを見たいと願っている。そんな気がする。
「赤鼻のトナカイ」の軽快なリズムに送られて、私はカーテンを揺らさないように気を付けながら、中二階から抜け出した。
誰もがクラブ活動に勤しむこの時期、私は手持無沙汰になってしまう。
私と同じく幽霊部員のはずの菫子は、やはりルームメイトの七海によって、温室へと連れて行かれた。学級委員の七海は園芸部員でもあって、実桜が私にそうしたように、どのクラブにも興味を示さない菫子を自分の仲間に引き摺り込んだのだ。案外すなおに入部を承諾した菫子に理由を尋ねると、菫子は、ニヒルな笑みとともにこう言った。
「少なくとも、植物はウソをつかないから」
その誠実さに応えるためか、熱心な部員だとはいえないまでも、菫子は水遣り当番だけはきちんとマジメにやっている。
バレーボール部はクリスマスとは無縁だけれど、春風をはじめとする背高のっぽの面々と、カードやオーナメント作りにせっせと励む美術部員の志紀たちは、飾り付け係のアシスタントとして忙しくしている。
つまり、何も用がないのは私だけだ。
「あ、いたいた。柏原さん!」
図書室に行っても落ち着かなさそうだし、いっそ寮に戻ろうかと廊下をとぼとぼ歩いていると、突然クラスメイトに呼び止められた。振り返ると、三人の塊がこちらにパタパタ駆けてくる。
「探してたのよ、ちょっと来て!」
「早く早く!」
「急がないと、逃げられちゃう!」
「な、え、ちょ……っ」
二人に挟まれ腕を取られて、もうひとりに後ろから背中をグイグイ押され、強引に連れて行かれる。
向ったのは、ぐるりと回廊をめぐった先の、ひとつ下の階の英語科準備室。
「せんせー!」
「柏原さん、連れてきたよ!」
「これで決まりね!」
「……お前らなぁ」
バン! と開け放たれたドアから押し込まれると、そこには、苦虫を噛み潰したような顔の西村先生がいた。長い足を持て余すようにして、古い皮張りの椅子に行儀悪くだらりと腰掛けている。
「だって、先生言ったじゃない」
「柏原さん連れてきたら、やってくれるって」
「約束したでしょ!」
「だーかーらー」
先生は深々と溜め息をつくと、面倒臭そうな視線を三人に向ける。
「俺は、お前らに柏原くらいの熱意があるなら、考えてみてもいい、って言ったんだよ。英語の前に、日本語の読解力をなんとかしろ」
「つまり、柏原さんが一緒ならOKってことでしょ?」
「なんでそうなる!」
「せっかく柏原さんも来てくれたのにー」
「お前らが勝手に連れてきたんだろ!」
「柏原さんかわいそー。先生ひどーい」
「どうしてだよ?!」
「だって、柏原さんもやりたいよね?」
「……そうなのか?」
西村先生の視線がこちらを向いて、私はその場で固まってしまう。
「あ、あの、わたし。なんの話なのか、ぜんぜん……」
やっとの思いでそれだけ言うと、私を拉致した三人が代わる代わるに説明してくれる。
「私たち、クリスマスの晩餐会の出し物で、英語の朗読をやりたいと思って」
「それで、西村先生に指導をお願いしたんだけど」
「先生が、柏原さんがいなくちゃダメだって言うから」
「言ってない!」
先生は三人にキッパリと言い放つと、私に向きなおり、いかにも申し訳なさそうに「ごめんなー?」と言った。
「ほら、お前らみんな、帰れ。つまらんことに、柏原を巻き込むんじゃない」
「えー。でもー」
「クリスマスまで二週間もないんだぞ。どーせ発作的に思いついただけで、なんも考えてないんだろ? どっちにしろ、今から準備したんじゃ、間に合わないさ」
「そんなことー」
「私たち、ガンバるしー」
「俺は、普段の授業でガンバってくれた方が嬉しいね」
「ちゃんと考えるからー」
「そうそう、これから、ちゃんとー」
「私たち、やればデキる子だからー」
「自分で言うな、自分で!」
そんなやり取りを聞きながら、ようやく事態を理解した。
英語での朗読会。西村先生の特別指導。
西村先生の、特別指導。
「やりたい、です」
「あん?」
先生の訝しげな視線を受け止めて、深呼吸。頭に浮かんだフレーズを、なけなしの勇気を振り絞って、私は言った。
「DEAR EDITOR」(編集者さま)
切れ長で二重のくっきりとした瞳が、ひとまわり大きく見開かれる。
――Please tell me the truth.
心の中で祈るように呟いて、先生にまっすぐに投げ掛ける。
「Is there a Santa Claus?」(サンタクロースは、いるのですか?)
緊張のあまり、少したどたどしくなってしまったが、それでいい。
これは、八歳の少女からの問いなのだ。
先生の表情から驚きが消えて、かわりに、ふわりと優しい笑みがあらわれた。そして、深くて低い声でゆったりと、頷くようにして答えてくれた。
「Yes, VIRGINIA」(そうだよ、ヴァージニア)
本当に、八歳の女の子に語りかけているかのように。
「There is a Santa Claus」(サンタクロースは、いるんだよ)
先生自身がそう信じていることが伝わるような、魅力的で、誠実な声だった。
愛や、思いやりや、いたわりが、ここには確かに存在している。
「え。なになに?」
「サンタクロースが、どうしたの?」
「なんの話?」
きょとんとしている三人娘に、先生は端的に答えた。
「百年以上前の、新聞の社説だ」
そう。「ザ・サン」の、1897年9月21日付の社説。友だちに「サンタクロースなんていない」と言われた女の子が、「本当のことを教えてください」と新聞社宛に送った手紙への返答だ。
「なるほどね。これは、いいかもしれないな」
先生は腕組みをしつつ、「ふむ」と頷く。
机の上に積み上げられた本の山と、その間に散らばるメモ用紙と、筆記用具。部屋全体の雑然とした雰囲気のせいもあってか、授業のときは英国紳士然とした佇まいの先生が、放課後の英語科準備室では、ニューヨークの敏腕編集者に見えてくる。
「図書室に翻訳した児童書があったはずだ。司書の先生に頼めば、社説の原文も探してくれるだろう」
「え。じゃあ」
「先生、教えてくれるの?」
「やってもいいの? 私たち!」
きらきらした三対の瞳を向けられて、先生はいかにも渋々といった様子を作り、肩を竦めた。
「こうなったら、仕方がないだろう」
「やったー!」
三人は手に手を取って、ぴょんぴょん跳ねる。
私も、心の中で飛び跳ねていた。こういうとき、感情が表に出ない性分なのは本当に助かる。きゃーきゃー叫び出したいくらい嬉しいのに、冷静な振りをしてはしゃぐ三人を見守っていると、先生がほんの少しだけ、私の方に身を乗り出した。
「ありがとな」
「え……」
聞き取りづらいくらいの囁き声が、私の中で反響する。余韻に耽溺するうちに、耳が赤くなっていく。
「なんだ、今日はまた、随分と賑やかだな」
ガチャリとドアが開いて、もうひとりの英語科教員の老先生が、のんびりと入ってきた。
「すみません。ちょうど帰るところですから」
西村先生は軽く会釈しつつそう言うと、私たちに目配せして退出を促す。
「それじゃあ先生、また明日!」
「よろしくお願いしまーす!」
「失礼しまーす!」
元気よく頭を下げる三人娘に引きつづき、私も先生方にお辞儀をして、準備室を後にした。
「やったー!」
ドアが閉まるなり、三人は再びハイ・タッチ。
「ありがとう、柏原さん!」
「ありがとう!」
「ありがとね!」
「そんな、私は何も……」
「ナニ言ってるの!」
「ちゃんと先生を説得してくれたじゃない!」
「私たちだけだったらムリだったよ!」
「そんなことは……」
「ある!」
三人は同時にそう言うと、力強く頷いた。
「私たちね、絵本の読み聞かせサークルに入ってるの」
「週に一回、初等部でね」
「それはそれで楽しいんだけど、もう少し何か、いつもと違ったことをやってみたくて」
「だって、ほら」
「今年で、高等部も最後だから」
「ね」
たとえ、このまま同じ顔触れで大学に進学するのだとしても。敷地は移れど、けっきょくは小さな島内のことでしかないにしても。
やはり、「卒業」は「卒業」なのだ。
「……うん」
わかる、などと言う気はないけれど、それでも、通じるものはあったのだろう。三人がパッと笑顔になった。
「よろしくね、柏原さん!」
「一緒にがんばろうね!」
「ガンバろう!」
同じクラスだから、顔も名前も知っている。けれど、これまで挨拶ぐらいしかしたことのなかった三人の輪の中に、気がつけば引き摺り込まれてしまっていた。
本来ならば、こんなことはありえない。彼女たち「学園育ち」のお嬢様は、私のような「余所者」に、決して心を開かない。実桜や七海たちが例外なのであって、そういう彼女たちだからこそ、「余所者」のルームメイトに選ばれたのだ。
「それじゃ」
「さっそく図書室、行ってみよっか!」
「行こう行こう!」
赤城、白峰、黄川田という、赤・白・黄色のチューリップを連想させる名を持つ三人が、当たり前のように微笑みかける。菫子ほどではなくても、人見知りで愛想なしだと評されるこの私が、気づけばすなおに頷いていた。
――Yes, VIRGINIA.There is a Santa Claus.
これも、クリスマスの奇蹟なのだろうか。
彼女たちがそうとは知らず、私にとんでもない贈り物をしてくれたことも。
西村先生の、特別指導。
先生の授業を受けられるのも、あとわずか。年内にあと何回、年が明けてからは、もうあと何回か。
そうして残りの日数を数えながら鬱々としていたところに、この朗報。
図書室までの道すがら、「赤鼻のトナカイ」の軽快なリズムが私の足取りを軽くした。
2018/01/25