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「えーと、なんて言えばいいのかな」
校舎の中から見えない裏庭のすみっこに二人で腰を下ろすと、萌ちゃんは言葉を探すようにゆっくりと話しはじめた。
「私ね、こう見えても子供じゃないの」
「は?」
「こんななりだけどね、実は私、産まれたのはもう七十年以上も前なのよ」
「な……ななじゅう?!」
「美優ちゃん、声大きい」
萌ちゃんは、立ち上がってしまった私の腕をひいてあわてて私の口をふさぐ。
「嘘?! だってどう見たって……」
「うん。コドモよね。でも本当なの。私、天使なんだ」
はい?
「……今、天使って言った?」
「そう」
ちちち、と何かの鳥の声が聞こえる。私たちのいる中庭は、ぽかぽかとお日様があたたかい。
……えーっと。
「萌ちゃんが、天使?」
こくりとうなずく萌ちゃんの顔はとてもまじめで、私をからかっているようには見えなかった。
「天使って、あの、白い翼があって神様のお使いの……?」
「そうね。おおかたはそれで間違ってはいないわ」
はにかむように笑う萌ちゃんは、いつも通りの優しい萌ちゃんだった。
「私はね……七十年くらい前に、この地上で死んだ子供なの」
「……え?」
死んだ? 萌ちゃんが?
急に怖い言葉が出てきて、私の胸が、ぎゅ、と苦しくなる。
「私が言った天使っていうのはね、地上で亡くなった人間が、生まれ変わる前に一時的に神様のお手伝いをこなす間の名前なの。希望して審査が通れば、誰でも天使になることができるのよ」
審査? 天使って、審査が必要なの? なんか、私の想像していた天使と違う気がする。
「神様のお手伝いをするの?」
「そう。この場合の神様って、いわゆるキリスト様とか他の宗教にあるみたいな信仰の対象となるような存在じゃなくて……んー、なんていえばいいのかな。とにかく、ずっと上の方から、生死にかかわらず魂の管理をしている方のことよ」
「ふ、ふーん……」
よくわからないけど、これって死後の世界の話だよね。そういうシステムがあるってことなのかな。やけに現実的というかロマンがないというか……
「で、私たち天使の仕事はね、ええと、簡単に言うと、尋常じゃなく落ち込んじゃったり悲しんでいる人が、元通りに元気になるようにお手伝いすることなの。そういう状態にある人は、心が真っ黒な闇に染まってしまうのよ。そうなると魂も病んでしまって、最悪、そのまま体も死んでしまうことだってあるわ。もちろん、そのままでは魂が重くて天にものぼれない。だからそうならないように、心の中にできてしまった闇に光をさしこんでそれをはらうのが、私達の仕事なの」
「難しそうなお仕事だね」
「そうでもないわよ? 小さい闇を払う力なら、美優ちゃん、あなただって持っているし」
「ええっ? 私?」
「ええ。というより、誰にだってできることなのよ。人を嬉しくさせたりとか、楽しくさせたりとか。それは、人の心に光をもたらすわ。でも時々、心の中の闇が大きくなりすぎると、その闇自体が作り出した本人を悪いほうに操ってしまうことがあってね、そうなったらもう、天使の力じゃないと闇を消すことが難しくなってしまう。それが、私たちの仕事なの」
「そうなんだ。大変なんだね」
「……美優ちゃん、私の話、信じてくれるの?」
ことりと首をかしげて、萌ちゃんは私をじっと見ている。
「え? 嘘なの?」
「ううん、嘘じゃない。ただ、あんまり美優ちゃんがあっさり信じるから、逆に私の方が驚いちゃって」
「だって、萌ちゃんはそんな嘘つく人じゃないもの」
萌ちゃんは人をだましたりばかにする人じゃない。
萌ちゃんとはまだほんの数か月しか一緒にいないけど、いつもにこにこしている萌ちゃんと一緒にいると、なんだかほんわりとしてこっちまでにこにこになってしまう。萌ちゃんが文句を言ったり人の悪口を言ったりするのって、聞いたことがない。だから、一緒にいてとても安心できるの。萌ちゃんは、そういう人。
そう言ったら、萌ちゃんはにっこりと嬉しそうに笑った。
「ありがと。……それより、美優ちゃんは、気がついちゃったのね」
「何に?」
「響子先生の髪の事。あと、菜月ちゃんとか、もしかしたら他の子のことも気づいている?」
「最近、髪を短くする人が増えたな、って思ってたけど、同じなの?」
「うん」
「どうしてみんな、気づかないの?」
「ええと……順を追って話すわね。私の仕事は、闇に染まった心に光をさすことだって言ったわよね」
ひとつひとつの言葉を、ゆっくりと言い聞かせるように萌ちゃんは話してくれた。
「だけど、その闇の原因が単純な悲しみとかじゃなくて、怒りとか葛藤とか欲だった場合は、ちょっとやっかいなのよ」
「かっとう……?」
難しい言葉が出てきた。確か、どうしていいのかわからないとかすごく困っているとか、そんな感じの言葉だったかな。
「葛藤は、自分の中にある闇を認めない状態ね。本当は悲しかったり辛かったりするのに、それを認められないで自分は平気、って思ってしまうことって、実は心にとってはすごくストレスになるのよ」
「じゃあ、欲ってのは、何かを欲しいと思うこと?」
「正解。欲しがるものは、物であることもあるし、人の成功とか抽象的なものだったりもすることもあるわね」
「私だって、しょっちゅう本が欲しいとかお菓子が欲しいとか言っているよ? それが、心の闇なの?」
「それも闇だけれど、私たちが相手にするのは、もっとどす黒くて大きな闇よ。それに、そうやって口に出せるうちは、まだ大丈夫なの。人に言えなくなるほど欲が強くなった場合や自覚なく何かを欲している場合は、負の方向にすさまじいエネルギーが育って心の中に大きな闇を作ってしまうの」
その時、どこかの教室でどっ、と笑い声が起こった。萌ちゃんは、授業中の校舎を見上げる。
「半年くらい前かな。この学校の近辺で、大きな闇が確認されたの。その闇を特定しようと調べているうちに、最初の髪を切られる事件が発生してしまった」
「半年? そんな前から?」
こくり、と萌ちゃんは真剣な顔でうなずく。
「じゃあ、どうしてみんな、もっと騒がないの?」
「ああ、それはね、軽い暗示をかけているからよ」
「暗示?」
「そう。天使の力の一つでね、髪を切られた子たちには、長い髪がいいなと思って、今はまだ短い髪をのばしているところ、って思わせてあるわ」
「なんとなく切っちゃった、ってことにしちゃだめなの?」
萌ちゃんはゆっくり首を振った。
「大切にしている髪を切るなら、それなりに理由が必要でしょ? そんな大きな理由、心に傷をつけずに思い込ませることはできないもの。だから、最初から短かった、って思わせているの。ちょっと、本人たちには可哀想だけど、いきなり髪を切られたことに気づくよりは、少しはましだと思うから」
「そうだったんだ……」
知らなかった。私の身近で、そんな大変なことが起きていたなんて。
萌ちゃんが、うつむいてつらそうな表情になった。
「力が使えるってことは、本人はもう半分闇に乗っ取られている可能性が高いの。それは、とても危ない状態なのよ。急いで該当者を見つけなきゃいけない。それで私が担当になって、この学校に転校してきたの」
「じゃあ、萌ちゃんが引っ越してきたのはそのお仕事のため?」
「実はそうなの。その闇を持った子が、この学校にいることがわかったから」
「子供なの?」
「闇の波長からして、間違いないと思う。子供の波長は、大人よりずっとシンプルだからわかりやすいの。ただ、うまく隠れているみたいで、どうしてもその子が見つけられないのよ。その間にも、髪を切る事件は続いているのに」
萌ちゃんが、表情を引き締める。それは、いつもふわふわした萌ちゃんじゃない。でも、その顔はとてもきれいだった。
「髪を切ることに何の意味があるのか……もしかしたら今回の件は、妬みや欲がからんでるんじゃないかな、って気がする。早くその子を見つけ出して、次の被害者を出すことだけは防がなくちゃ」
「そうなんだ」
人の髪を勝手に切っちゃうなんて許せない。一体、どんな子がそんなことをしているんだろう。
……でも。
心に闇を作るって、どんな気持ちなのかな。きっと、楽しくはないよね。その子、ちゃんと、笑えているのかな。……辛く、ないかな。
「私にもっと力があったらすぐにでも見つけられるのに……」
呟くように、萌ちゃんが言った。
「見つけるって、どうするの?」
「大きい心の闇になれば私にも見ることができるようになるわ。でも小さいうちは、見えにくいし、ここまで出会えないとすると、もしかしたら本人が巧妙にかくれている可能性もあるわ。だから、実際に近くに寄ってみて、それらしき人を探していくの。すぐわかる場合もあるし、なかなか目星がつかない場合もあるのよ」
「難しいんだね」
「そうね。本当は今回みたいにすでに被害が出ている場合は、もっと上の天使様がいらっしゃる案件なんだけど、天界も人手不足でね、とりあえず私が調査に来たの」
萌ちゃんが仕事に疲れたサラリーマンみたいなことを言い出したので、私はつい、笑ってしまった。けどそんな場合じゃないと思いなおして、あわてて私も、表情を引き締める。




