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落ちる……!
またアスファルトに叩きつけられることを覚悟して、私は体を丸めて、ぎゅ、と目を閉じた。
と。
ふわり、と私の体が浮いたのを感じた。
おそるおそる目をあけると、私は、落ちる前に空中で誰かに抱きとめられていた。驚いて抱きとめてくれているその人を見上げる。
長い金髪が風に吹かれて揺れていた。真っ白い大きな翼を優雅にはためかせているスーツ姿のその男の人を、私は見たことがあった。
確か……萌ちゃんの上の役の、大天使様。
「逃げずに、よくがんばったね」
私を見下ろす青いその目は、とてもとても優しげだった。
「あなたは……」
確か、藤崎さん、っていったっけ。
「遅くなってごめんね。ほら、彼女も、もう大丈夫」
そう言って視線を下へとうつす。つられて見下ろした先には、倒れている莉子ちゃんと、その体からはがれた黒いもやがあった。
「あっ!」
「最後まで、君がやるかい?」
「え?」
「どうやら、君にもその力があるようだ」
藤崎さんは、私の背後に視線をうつす。つられて振り向いた私の目にうつったものは。
「! ……ええっ?!」
私の背中からは、淡く光る翼がはえていた。
萌ちゃんのように透き通った翼じゃない。真っ白い……でも、一枚しかない翼。
藤崎さんの背中には確かに左右対称となる二枚の翼がはえているのに、私の背中には、対になるはずの翼がなく左側に一枚の翼しかなかった。
「片翼の天使……これはまた特異なケースだね」
感心したように呟く声に、私の頭は混乱していた。
なんで? なんで私にも翼が……しかも片方だけなんて……なんでこんな風に?
「ほら。やってごらん。サポートしてあげる」
藤崎さんは私をそっと道路へとおろすと、しっかりと背中から私の肩をにぎった。私の翼は、ふんわりと藤崎さんを避けて横へと広がる。
そうだ。今はそんなことより、莉子ちゃんを助けなきゃ。
「あの黒い闇に集中して。願うんだ。消えろ……と」
「消えろ……」
「君ならできるはずだよ。世界の自然に向けて、力を貸してくださいって願ってごらん。そして、その力をあの闇にぶつけるんだ。さあ」
うながされて、私は莉子ちゃんの上にいるもやに向きあう。そのもやは、ふるふると小さく震え続けていた。なんとなくだけど、私を見ているような気がする。
怖い。正直……見たくない。けれど。
私は、ぎゅ、と両手を握った。そうして、そのもやから目を逸らさないまま、藤崎さんが言ったように、心の中で願う。
力を貸してください。誰に言ったらいいのかわからないけれど、私に、闇を消し去る力を貸してください。あの子を助ける力を、私にください。
そう心の中で願っていると、背中がなんとなく温かくなってきたのを感じた。左側。翼のある方の、背中が。
黒いもやが、ゆらりと揺れる。そのもやを、じ、と見つめる。
消えて。莉子ちゃんはもう十分に苦しんだの。だから……これ以上、私の大事な人を苦しめないで。
「お願い……消えて!」
思いをその黒いもやにぶつける。
背中の翼がばさりと音を立てたような気がした。目の前を細かい光の粒がもやに向かって流れていく。私の翼の上に、藤崎さんの大きな翼が重なっていた。
そうして流れていったその光にあたった黒いもやが、苦しげに悶えた。まるで悲鳴をあげているようにも見える。
見ているうちにそのもやはだんだんだんだん小さくなっていって……最後には、しゅるんと消えてしまった。
私は、肩でぜいぜいと息をしている。すごく集中していたみたいだ。
……できちゃった。私にも。
多分、私一人の力じゃない。翼を重ねて藤崎さんが力を貸してくれたんだと思う。けれど、背中に集まってくるあの温かさは、初めての感覚だった。
呆然とする私の耳に、懐かしい声が聞こえた。
「美優ちゃん!」
勢いよく飛びついてきたのは、萌ちゃんだった。
「え……え?! 萌ちゃん!?」
「すごい、美優ちゃん! よくあの闇をやっつけられたね!」
「うん……あの、なにかわかんないけど、できちゃった……」
私が藤崎さんを振り返ると、彼は倒れていた莉子ちゃんを抱き上げたところだった。私は萌ちゃんと手を繋いだまま、莉子ちゃんのところへ走る。
「莉子ちゃん!」
私が呼ぶと、莉子ちゃんは、うっすらと目をあけた。
「美優……?」
「莉子ちゃん、もう大丈夫だよ。もう怖いのは、消えちゃった。莉子ちゃんは、自分に負けなかったんだよ!」
莉子ちゃんは、弱々しかったけど、確かに笑った。そうして、ふう、と力が抜けたように目を閉じる。
「莉子ちゃん?!」
「気を失っただけだよ、大丈夫。かなり自分の力を消費したんだ。ゆっくり休めば、またちゃんと元気になる」
「そう……ですか。よかった」
ほ、としたとたん、力が抜けた。よろけた体を、萌ちゃんが支えてくれる。
「君も、疲れただろう」
そうだ。私の背中に……
首をまわして背中を見ると、まだそこには片方だけの翼がしっかりとついていた。
ちょっと意識してみると。
「わ! 動いた!」
その翼は、手や足を動かすのと同じように、私の思った通りに動いてくれた。でも……
「なんで、片方だけ……?」
「それなんだけどね、君の……」
「美優!」
その時、鋭い声で名前を呼ばれた。
見ると、向こうにママが真っ青な顔をして立っていた。そうか。今日は早番だって言ってたから、ママも帰ってくる時間なんだ。
「ママ!」
「あなた、その翼……!」
駆け寄ろうとしたママが、ふいに足をとめた。その目は、何かに驚いたようにまんまるだ。
その視線の先に藤崎さんがいて、私はどきりとした。
確か、天使って誰にも知られちゃいけないんじゃなかったっけ。翼を出していない萌ちゃんはともかく、金髪で翼のある藤崎さんはごまかしようがない。
「あのね、ママこれは……」
「いいんだ」
あわてて何か言おうとした私に微笑んで、藤崎さんがゆっくりとママを振り向いた。




