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「寒……」
昇降口の扉を開けると、びゅうと、強い風が吹き込んできた。私は空を見上げる。
外はどんどん雲が黒くなっていて、今にも降り出しそうな天気になっていた。
莉子ちゃん、どこへ行ったんだろう。下駄箱に靴がなかったから、外に出ているのは確かだ。
もしかしたら、今、私の背中にもあの黒いもやがついているかもしれない。だって、莉子ちゃんの気持ちを考えたら、こんなに悲しくて苦しいもの。でも、きっと莉子ちゃんの方がもっと、つらくて悲しい。
莉子ちゃんが心配な反面、私の胸のどきどきも止まらない。どうしても、宮崎さんの怖い姿を思い出してしまうのだ。もし、莉子ちゃんがあんなふうになっていたら……
私は、ぶんぶんと首を振って怖い考えを頭から追い出す。
あんなに大きくなってしまった黒いもやを消せるのか自信はないけど……行かなきゃ。だって、私は莉子ちゃんの味方だもん。
「美優!」
呼ばれて振り返ると、うわばきのまま外に出てきたのは颯太だった。走って来たらしく、軽く肩で息をしてる。
「俺も、探すの手伝う」
「え……」
颯太がいてくれたら、すごく心強い。一瞬、その言葉にすがろうとしたけれど。
「……ううん、私だけに行かせて」
私が首をふると、颯太が眉をひそめた。
「大丈夫なのかよ」
大丈夫かどうかなんて、わからない。本当は怖いし、いつもみたいに颯太に一緒にいてほしい。
でも。
もし莉子ちゃんが宮崎さんみたいになっているとしたら、会いに行くのはとても危険なことになる。万が一、颯太まで巻き込まれてけがなんかしたら……その方が、怖い。
颯太なら、たとえあの黒もやが見えなくても今の莉子ちゃんの状態を説明したら、きっと私の話を信じてくれる。けれど、今はその時間がない。
だから、今回ばかりは、私ががんばるんだ。
私は、颯太に笑ってみせた。
「大丈夫。ほら、女の子には女の子だけの話があるから。莉子ちゃんもあんなに怒ってたけど、おやつにパウンドケーキでも食べながらガールズトークしたら、きっとすぐに機嫌なおしてくれるよ」
するとなぜか、颯太は近づいてきて私の手を握った。ぎゅ、と強く。
「じゃあまかせるけど……あいつ今すげえ荒れてっから、一人でしんどいと思ったら、お前が泣く前に、絶対に俺を呼べよ。俺も一緒に、莉子のことなだめてやる」
「泣いたり、しないよ」
「どうだか。これ、さっきから止まんないぞ」
言いながら颯太が握っていた手を離すと、私の手はかすかに震えていた。
「あ……」
気づかなかった。
「本当は、あんな莉子を一人で相手にするのは怖いんだろ」
「……うん」
ためらいながら、私は、素直にうなずく。
「それでも、俺は一緒に行っちゃダメなのか?」
「うん」
しばらく無言になった後、はあー、と颯太は大きくため息をついた。
「なんかなあ……自分の子どもが巣立ってくのって、こんな気持ちなのかな」
「何言ってんのよ。私は颯太の子どもじゃないでしょ」
しみじみと言った颯太に、少しだけ笑いがこぼれた。それを見て、颯太も笑う。
「ばーか、こんな手のかかる子ども、こっちからごめんだよ。……まあ確かに女同士の話には口をはさまない方がいいんだろうな。下手に首突っ込んでもばかを見るのはこっちだろうし」
おどけて言ってくれた颯太に、私は、震えの止まった両方の手を、そ、と胸の前で組み合わせた。
私の手に移った颯太の温かさを感じて嬉しくなる。
「ふふ。ありがと、颯太」
「よし、行って来い」
「犬じゃないんだから! また明日ね!」
いつの間にか無理やりじゃない笑顔になっていた私は、颯太に手を振って昇降口を飛び出した。
私たちのことを颯太が心配してくれているのが、すごく嬉しかった。
もし私の背中にあの黒いのがあったとしても、それはきっとさっきよりも小さくなっている。
一人じゃない。そう思うだけで、こんなに心の中があったかくなる。同じ思いを、莉子ちゃんにも教えてあげられたらいいな。そしたら絶対、あの黒いもやも小さくすることができるはず。
大丈夫。莉子ちゃんを、助けてあげられる。
しばらくあたりを見て回るけど姿が見えなかったから、とりあえず、通学路を走って家に向かう。
小走りに信号を渡って、見慣れた道を急ぐ。莉子ちゃんの家の方へ向かう道の角を曲がったときだった。
その向こうに、雲とは違う黒いもやを見つけて、私は足を止めた。それは、道から電柱のように空へと伸びている。
うそ……
「莉子ちゃん!」
私はそのもやに向かって走り出す。
空に立ち上るほどに大きくなったそのもやは、道にうずくまるようにして座り込んでいた莉子ちゃんの上に乗っていた。宮崎さんの時よりもずっとずっと大きい。
「莉子……」
「やだ!」
振り向いた莉子ちゃんは、いやいやをするように首を振った。
「みんな嫌い! 恵もさっちゃんも、パパもママも、みんなみんな大っ嫌い!」
莉子ちゃんが叫ぶたびに、黒いもやはぐるぐると勢いをつけて竜巻のように回り始める。
「莉子ちゃん、だめ! 嫌いなんて言わないで! そんな風に考えたら……」
「いやだああああああ!」
莉子ちゃんが叫んだ瞬間、その体の周りに風が強く渦巻いて、その勢いで飛んだ小石が私へ向かって飛んだ。
「痛っ!」
「美優?!」
驚いたように莉子ちゃんが、目を丸くした。そして、ようやく、自分をおおっている風に気がつく。
「なに……これ」
「それ、莉子ちゃんが作った壁なの! 悲しいって思っている心が、それを作ってるの。だから」
「美……優……」
苦しそうに言った莉子ちゃんは、真っ青だった。
「ねえ、莉子ちゃん、楽しいこと考えよう? ほら、今日のおやつのこととか……」
ああああ、こんな時につまらないことしか言えないよ。もっと莉子ちゃんが楽しくなるようなことって、なんだろう。
「う……うう……」
莉子ちゃんが、苦しそうに体を丸める。
「莉子ちゃん、大丈夫? どこか痛いの?」
「……なんて……」
うつむいた莉子ちゃんから、絞り出すような声が聞こえた。
「楽しいことなんて……なにもない……嫌なコトばかり!」
ふいに顔をあげた莉子ちゃんの目は、真っ赤だった。
宮崎さんと同じなんだ。
やっぱりあの黒いのが、莉子ちゃんにこんな力を使わせてる。




