- 4 -
「なに……?」
颯太も、きょとんとした顔をしている。恵さんは、得意げな顔で言った。
「うちのママはPTA会長だから知ってるのよ。あんたんち、ついに親が離婚だってね。今までだって忙しいなんて適当な口実ばかり作って、ろくに学校行事にも参加しなかったじゃない。片親になってまた忙しくなるから、今度のPTA作業だって、都合をつけてほしいなんて図々しく言ってきたわよ。親が親なら、子も子よね。どっちもいいかげん」
がんっっ!!
あっけにとられてた私がその言葉を私が止めようとする前に、莉子ちゃんが机を思い切り叩いた。
「うるさい!」
廊下まで響き渡る声に、恵さんもびくり、と体をこわばらせる。
「うるさいうるさいうるさい! そんなのあんたに関係ないでしょ!! もう、やだやだやだやだやだっ! みんな、死んじゃえ!!」
そう叫んで、莉子ちゃんは教室を飛び出した。
「莉子ちゃん……!」
「恵さん」
莉子ちゃんを追いかけようとした私の耳に、低く押し殺した声が聞こえた。まだ教室の中にいた沢田先生だ。
「あなた、今どれほどするどいナイフを莉子さんに投げつけたか、わかる?」
振り向いた先には、きつい目つきの沢田先生が立っていた。
うわあ、先生、怒っている。ふざけている男子を怒る時と違って、その声は静かだったけど、だからこそ、先生が心の底から怒っているのがわかった。
恵さんもそう思ったのか、青い顔をして黙って先生を見ていた。
「莉子さんのお母さんがPTA活動に積極的に参加できなかったのはね、教師という職業柄、学校行事がうちの学校と重なることが多かったことと、野方市まで行って莉子さんのおじいちゃんとおばあちゃんを、あちらのご家族と一緒に介護していたためよ」
莉子ちゃんのおばあちゃん家は、車で一時間ほど行った野方市にある。おじいちゃんは病院に入院しているしおばあちゃんもほぼ一日中介護が必要で、一緒に暮らしている莉子ちゃんのおばちゃんたちと、交代で二人の面倒を見ているんだって。
だから莉子ちゃんのママは、パパの転勤についていけずに単身赴任させることになった、って言ってた。向こうの家族にまかせればいい、施設にまかせればいい、って莉子ちゃんのパパは言うらしいけど、莉子ちゃんのママは自分で親の世話をしてあげたかった。それだけが原因ではないけれど、そういうすれ違いが積もり積もって、二人の仲はうまくいかなくなったんだ、って莉子ちゃんが教えてくれた。
「私も教師だから、莉子さんのお母さんがどれほど忙しいかわかるわ。その上さらに親の介護までしているなんて、とても大変な思いをされていると思う。決していい加減なんじゃないの。それは、理解してほしいわ。それに」
先生は、少し気づかうように一瞬だけ私を見た。
「莉子さんのご両親が離婚なさるのは、莉子さんのせいじゃない。お二人で一生懸命話し合って、どうしても他になくて決めた結果なの。それをあんなふうに言われて、莉子さんはどんな気持ちかしら。事情があって離婚するのは、親の勝手なのよ。子供は関係ないの。だから、それを理由に子供を責めるのはおかしいわ」
その通りだと思う。
私は、ぎゅ、と自分の手に力を入れた。
みんなに、莉子ちゃんのことをちゃんと知ってほしい。
以前、委員会のことで誤解された時、とても苦しかった。莉子ちゃんに、あんな思い、させたくない。
「私……私だって、父親がいません」
私が言うと、恵さんは、は、としたように私を見た。クラスを見回すと、昇君と麗香さんもうなずく。二人とも、うちと一緒でお父さんがいない家庭だ。
「あ……」
「でも、マ……母は、精一杯私を育ててくれてます。私のことを、とても大事にしてくれています。その母が一人で私を育てる道を選んだのなら、私はそれは間違っていたとは思いません。絶対に、いい加減な気持ちでパパだった人と別れたんじゃないと信じています。莉子ちゃんのパパとママも同じだと思います。莉子ちゃんは、パパもママも大好きだけど、二人が別れることを止められませんでした。それは、莉子ちゃんのせいじゃありません。そのことで莉子ちゃんはとても苦しんでいました」
言えた。
少し震えていたけれど、ちゃんと自分の思っていることを言えた。
私は、はあ、と大きく息を吐いた。
沢田先生が、うなずいた。
「男であるとか女であるとか、お父さんがいないと、お母さんがいないとか、その人にとってどうしようもないことでその人を責めるのは、先生まちがっていると思う。それに、そのことで一番傷ついているのは誰かしら」
「莉子さんです」
ずっと黙って聞いていたさっちゃんが、はっきりと言った。
「そうね。恵さん。莉子さんは、大好きなお父さんとお母さんが、これからは一緒にいられないことを悲しんでいた。涙をながす人ばかりが、悲しんでいる人じゃないのよ。莉子さんはああいう性格だから、悲しいと言葉にはだせないくても、きっと心の中では苦しんでいると思うわ。だからって乱暴したり掃除をサボったりしたのは許されることではないけれど、莉子さんは、自分が悪いことをちゃんとわかっていた。それでいいんじゃないかしら」
先生は、恵さんの前に立って、その顔を見つめた。
「皐月さんを守ろうとしたあなたの気持ちは、とてもお友達思いよね。けれどね、誰かをおとしめてまで人を守ろうとするのは、ただの自己満足だわ。ましてやそれで誰かを傷つけるなんて、決してしてはならないことだと、私は今まであなたたちに教えてきたつもりよ。私はこのクラスの誰にも、人を傷つけて喜ぶような人間になってほしくないの」
「めぐちゃん」
さっちゃんが、恵さんに近寄る。
「私のために怒ってくれてありがとう。でも、多分今の莉子さんは、私がけがした足よりも、もっと痛い思いをしていると思う。だから、今度は私たちが謝りに行こう?」
「うん……」
恵さんは、ぽろぽろと涙を流した。それを見て、私は気づく。
恵さんの背中にあった黒いもやが、半分以下の大きさになってる。恵さん、自分でちゃんと、悪かったことに気づいてくれたんだ。
さっちゃんが、恵さんの心に光を差したんだ。
ぐしぐしと涙をぬぐいながら、恵さんが私を振り替えった。
「ごめんね、美優さん。お父さんがいないとか、バカにするつもりじゃなかったの」
「うん、わかっている。でも、明日莉子ちゃんに、ちゃんと謝ってね」
私は、先生を振り向いた。
「私、莉子ちゃんのとこにいってきます」
「頼むわ。お願いね、美優さん」
先生は、いつもの優しい顔に戻ってにっこりと笑った。
そういえば。先生はとても怒っていたけれど、その背中にあの黒いもやは全然でてこなかった。
先生は、あの黒いのにあやつられて怒ったんじゃないんだ。本当に、莉子ちゃんや恵さんのことを考えて、叱ってくれていたんだ。
沢田先生って、すごいな。
「はい」
私は大きく頷くと、莉子ちゃんのあとを追った。
教室を出る直前、莉子ちゃんの黒いのが天井まで届くほど大きくなったのを見た。あれほどの黒いのは、宮崎さんと同じか……もしかしたら、それ以上。
今は、どうなってるんだろう。
嫌な予感にどきどきしながら、私は階段を駆け下りた。




