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乱暴に教科書をランドセルに入れながら、莉子ちゃんはまだぶつぶつ言ってる。背中の黒いのもぐるぐると渦巻いていて、見ている私は気が気じゃない。
「莉子ちゃん、今日帰ったらうちにこない?」
私は、なるべく明るく莉子ちゃんに話しかけた。
「いいけど。なに?」
「ママが、昨日パウンドケーキ焼いてくれたの。一緒に宿題やってから、食べよう?」
ちょっと私を見上げた莉子ちゃんが、うん、と小さく言った。背中のぐるぐるも少し弱まる。
あの黒いのがいると、そんなに感情のコントロールって難しくなるんだろうか。
でも、これ以上、あの黒いのに莉子ちゃんを好きなようにはさせない。私ががんばって、あんな黒いの消してやるんだ。
当番の太一君が前に立ったので、私も席に戻る。
「帰りの会を始めます。では、今日の反省から。何かある人」
「はい」
手をあげたのは、恵さんだった。
「恵さん、どうぞ」
「今日の掃除の時、莉子さんがほうきを乱暴に振り回して皐月さんを転ばしてしまいました。しかもそのほうきを教室に放りだして掃除や片づけをサボっていました。今度から気を付けて欲しいです」
さっき、莉子ちゃんは、さっちゃんにも謝るつもりだったんだ。でも休み時間は短くて、菜月ちゃんと話しているだけで六時間目が始まってしまった。授業が終わったら、と思ってたんだけど、先に言われちゃったなあ。
前の方に座っている莉子ちゃんをうかがうと、莉子ちゃんは下を向いて黙っている。
「莉子さん、どうしてそんなことをしたの?」
沢田先生が、気づかうように優しく聞いてくれる。
先生は、もうすぐ莉子ちゃんの両親が離婚することを知っている。だから、きっと莉子ちゃんが荒れている理由も、想像がついたに違いない。
莉子ちゃんは立ち上がって、さっちゃんの方を向く。
「皐月さん、ごめんなさい」
莉子ちゃんが頭を下げながら言うと、さっちゃんは大きくうなずいた。先生もそれを見て笑顔になる。
「悪いと自分でわかっているならいいわ。今度から気をつけましょうね」
よかった。莉子ちゃん、ちゃんとみんなの前で謝ることができた。
ほ、とした気持ちであたりをみまわすと、やけに大きな黒いもやが視界に入った。恵さんだ。なんでかその顔は、不満そうだった。
「他にありませんね。では、先生のお話」
先生が立ち上がって児童会祭に向かってがんばりましょうと話をして、帰りの会は終わった。
「莉子さん、本当に悪いと思っているの?」
私と莉子ちゃんが帰ろうとすると、後ろから恵さんに声をかけられた。ふりむくと、恵さんと、その後ろにさっちゃんがいた。
うわあ。やっぱり恵さんの背中には、かなり大きな黒いもやが乗っていた。
「さっき莉子さんに転ばされて、さっちゃん、足のとこけがしたんだよ」
「え、大丈夫?」
莉子ちゃんより先に、私がさっちゃんに聞いた。
「うん、たいしたことはないんだけど……」
「ほら」
恵さんが、さっちゃんのスカートの足を見せる。さっきはジャージをはいていたから気づかなかったけど、確かに少しだけ、膝の下あたりが黒くなっていた。
「なんだ、ほんのちょっとじゃない」
莉子ちゃんも、ほ、としたのかそんな風に言ってしまった。けれど、そんな言い方をするから、恵さんはよけいに、む、としたようだった。
「人にけがさせて、そんな言い方はないでしょう。もう一度ちゃんと謝りなさいよ」
「……ごめんなさい」
唇をかみしめて謝る様子は、一生懸命自分の気持ちを押さえようとしているのがよくわかる。確かに悪いのは莉子ちゃんだけど、あんな風に言われたら、きっといい気持ちはしないだろう。
えらいよ、莉子ちゃん。
でも、恵さんは怒ったようにまだ続ける。
「本当に悪いと思っているの? さっきだって、先生に言われたからテキトーに謝ったんでしょ? 心がこもってるようには、感じられないのよね」
「転ばされたのは、さっちゃんでしょ? 恵さんがそんなふうに言うことじゃないんじゃない?」
莉子ちゃんも、ついに言い返してしまった。うーん、ここら辺はまだいつもの莉子ちゃんだけど……
私は、あわてて莉子ちゃんの腕をとる。
「莉子ちゃん、もう帰ろうよ」
「ちょっと待ってて、美優」
私が伸ばした手を、莉子ちゃんは握って止めた。私たちの様子を、恵さんは、ふん、と見下ろす。
「莉子さんて、いつもそうだよね。美優さんが迷惑してるのがわからないの?」
「だったら恵さんだって、さっちゃんが何も言わないのをいいことに、偉そうに何言ってるのよ。さっちゃんが文句言ったの? 恵さんは、なんでもかんでも理由をつけて自分が偉ぶりたいだけでしょ?」
「な……!」
か、となったらしい恵さんが、どん、と莉子ちゃんを突き飛ばした。予想外の行動に、莉子ちゃんは机の間に倒れ込む。
「痛っ!」
「いい気味よ! さっちゃんだってさっきこうされたんだからね! 自業自得!」
けれど、転んだのは莉子ちゃんだけじゃなかった。莉子ちゃんに腕をつかまれていた私まで、一緒に机のわきに倒れ込んでしまった。
「何すんのよ!」
莉子ちゃんは怒りながら立ち上がると、私も起こしてくれる。
「美優、大丈夫?」
「うん、莉子ちゃんも……」
「おい、いいかげんにしろよ」
それまでまわりも黙って見ていたけど、さすがに颯太が声をかけてきた。私まで転ばせる気はなかったらしく、さっちゃんも、しまった、という顔をしている。
「口げんかくらいならほっとけるけど、ケガさせるようなまねやめろよ。だいたい、恵さん、それで怒ってたんだろ? 自分が同じことして、どうするんだよ」
「だって……莉子さんが悪いのよ。なんで莉子さんはよくて私はだめなのよ」
「莉子だってだめだろ。どっちもどっちだよ。莉子は謝ったんだから、それでもういいだろ? なあ、皐月さん」
さっちゃんは、黙ったままこくりとうなずく。
「何よ……」
恵さんは、き、と颯太を睨んだ。その瞬間、背中にある黒いもやが、ぐわあと大きくなって私は息をのんだ。
恵さん……?
「みんなして莉子さんばっかりかばって……そんな風に甘やかしているから、莉子さんがつけ上げるのよ! 親だっていいかげんだから、簡単に離婚なんてするんでしょ?!」
恵さんが言った一言に、私を含めてクラスのみんなが固まった。
私は、とっさに莉子ちゃんの顔を見る。莉子ちゃんも驚いた顔をしていた。あの話は、まだ誰も知らないはずなのに。




