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「ねえ、美優。あんた『青い鳥』読んだって言ったよね」
莉子ちゃんが、空を見ながら言った。
「うん。まだちゃんと書いてないんだけどね、感想文」
昨日は、公園から後の記憶がなくて、気がついたら朝で私は家のお布団の中だった。だから、また書けなかったんだ。帰ったら、今日中には書かなきゃなあ。
私は、莉子ちゃんを、そ、とうかがう。
いつもみたいにまた、ばか美優って笑うかと思ったけど、莉子ちゃんは空を見上げたまま言った。
「青い鳥はすぐ目の前にいました……って、幸せはいつでも近くにあるって話なんでしょ? あれ」
「うん。気付かないだけで、人のそばにはたくさんの幸せがあるんだよ、って、そんな話」
「ねえ、私の幸せはどこにあるのかな」
莉子ちゃんは、空に手をのばす。見えない何かをつかむように。
「青い鳥一匹まるごととは言わないから、青い鳥の羽だけでもいいや。……それだけの幸せでいいから、どっかに落ちてないかな」
「……ここにあるよ!」
消えていくような声で言った珍しい莉子ちゃんの弱音に、私はつい、大声を出してしまった。莉子ちゃんは驚いて振り向く。
「私がなる! 私が莉子ちゃんの青い羽になるよ! だから……だから、ね、だから……大丈夫だよ!」
ぽかんと口をあけていた莉子ちゃんの顔が、くしゃりと笑った。
「ばか美優。なーにが、大丈夫なのよ。意味わかんない。さ、早く帰ろう!」
そう言いながら莉子ちゃんは私の後ろに回ると、ランドセルをつかんでどんどん私の背中を押す。きっと、泣いている顔を見られたくないんだ。
「うん! 帰ろう!」
私たちは、二人で笑いながら歩いていった。
☆
「そうかあ、莉子ちゃんのとこ、離婚しちゃうんだ」
その夜、お夕飯を食べながら、私はママに今日聞いた話をした。ママは、箸をおいて残念そうに言った。
「うん、だから莉子ちゃん、元気がなくて」
「そうね。でも、萌ちゃんも引っ越しちゃったのに莉子ちゃんまでいなくならなくてよかった……って、莉子ちゃんには全然よくない話か」
その言葉を聞いて、つい私は笑ってしまった。
「私も、ママと同じこと思った」
「あら。そうなの?」
「うん」
そういえば、萌ちゃんの家族の話とか、どうなっているんだろう。
「ねえ、ママは萌ちゃんのパパやママに会ったことある?」
「ううん、あそこのご両親、どちらも忙しいらしくて、ママも会ったことがないの。越してきてまだ少しだったのにねえ」
そう言ってママは、小さくため息をついた。
「ママ、お食事中にため息はよくないわよ」
「あら、そうね。失礼しました。さ、早く食べちゃいましょう」
ママがちょっと大げさに謝って、二人で笑った。
今日のお夕飯は、旬のさんまと豚汁だ。大根おろしをちょっとつけて食べるの、大好き。
ご飯を食べてしまうと、食器を片付けながらママが聞いた。
「美優、今日の宿題は?」
「終わったよ。これ洗ってからお風呂入るから、ママも早く入っちゃって」
なんとか読書感想文も三枚終わらせて、明日の提出には間に合った。もう結論まで書いちゃってあったから結局、もう一度最初から書き直しになっちゃった。
莉子ちゃんも、終わったかなあ。……ちょっと読んでみたいな。莉子ちゃんの『泣いた赤鬼』の感想文。
「はーい。いつもありがとうね、美優」
そう言って、ママは私を、ぎゅ、と抱きしめた。
ご飯のあと片づけは、私の仕事だ。ママは司書として、毎日フルタイムで忙しく働いている。だから私ができることはなるべくお手伝いするんだ。たった二人の家族だもん。ママが喜んでくれるのが、私にとっては一番嬉しい。そして、いつもそういう時に、ぎゅ、としてくれるのも。
うちにパパはいない。2DKのアパートには、私とママの二人だけで住んでいる。産まれた時からパパがいないから、別にそれをさみしいとも思わない。
パパの写真も見たことないし、名前も知らない。おじいちゃんとおばあちゃんはいるらしいけれど、会ったことはない。
私たちは二人だけだけど、毎日楽しく過ごしている。
でも、莉子ちゃんはどうだろう。今までもパパは単身赴任だったからずっとママと二人だったけど、元からいなかったのと今までいた人がいなくなってしまうのでは、きっと全然違うんだろうな。
「美優、パパがいなくて寂しい?」
ふいに、私を抱きしめたままママが言った。
「うーん、いたらいいなあとは思うけれど、私にはママがいるから寂しくないよ」
「……ごめんね」
「ママ?」
「美優にパパがいないのは……ママのせいなの」
それを聞いて、私は洗い物の手を止めた。胸が急にドキドキし始める。
今まで、ママがパパのことを話したことはなかった。以前、ちょっと気になった時に聞いてみたら、思いのほかママが悲しそうな顔になっちゃったから、それからは聞かないようにしている。気にならないと言ったらウソだけど、それ以上に私は、ママにそんな顔をさせたくなかった。
「どうして?」
しばらく黙っていてから、ママはゆっくりと話し始めた。
「あのね、美優が生まれる前の話。ママは、パパが大好きだった。パパも、ママのことをすごく好きだって言ってくれて、とても嬉しかったわ。けれど、ママはパパに釣り合う人じゃなくて……でも、それでもいいってパパは私を選んでくれたの。だから私たちは幸せだった。そのうち、美優が私のおなかに来てくれて」
「私?」
「うん。そのまま一緒にいたら、美優をママから取り上げられてしまうと思ったの」
「え? パパが?」
「ううん。パパの……周りの人が。ママはね、どうしても美優と離れたくなかった。それで、悩んで悩んで……パパから離れて、美優と二人で暮らすことを選んだの」
「ママ……」
私は振り向くと、ママを、ぎゅ、と抱きしめ返した。ママも、まるで抱っこするみたいに私を抱きしめてくれる。
「いつかは話さなきゃ、と思っていたのよ。でも、言えなかった。美優からパパをとりあげちゃったことは、とてもとても悪かったと思っている。だから、美優に怒られるかなあと思ったし、ママにとってもまだつらい話だったから。でも今日、莉子ちゃんの話を聞いて、これから先、美優が莉子ちゃんの力になろうと思った時に、美優がパパのことを全然知らなかったら本当の意味で莉子ちゃんの力にはなれないかもしれないと思ったの。だから、美優にはまだ難しい話かもしれないけど、話すことにしたのよ」
「私、怒ったりしないわよ。ありがとう、ママ」
パパがどんな人かは、全然知らなかった。
実はパパは怖い人で、ママは逃げ出してきたんじゃないかと思ったこともある。でも、そうじゃなかったんだ。
「ママは、今でもパパが好きなの?」
「……うん。好きなの」
「よかった。私、ママとパパの間に産まれてよかったのね」
「美優?」
「いろんな可能性を考えたの。一番怖かったのは、パパがすごく悪い人でママはパパのことが大嫌いになってこっそり逃げてきたんじゃないか、ってこと。もしそうだったとしたら、ママはそんな男の娘のなんか嫌いなんじゃないかって思って、そんなのは悲しいなって……」
「そんなこと、絶対にないわ」
ママは、私の顔を見てハッキリ言った。
「ママは、美優に会いたかった。この手に抱いて愛してあげたかった。だから、パパのことうんとうんと好きだったけれど、そのパパよりも、美優を選んだの」
「ママ……」
涙ぐんだママにつられて、私まで鼻の奥がツンとしてくる。
「えへへ、すごいね私って。パパよりも、ママに愛されてるんだ」
「そうよ。世界で一番。美優がとても、大事」
「私も、ママが大好き」
私たちは二人で、涙を拭きながら笑った。
そうして今日は、二人でお片づけをして、二人で一緒にお風呂に入ることにしたのだった。




