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「ちょっと、美優! 聞いた?! 萌のこと?」
「莉子ちゃん?」
今日の日直で学校に来てすぐ職員室に行った莉子ちゃんが、すごい勢いで教室に飛び込んできた。何事かと、みんなの目が莉子ちゃんへ向く。
「萌、昨日転校しちゃったんだって!」
「「「「「「ええーっ!」」」」」」
大きな莉子ちゃんの声に、あちこちから叫び声があがった。
「ちょっと、莉子さん、どういうこと? それ」
「榊が転校? 聞いてねーよ」
「萌さんが……嘘……」
「知ってた? 美優ちゃん」
興奮しながら振り向いた真美ちゃんに、私は首を振った。
「ううん。今、聞いた」
ちょっと棒読みで答えた私に構うことなく、みんなは情報を持ってきた莉子ちゃんの周りに集まっていく。
昨日言ったとおり、萌ちゃんは転校したことになっていた。
でも。
確かに萌ちゃんは、私の記憶を消す、と言っていたのに。
今の私は、しっかりと覚えているのだ。萌ちゃんが、天使だったこと。
なんでだろう。昨日、藤崎さんに忘れさせられたんじゃなかったのかな。それとも、萌ちゃんみたいに、藤崎さんの力が私には効かなかったんだろうか。でも藤崎さんは、とても力のある天使みたいなことを、萌ちゃんは言っていたんだけど。
不思議には思うけど、確かに私は萌ちゃんのことも萌ちゃんが天使だったことも覚えている。どうしてなのかをたずねようにも、もう萌ちゃんはいない。
あのきれいな翼を覚えていられるのは嬉しいけど、やっぱり萌ちゃんに会えないのは淋しい。
「美優、知ってる? 萌の転校先」
「ううん、聞いてない。先生、なんて言ってた?」
「それが、あいまいでよくわからないのよ。どこへ行ったのかも教えてくれないし……冷たいよね。萌」
ぷりぷりと怒っている莉子ちゃんは、よく見れば涙ぐんでいた。その涙に、は、とする。
そっか。直接聞いていた私だって、こんなに悲しんだもん。何も知らなかった莉子ちゃんやみんなは、もっと悲しいよね。
莉子ちゃんの涙を見て、私まで泣きそうになってきた。ぐす、と鼻をすすりながら、私は莉子ちゃんに言った。
「きっと、なにか理由があったんだよ。私たちには言いたくても言えない事情があったんじゃないのかな」
私の言葉を聞いて、莉子ちゃんは、じ、と考え込む。
「そうだね。萌は、おとなしかったけど、いつだって私たちのことを考えてくれたもん。その萌が言っていかなかったんなら、きっとなにかよほどの事情があったんだよね」
「そうだよ。きっと萌ちゃんだって、今頃悲しんでるよ。いつか、萌ちゃんの方から連絡くれるかもしれないから、その時まで待ってようよ。だって、私たち、友達だもん」
すん、と同じように鼻をすすりあげて莉子ちゃんが言った。
「うん。そうだよね。私たち、萌の友達だもんね」
「うん」
落ち着いたらしい莉子ちゃんは、みんなが先生に提出する宿題のノートを集め始めた。日直の朝の仕事だ。
あれ?
その莉子ちゃんの姿を見るともなしに見ていて気づいた。なんかその背中に、黒いほこりのようなものがついている。
「莉子ちゃん、ちょっと待って」
「うん?」
振り返った莉子ちゃんの背中をぱたぱたと叩く。ふわんとそのほこりは形を変えるけど、相変わらず莉子ちゃんの背中にくっついていた。
「なに、ごみ? とれた?」
莉子ちゃんは、一生懸命自分の背中を見ようとぴょんぴょんはねる。
「……うん、とれたよ」
「ありがと、美優」
そうしてまた、ノートを集めに行ってしまう。私は、その背中をじっと見送った。
あれは……
同じような黒いもやを、昨日嫌というほど見た。しかも、もっとおおきなやつ。
宮崎さんの背中にあったあれと同じだ。
なんでそれが、莉子ちゃんの背中に?
そう思ってあたりを見てみると、ぼんやりと黒いもやが、クラスのみんなの背中に乗っていた。
ええ? 昨日までこんなの見えなかったのに。
「美優ちゃん。おはよう」
私がぼんやりとしていたらしく、さっちゃんが心配そうに顔をのぞき込んだ。 さっちゃんも、まだ目に涙を浮かべている。どうやら、私が萌ちゃんのことで落ち込んでいるのを心配してくれたみたいだった。
「うん。おはよう、さっちゃん」
さっちゃんは、おはよう、と微笑んで自分の席へとむかう。その背中にも、うっすらと黒いものがついていた。
人によって小さいものもあったし、大きいものもあった。全くない人もいるけれど、そういう人はクラスの中で数人。たいていの人はその黒いものをつけていた。
どういうこと?
私は、胸の前でぎゅっと両手を握りしめた。
☆
「莉子ちゃん、最近変わったことある?」
「変わったこと?」
その日の帰り道。二人でぽてぽて歩きながら莉子ちゃんに聞いた。莉子ちゃんの背中には、黒いもやがゆらゆらと揺れている。
「うん。変わったことって言うか……もしかしてだけど……嫌なこととかあった?」
萌ちゃんの言っていたことを思い出す。
心に闇を作ってしまうのは、確か、悲しかったり何かを欲しがったりした時だって言ってたけど、なんとなく莉子ちゃんの場合は、なにか落ち込んでいるような気がした。
ぽてぽて歩いていた莉子ちゃんの足が止まった。
「……なんで?」
「なんとなく。あ、別に何もなければいいんだけど」
私はあわてて手をふると、莉子ちゃんはにかっと笑顔になる。でも、わかってしまった。
莉子ちゃん、無理して笑っている。
「んー、よくわかったね、美優」
「莉子ちゃん?」
莉子ちゃんは、ちょっとだけうつむくと早口で言った。
「うち離婚するんだって」
「え?」
もともと、莉子ちゃんのところの両親は、あまり仲が良くないって聞いてた。いつも元気な莉子ちゃんだけど、そのことで辛い思いをしてきたことも知っている。
「いつ?」
「今年中には」
がん、と莉子ちゃんが通りすがりにあった塀をけとばした。
その背中にもわりと黒いもやが現れて、ラベンダー色のランドセルを包んでしまった。
「さっさと別れちゃえばよかったのよ。顔を合わせれば、けんかばっかりして。そんなに嫌いなのに、一緒にいることないじゃない。だいたい子供の前でけんかするなんて、おとなのすることじゃないよ。そんで、二人が幸せになるために離婚します、だって。冗談じゃないわ。その間にいる私のことは何だと思ってんのよ。あんなパパもママも、だいっきらい」
「莉子ちゃん……」
でも私は知ってる。本当は莉子ちゃん、パパもママも大好きなんだ。
「莉子ちゃんも、引っ越しちゃうの?」
「ううん、これからも今のアパートにいる。どうせ、パパは長いこと単身赴任だったから家になんかいなかったし、ママと私が今までどおりアパートに住み続けるのに問題ないんだって。ママが今の名前を使い続けるらしいから、私の名前も変わらないし」
「そっか。莉子ちゃんまでどっかいっちゃうわけじゃないんだ」
よかったあ。萌ちゃんがいなくなって、莉子ちゃんまでいなくなってしまうなんて寂しすぎるもん。
そう思ってから、は、と思い直す。
莉子ちゃんにとっては辛い話だもの。喜んじゃいけないよね。
「ご、ごめんね、莉子ちゃん……」
「なにが?」
莉子ちゃんは、そう言ってまたにかっと笑った。どうやら、気づかないふりをしてくれたみたい。
普段は元気で適当にも見えるけれど、莉子ちゃんはこういうところが優しいと思う。
「私は、どこにもいかないよ。だから、しょうがない。そんな美優でもずっと友達でいてあげる」
笑いながら私に抱きついてきた莉子ちゃんの、ちょっとだけ震えているその手を、私は、ぎゅ、と握る。
「うん! ずっとずっと、友達」
「ありがと」
ごしごしと、莉子ちゃんが顔を私の服にこすりつけると、何事もなかったようにまた歩き始めた。




