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「今、こちらの件が終わったことを天界に報告したの。もうすぐここへ、もう一人、天使がやってくるわ。私はもう力が使えないから、後処理をお願いするのよ。私一人じゃ、宮崎さんをおうちまで届けることはできないし」
「その人を待っているの?」
私と萌ちゃんじゃ、背の高い宮崎さんを運ぶのは大変だもんね。ということは、来るのは大人の天使なのかな。
その人も、翼を持っているのかな。……きれいな翼かな。
ぽやんとその姿を想像している私を萌ちゃんは複雑そうな顔で見つめながら、ぼそりとつぶやいた。
「あのね、美優ちゃんの記憶……私が天使だったって記憶を、消させてもらう」
「記憶? ……を、消す?」
いきなり聞かされた不穏な言葉に、私はきょとんと目を丸くした。
「私たちのことを生きている人間に知られるわけにはいかないの。でも美優ちゃんには私の力が効かないみたいだから、もっと力のある上の天使様にお願いしたのよ」
「萌ちゃんのこと、忘れちゃうの?!」
驚いて叫ぶと、萌ちゃんは首を振った。
「ううん、私のことは忘れない。私が天使だったってことと、この事件のことだけを忘れてもらうの」
「そんなこと、できるの?」
「私には無理だけど、もっと上の天使様ならできるわ」
「上って……」
「私は、級で言ったら下級に位置する天使なの。その上に、中級、上級天使様がいて、さらにその上には最高位に位置する大天使様がいらっしゃるわ。これからいらっしゃるのは、私の直属の上司にあたる中級天使様。とてもきれいなかたよ」
萌ちゃんはそう言って笑うけど、私はそれどころじゃない。
だって、その天使様が来るときは、萌ちゃんを忘れちゃうときなんでしょう?
そう言おうと口を開きかけると、萌ちゃんが何かに気づいたように空を見上げた。
「ほら、来たわ……え?」
萌ちゃんの視線を追って空を見上げた私は、思わずぽかんと口をあけてしまった。
うわあ……ほんとだ。なんて、きれいな人なんだろう。
茜色の空の中、大きないちょうの木のさらに上から降りてくるのは、本で見た天使そのものだった。着ているのがスーツということを除いては。
長い金髪がゆらゆらと揺れるその人は、大人の男の人だった。そして、その背中にある翼。その人の体の二倍もありそうなほど大きなそれは、うっすらと透き通っている萌ちゃんの翼とは違って、真っ白に光り輝いている。ちょうど、入道雲に光があたって光っているみたいに。
その男性は、翼をゆっくりとはためかせながら私たちの前に降りてきた。
「だ……!」
萌ちゃんはその人を見て息を飲むと、そのまま絶句して固まってしまった。
「お疲れ様、榊君。一人でよく頑張ったね。無事で、なによりだ」
「大天使様……!」
「大天使様?」
私が首をかしげると、萌ちゃんは興奮したように、でも小さな声で言った。
「普段なら私が話す機会もないようなえらーい人なのよ! 連絡したのは中級の天使様だったのに……」
「彼女は少し手の離せない用事があったから、私が代わりに。それに、前回の報告にあったことが事実なら、私の方が適任だろう」
ひそひそ声の萌ちゃんの声が聞こえたように、にっこりとその天使さんは笑った。その笑顔から目が離せなくなる。
こんなきれいな男の人、見たことない。天使……というより、どちらかというと神様みたいだ。
「で、君の力が効かない子って、その子かな」
「は、はい。相葉美優さんです」
その言葉で思い出した私は、とっさに萌ちゃんのうしろに隠れる。
だって、私の記憶を消しにきたんでしょ。この人。優しそうな顔をしているけれど……実は、とても怖い人だったりするのかな。
そんな私に、萌ちゃんは優しく手をそえてくれた。
「大丈夫。全然痛くなんてないし、大天使様の力なら絶対失敗はないわ。安心して」
「そ……そんなことじゃない。だって私、萌ちゃんのこと、忘れちゃうんだよ」
泣きそうになるのをがまんして言うと、萌ちゃんは少しだけ嬉しそうな顔になった。
「違うわよ。私のことを全部忘れちゃうわけじゃないわ。……ずっと友達でいてくれてありがとう。短い間だったけど、とても楽しかったわ」
「短いって、まだこれから……」
「私、今日で転校したことになるの。仕事が終わったから、天界に帰るのよ」
「ええ?!」
「美優」
驚く私を、ぎゅ、と萌ちゃんが抱きしめた。
「大好きだよ。もう会えないけど、私の事、忘れないでね。あと……黙って転校したことになっちゃうんだけど、できれば怒らないでね」
「そんな、萌ちゃん……」
混乱する私から萌ちゃんが離れると、天使さんが近づいてきた。とっさにあとずさると、その人は、その場で足をとめた。私は、背の高いその人を見上げる。
私から記憶を消そうとする悪い人、いや、天使なのに、その表情とか目とかは、とても優しそうだ。
その人は、じ、と私を見たまま、しばらく動かなかった。
「あの……」
あんまりに沈黙が続くから、つい、私から声をかけてしまった。その声で我に返ったように、天使さんはにこりと笑った。
「初めまして。僕は、藤崎といいます。君は……」
不自然に言葉を切って、その人はまた、じ、と私を見つめてくる。
「今、いくつ?」
「……十歳です」
「そうか。十歳か」
まだ黙り込んでしまった。
記憶を消すのに、年齢って関係あるのかな。お薬みたいに、十歳以下禁止とか。だったら、もうちょっと若く言っておいた方がよかったかも。
藤崎さんは、何か考え込んでいるようだった。もしかして、このままやめてくれるのかも。
「大天使様?」
不思議そうな声で、萌ちゃんも声をかけると、藤崎さんはため息をついた。
「いや……なんでもない。君が、僕の知っている人に良く似ていたものだから……」
「はあ……」
そういうと藤崎さんは気を取り直したように、すい、と片手を伸ばした。逃げる暇もなく、その手の平が私の額にあたる。振り払おうとしたけれど……体が、動かない。
「榊君と仲良くしてくれてありがとう。僕も彼女も、君の幸せを祈っているよ」
「あ……」
自分でやろうと思わないのに、自然に目が閉じていく。あわてて目を開けようとするけれど、体が言うことを聞いてくれない。そのまま眠りに落ちていくように意識が薄くなっていった。
「(美優ちゃん、元気でね……)」
最後に萌ちゃんの声が聞こえて、どうやらそのまま私は眠ってしまったらしい。だからその声が、その時の私の最後の記憶だった。




