- 1 -
「ねえねえ、読書感想文、なんの本にするか決めた?」
莉子ちゃんが、赤信号で足を止めて振り向きながら言った。二つに結んだふわふわの髪がいきおいよくゆれている。
答えようとした私は、その時急に吹いてきた強い風に思わず肩をすくめた。うう、今朝は寒い!
「莉子ちゃん、まだ決めてないの?」
私より先に、おっとりと萌ちゃんが聞く。多分、言いたいことは、私と同じだ。
だって、その宿題が出たのは先週の話。だから私は、昨日の日曜日に終わらせてしまった。提出は今度の木曜だから余裕はあるけど、まだ何の本にするか決めていないとは思わなかった。
莉子ちゃんは、ぷ、とほっぺたをふくらませる。
「私、感想文って苦手なんだもん。……去年のそのまま写しといちゃだめかな」
「ダメに決まってるよ、莉子ちゃん」
私があきれて言うと、莉子ちゃんは、むー、と口をとがらせた。とめなかったら、本当にやりそうだ。
「去年? 読書感想文の宿題って、毎年あるの?」
萌ちゃんが、首をかしげる。
「うん。あれ? 萌ちゃん、前の学校ではやらなかった?」
「そうねえ……なかったわ」
萌ちゃんは二学期になってからうちのクラスに転校してきたから、去年のことは知らないんだ。
「読書旬間に合わせて、毎年全校で書くのよ。上手に書けたら、県のコンクールとかにも出すんだって」
「そうなんだー。莉子ちゃん、去年は何書いたの?」
「『不思議の国のアリス』」
「ああ、アリス、私も好きなのー。莉子ちゃんも読んだのね」
ほにゃり、と萌ちゃんが笑った。その萌ちゃんを、莉子ちゃんは、ふん、と鼻で笑う。
「読むわけないじゃない。ディズニーの映画見て感想文書いたら、あれ、原作とずいぶん違うのね。やり直しさせられたわ」
「へ? 違うの?」
私は首をかしげる。映画も原作も見たことはないけど、同じものだと思っていた。
「らしいよ? 感想文突っ返された時に小言くれるのと一緒に沢田先生が教えてくれたんだけど、なんだか、『不思議の国のアリス』のほかに、同じ作者の書いたので『鏡の国のアリス』って話もあるんだって? それがまざった、ディズニーのオリジナルなんだってさ」
「そうなんだ! 知らなかった」
「私だって、知ってたらやらなかったわよ」
「でもそのあと読んだんでしょ?」
「一晩でななめ読みしたから、内容は全然覚えてないけどね!」
自慢げに胸をはった莉子ちゃんに、私はつい笑ってしまった。
「せっかく読んだのに、もったいないよ。それで、本当にまだ今年の本は決めてないの?」
「まんがか何かで映画化した話、知らない?」
「ちゃんとやらないと、またやり直しになるよ。私だって、原稿用紙二枚書くの、大変だったんだから」
「「え?」」
私の言葉に、萌ちゃんと莉子ちゃんが目を丸くする。
「美優ちゃん、感想文は三枚よ?」
「え?!」
驚いて声をあげた私を見て、莉子ちゃんがけたけたと笑った。
「なんだ、できてないなら私と一緒ね」
「で、でも! 私はちゃんと本も決めて一応書いてあるもん!」
「一緒一緒! あ、青になった。行くよ」
青に変わった横断歩道を、莉子ちゃんはどんどん行ってしまう。
私は、ふと気づいて信号の向こうにある時計塔を見上げた。
うん、まだ授業までには時間がある。
「ねえ莉子ちゃん、朝のうちに一緒に図書館……わっ!」
「美優?」
「美優ちゃん?」
時計塔を見ながら歩いていたら、うっかりと車道に出る段差につまづいて転んでしまった。
「痛……」
「ばか美優。ホント、ドジなんだから」
あきれたように言った莉子ちゃんのとなりで、萌ちゃんが手を貸してくれた。
「大丈夫? 美優ちゃん」
「うん。ありがと……あっ」
立ち上がったら、今度は私のランドセルのふたが開いて中身が道路の真ん中にばらばらとあふれてしまった。
「あわわっ……!」
「まあ、大変」
「何やってんよ!」
萌ちゃんと莉子ちゃんが、一緒にノートや筆箱を拾ってくれる。不機嫌そうな顔で止まってくれていた車のおじさんにぺこりと頭を下げると、私たちは急いで歩道へと走り抜けた。
「これ、入れとくわね」
歩道のはじによると、萌ちゃんは私の後ろに回って拾ったものをランドセルに入れてくれた。
「もー、美優は本当にドジなんだから。朝から恥かいちゃったじゃない」
莉子ちゃんが、持っていたノートを萌ちゃんに渡しながら口をとがらす。
「ごめん、莉子ちゃん……」
ああもう。ランドセルのふた、ちゃんと閉めたつもりだったんだけどなあ。
しゅん、としていると、後ろから声がかかった。
「なにやってんだよ、美優」
振り返ると、同じクラスの颯太だった。慎くんも一緒だ。
「おはよう、美優さん。朝から災難だったね」
「おはよう、慎くん。……見てたの?」
「偶然見えちゃったんだよ。ちょうど通りがかったところだったから」
にっこりと慎君は笑うけれど、うう、恥ずかしい……
「ったく、その様子じゃ、今日、にわとり当番だって忘れてるだろ」
「えさ……あっ!」
颯太に言われて思い出した。
うちの学校では、にわとりを三羽飼っている。五年生が順番で世話をしているんだけど、そういえば今日はうちのクラスで、私と颯太が当番だった。
「忘れてた!」
「だろうと思った。月曜の当番のヤツって、忘れやすいんだよな。そうでなくても美優はどんくせーのに」
「ど、どんくさくなんてないもん! 急がなきゃ!」
歩き出そうとした私のランドセルを、颯太ががしりとつかんだ。
「今日はいいよ」
「え、なんで?」
「俺と慎でやっとくから、お前は、保健室」
「保健室?」
「美優さん、ひざ、すりむいてるよ。ほら、ここ」
見れば、私の左足のひざが見事にすりむけて、血が流れていた。
「このままじゃ、スカート汚れちゃうから、少しふいとくね」
慎くんは私の前に膝をついてしゃがみ込むと、痛くないようにそっと私の膝の血をティッシュでぬぐってくれる。
「ありがと、慎くん」
「どうしたしまして。結構、出血してるよ、これ」
「ほら、これも使え」
颯太が持っていた自分のポケットティッシュも渡してくれた。ぐしゃぐしゃだ。
「あ、うん」
「うわ、美優、痛くないの、それ」
顔をしかめて莉子ちゃんが言った。
「……ちょっと、痛いかも……」
言われるまでは気づかなかった。けど、気づいたとたんに、その傷はひりひりと痛みだしてくる。情けないのと痛いのとで、じわり、と涙が浮いてきた。
「ホントにドジだな、美優は」
颯太が、莉子ちゃんと同じことを言いながらぐしゃぐしゃと私の髪をかき回す。
「や! やめてよ、頭ぼさぼさになっちゃう!」
あわてて颯太の手を振り払うと、意地悪く颯太が笑った。
「さっさと手当てしてもらえ、それ」
「美優ちゃん、一緒に、保健室行こう」
「ありがと、萌ちゃん。じゃあ慎くん、にわとり当番お願いしてもいい? 次の慎くんの当番の時、代わるから」
私が慎くんを見上げた時だった。
「慎くん、おはよう」
「おはよー!」
後ろから、二人の女子が声をかけてきた。一組の安永さんと菊池さんだ。
「おはよう」
慎くんがあいさつを返すと、私と慎くんのあいだに入り込むように安永さんが立った。
安永さんは、すらりとした美人さんだ。頭もいいし人気もあるし、来年の児童会長は安永さんか慎君になるだろうって言われている。
そんな二人が並ぶと、美男美女でそれはそれは豪華な組み合わせだ。
「ねえ、朝の時間、一緒に図書館行きましょうよ。昨日話してた参考書、持ってきたの。例の問題、詳しく教えてくれる?」
「ごめん。今朝は僕、にわとり当番なんだ」
「今日? 慎君の当番て、まだ向こうじゃなかった?」
「本当はね。今日は、美優さんの代わり。彼女、けがしちゃったんだ」
「けが?」
安永さんと菊池さんが、私の視線を追って膝のけがに気づいた。菊池さんがあきれたように眉をひそめた。
「たいしたことないじゃない。それくらいで慎くんに当番代わってもらうの? がんばれば、にわとりの世話くらいできるわよ」
少しとげのある言い方に、ひゅ、と息がつまる。
「僕が代わるって言ったんだよ。ばいきんが入ったりしたら大変だから、すぐ手当てしてもらった方がいいし。だから、今朝はごめん。またにしてくれる?」
「慎君、やさしー」
ちらりと私を見て、菊池さんが続けた。うう、私、にらまれてる?
「うっせえな、慎がいいって言うからいいんだよ。てめえらには関係ないだろ」
乱暴に颯太が言って、慎くんの手を引っ張ると歩き始めた。
「ちょっと。まだ話してる途中じゃない」
「早く行かないと、時間なくなるんだよ。美優、さっさと保健室行けよ」
「あ、うん。ありがと。慎くんも、ありがと!」
慎くんは振り向いてにっこり笑うと、手を振りながら颯太に引きずられて行ってしまった。あとから安永さんたちもついていく。
「相変わらずもてるねえ、慎之介」
ゆっくり歩く私に合わせてくれながら、莉子ちゃんが笑った。
「慎君に迷惑かけちゃったかな、私。なんか勉強する予定あったみたいだし」
「ないない。あったら、慎之介が言うでしょう。約束を忘れるようなやつじゃないし」
「そっか」
話しながら歩きはじめたら、だんだんと足がズキズキ痛み出して考えがまとまらなくなってきた。
「足、やっぱり痛くなってきたかも……」
「すり傷だから痛むのよね。早く保健室行きましょう」
冷たい風が吹く中、私たちは急いで保健室へとむかった。




