良さげな女の子
ニコに手を握られて外に出ると、目の前には分厚い木の扉が開かれ、兵士らが敬礼をしている。
「兄さん、遅かったですね。」
城の中からニコの元へ走ってきたのは、ニコの双子の皇子だろう、ニコの瞳と髪を黄色にすれば非常によく似ている。
皇子は一瞬私を認めて、ニコに問いかけるような視線を送った。ニコはそれに対してコクリと頷く。双子だけの言葉の要らぬ会話なのだろう。ちょっと羨ましく思っていると、皇子が私に微笑んできた。
「はじめまして。ドラグモンド国皇子のゲオルクといいます。ニコル=ハルヴァンの双子の弟です。」
ゲオルクはそう言って、私の目の前で一礼をとった。兵士らも見ている中、私はどのような行動をとるべきか、訳が分からず、ゲオルクとニコとを交互に見やる。ニコは微笑んで「行きましょう。」と言って私を城の中へと手を引いた。
「場所はいつもの所ですので。」
ゲオルクの言葉にニコが頷くと、ゲオルクはそのまま足早に去って行った。
何しに来たのだろう、と思い、足を止めずに進んでいくニコを見やると、ニコはそれに気づいたようだ。
「クロに挨拶だけでもどうしてもしたいと、ずっと強請っていたんです。私は拒否してたのですが。」
「え、でも、それだけのために、わざわざ出迎えてくれたの?」
「一目でも見たかったのですよ。顔が見られないので、私を睨んでましたがね。」
「え!いつ睨んでたの!?そんな顔してなかったよね?」
「表情を隠すのが上手いんです。」
やはり双子、わかるものなのか、と感心していると、どうやら目的の場所に着いたようだ。ニコが扉を開いた。
部屋の中は、書類の山、山、山だった。執務机と思わしきものも山に埋もれ、応接机にも山がある。壁は一面の本棚になっており、様々な本が並んでいた。すると、ニコは申し訳なさそうに、お面を覗き込んできた。
「………、クロ、申し訳ないのですが、暫くここにいて頂いてもよろしいですか?すぐ戻りますので。」
「わかった。」
ニコは握っていた手を一度ギュときつく握りしめて離すと、そのまま外へと出て行った。
「行ってらっしゃい。」
と、私が言うと、代わりにセルゲイが中へ入ってきた。そういえば、挨拶をする機会を脱してしまったと思い、軽く会釈する。
セルゲイも返してくれた、途端、前につんのめった。
後ろから勢いよく扉が開かれたからだ。扉を開いたのはシュワルだった。まだ顔色は悪いが、大分良くなっている。
「お嬢、ニコは?」
「い、いつもの所、らしいです。」
「わかった、ありがとう。」
言うが早いが、シュワルは駆け出していった。セルゲイは流石というべきか、不憫だというべきか、何事もなかったかのように立っていたが、私の視線で少し気まずそうな顔をしていた。
「大丈夫でしたか?」
「はい、問題ないです。」
和やかに言葉を交わしていると、全身が熱く、痒くなってきた。蕁麻疹が出てきたのだ。
「セ、セルゲイさん、申し訳ないのですが、扉の外にいて頂けないでしょうか?」
「ニコルには中で見張ってろと言われていますので……。」
「そこを、どうか。ニコにどこまで聞かされているか知りませんが、私は人間に近づきすぎると蕁麻疹が出るんです。」
そう言って、真っ赤に染まった腕を服の袖から出すと、セルゲイはすぐに頷き慌てて部屋から出てくれた。
「かゆいかゆいかゆいかゆい」と、掻く代わりに唱えながら、腰につけた革袋から手作り軟膏を出す。全身に塗りたくっていくと、次第に治まってきた。
予防ができるといいのに……、どうしてニコなら蕁麻疹が起きないのだろう?と、考えていると、扉の外から女性の声とセルゲイの声が聞こえてきた。その声には聞き覚えがある。
「ニコル様は中にいらっしゃるでしょう?開けてくださらない?」
「既に皇王との会議にお出でです。ご用件があるならば、伝えておきます。」
「中で待つわ。」
女性はヒールのようなものを履いているらしく、カツカツと近づいてくる音がしたが、阻まれ、その音は鳴り止んだ。
「あなた、私が誰かご存知よね?ニコル様の護衛なのですから。」
「だとしても、主の命令ですので。」
「未来の主が言っているのよ?」
未来の主、か……、もしかしたらニコの将来の上司か何かだろうか、と検討をつけながら、セルゲイの押され気味の様子を鑑みて、隅にある書類の山の裏に身を隠すことにした。
「私の言っている意味がお分かりになったかしら?」
女性はそう言って扉を開き、後ろに側近をつれて部屋の中に入ってきた。橙色の髪と瞳を持ち、煌びやかなドレスを着た、出ているとこは出ているナイスバデーな美しいねえちゃんだった。
そうだ、思い出した!昨日のイルマ様だ!
一度思い出すと、記憶は芋づる式に引き出された。確か、怪しいものはいないかとニコの家に押しかけてきたこの女性の従者に、ニコを信じる、とか何とか話をしていた。きっと、ニコと親密な関係なのだろう。
私は書類の隙間から、イルマ様をもう一度見てみる。
ニコと並んだら、お似合いだね!
ニコに良さげな女の子を引き合わせる、という私の課題が早々に解決しそうだ。歓喜の歌を頭で再生しながら、続きイルマ様を見ていると、彼女達は思案顔でニコの書類タワーに手を突っ込んでは中を見てみたり、引き出しの中を覗いたりと、忙しそうだ。
浮気を疑う妻みたい……。
そう思った時、更に合点がいった。
未来の主とは、未来の奥様、即ちニコの婚約者という意味ではないだろうか?だとしたら即ち、わざわざ私がニコに女の子を連れてこなくてもノープロブレム?だとしたらすなわち、既に問題は解決?だとしたらスナワチ、お家帰れる?
物事は前向きに考えるべきだ。
そもそも、人間とは異なる私と人間の王族のニコなど身分が違いすぎる。王族のニコに身分相応な婚約者がいても全くおかしくはない。とすれば、私の帰省は目前だ。イルマ様がニコと婚約関係にあるかどうかを確かめてみれば、随分と肩の荷が降りるのだから。
私はまず、イルマ様がニコの婚約者かどうか確認するための作戦を立てていくと、イルマ様は婚約者(仮)であるニコの浮気調査を粗方終えることができたらしい。そのまま扉へと向かっていった。
私は天上に張り付いて窓の外へ出た。
城壁は煉瓦造りなので張り付きやすい。
外にはすぐ下で、魔術師の見習いたちなのだろう、『燃エテマエ、ファスとりーあ!』やら『吹く飛ばすて、りえりえエ!』などと少々間違った古代語を叫んで訓練している。チラリとその様子を見てみるが、やはり手からは何も出ていなかった。
もう少しその様子を見たい気もしなくもなかったが、見られたら怪しまれるので、私はすぐに隣の窓を覗き込み、誰もいないことを確認して中へと忍び込んだ。
中にはベッドと丸テーブルがある。ニコの匂いがするので、多分休憩用の部屋なのだろう。
外へ出る扉に耳を押し付けてみると、イルマ様の声が聞こえた。
「ニコル様が中々来られないようだから、直接会いに行くことにしたわ。」
イルマ様の靴の音が前を通り過ぎる。私はドアを少し開き、セルゲイが執務室の扉を開く音が聞こえたのと同時に、天井に張り付く。天井から下を見下ろすと、イルマ様は階段を降りているところだった。
私は素早く天井から一階へと飛び降りる。スタンと音がしたが、まぁ大丈夫だろう。そのまま柱の影へと隠れた。
イルマ様が一階に降りた時には、二階の執務室からドアの開く音が聞こえた。セルゲイが私を探すために部屋から出たのだろう。
しかし、今は私の死活問題なのだ。後で謝るからジッとしていてくれ、と心の中で思いながら、イルマ様の向かう先を観察する。
イルマ様は奥にある回廊へと向かった。その廊下の両脇には兵がいるので、天井にくっつき這いながら私も廊下を渡る。
渡り終えようとした所で、イルマ様はスカートの裾を持ち上げるようにして、駆け出した。その方向には、ニコがいる。私は素早く物陰に隠れた。ニコがチラリとこちらを見た気がするが、多分大丈夫なはずだ。
王族の会議が終わったのだろう。後ろにはシュワルがいた。
「ニコル様!」
イルマ様が、ニコに駆け寄るのを、ニコは微笑んでその様子を見ている。
「イルマ様、どうなさいました?」
「どうって、本当につれないわね。私たち婚約しているのに。今日は父上と話すのでしょう?父上に連れてきてもらったの。」
「そんな、わざわざ遠くから……。光栄です。」
ニコはそう言って、イルマ様の手を取った。
「では、庭園でも見て回りましょうか。」
「ええ、是非。」
二人は微笑み合い、ニコはイルマ様に腕を組ませて歩いて行った。
言った!言ったよね!私、聞いたよ!
うひょー、と興奮して天井でゆっさゆっさと体を動かしていたら、やはり目立ってしまったらしい。下でシュワルが私を見上げながら、「お嬢……。」と言い、私は冷静になれた。
冷静になり、バレてしまったので、そのままシュワルの前に着地した。
突然現れた私に、向こうにいる兵が気づき、走り寄ろうとした所をシュワルが身振りで諌めながら、私に微妙な顔をして尋ねてきた。
「お嬢、どうしてこんな所に?」
私は一気に脳みその回転を速くして、言い訳を考えた。
「……、と、図書館とか、ないかなーって思いまして。」
すると、シュワルは私の返答に顔を背けて肩を揺らし始めた。多分、笑っているのだろう。が、何がおかしいのかわからない。もしかしたら、私の嘘の言い訳はバレているのだろうか。
やきもきしながらしばらくすると、シュワルは落ち着いたのか、佇まいを正して真面目な顔で私に向き合った。
「なるほど。図書館でしたら、こちらですね。」
嘘であるとバレてしまったのかもしれないが、シュワルはそのまま受け止めてくれたようで、図書館へ案内してくれることになった。一方で、シュワルは歩きながら何か気になるのか、口元をモジョモジョさせて私をチラチラ見ている。
私は墓穴を掘らないように、シュワルを無視しながら後についていく。気まずい中歩いて行ったので、時間が長く感じられた。
そのようにして長い回廊を進んでいくと、大きな両開きの古い扉の前に、シュワルは立ち止まった。
「……、ここですね。」
「ありがとうございます。」
私は礼を述べるが、シュワルはそこから離れない。何か言いたいが、言い出せないようだ。
「あ、あの………、どうかされました?」
私が聞いてみると、シュワルは意を決したように、顔を上げて口を開いた。
「確認なのですが、お嬢はどこから聞いていたのですか?」
もちろん、
「最初から、ですね。」
「ご、ご感想は?」
もちろん、
「ニコに良い人がいて本当に良かったです。」
私が言うや否や、シュワルは噴き出して笑い出した。
そんなにおかしな事を言っただろうか?前々から思っていたが、シュワルのツボがよくわからない。
「はー、面白かった。お嬢、ありがとう。それじゃ、また。」
何に感謝したのかわからないが、シュワルはそう言って、もと来た道を戻っていった。
私は首を傾げながらシュワルの背中を暫く眺め、図書館の扉を開いた。