おじさん
昼飯はタリィスープと焼いたグムリの肉だ。赤ん坊にはタリィスープにハーリナ粉を溶かして、膝の上に座らせながら食べさせた。
『ひひはふふはほへほは(君は、どこかの由緒ある子のようだから、すぐに探しに来ると思うんだけどねぇ。)』
熱い肉を咥えたまま、赤ん坊の口にタリィスープを運び、話しかける。
肉の塊をゴクリと飲み込み、そもそもこの赤ん坊が、どこの生まれか把握していないことに気がついた。
『そうだよ、君ってどこの人?』
赤ん坊の眼を覗いて聞いてみるが、返答はない。返答どころか、ずっと動かない。さっきから、口をもぐもぐさせながら眉を寄せて私を睨んでいる。しかし、匙を持っていけば、睨んだまま口を開いてくれる。
『君の今後に関わることなんだからさぁ、もうちょっと協力的になってよ。』
もぐもぐさせている頬を、赤ん坊を支えている方の手でツンツンしてみたら、バシリと叩かれた。
『早く親元に帰りたいんだろうけど、そんな態度だと戻れないよ。』
そう言って匙を持っていったら、今度はそっぽを向かれてしまった。
そっぽを向いた赤ん坊の口の方へ、匙を持っていけば、自分で咥えて食べている。なんて強情な奴。
仕方がないので、その方法で食べさせることにした。
赤ん坊の出身には三つの国が考えられる。
チムリ達の取引先のど田舎国。ど田舎国は、この山脈と海に囲まれた扇状地を国土としている。
そして、ここを境に反対側にある国々だ。私の想像に及ばない広大な大陸に様々な国々が犇いている。
可能性としては、赤ん坊を見つけた場所に近い、ど田舎国が高い。
明日、そちらの方の様子を見てみるか。
赤ん坊にタリィスープを食べさせ終えたので、そっぽを向く赤ん坊の両頬を包んで無理矢理、勿論優しく、こちらに向かせると、不貞腐れた顔で口の周りが青いスープだらけだった。
今まで赤ん坊らしい所を見ていなかった分、いや、全く可愛くないのだが、スープを垂らした顔を可愛い、と思ってしまい、つい手が伸びて頭をなでなでしてしまった。スープはその後で適当な布で口を拭った。
私はチムリから買い取ったボームの実を、行きと同じように、連ねるようにして腰に結びつけた。赤ん坊はいつものように前抱きにして結びつけて、準備完了だ。チムリの村に、じゃあね、と声をかけると、畑に出ていたチムリ達が送り出すように飛び跳ねてくれた。
私は、工場に向かう前にメクリ湖で置いていったボームの実と胃袋を回収し、バターを作るために胃袋を片手で振りながら走っていった。工場に着く頃には私のシェイクの腕前もあって胃袋はコロコロと音がしていた。胃袋は、そのまま雪の下に埋めて保存する。雪の下に埋めておけば、味は落ちるが10日間くらいは保ってくれるだろう。
今度はメクリミルクの入ったボームの実だ。赤ん坊に飲ませる分を革袋に移し、ボームの実の中に干したチョコレートの実を入れて、振りまくる。振りまくって振りまくったら、ひと段落だ。これを三日間くらい繰り返し振って、雪が溶ける頃まで寝かせば飲み頃になる。全て友人らが飲み干すのだが。
やることを終えて一息つき、赤ん坊の方を見てみた。
赤ん坊はじっと私を見ている。
私は頷いて、オムツチェックをしたら、何故か叩かれた。
何だよ、と思い、赤ん坊の顔を覗き込んでみると、赤ん坊は私の瞼を触れ始めた。
目が痒いってことかな?
取り敢えず、赤ん坊の意思を汲み取ろうと、じっとそのままにしていると、赤ん坊は真剣な表情で、手をそのまま私の頬に下ろしていった。
触れるか、触れないかの距離で手を頬に近づけるので、だんだんくすぐったくなってきた。むず痒く、目を閉じると、脳裏に人影が現れた。
咄嗟に目を開くと、そこには澄んだ水色の双眸があった。
『ちがう』
自然と口から言葉が出たが、自分で自分が何を言ったのか、わからなかった。
違う?何が?
一瞬、何か思い出せる気がしたのだが、すぐに思い出せる気配は失ってしまった。
赤ん坊は私の言葉などを無視して、そのまま頬を、唇を、同じように触れている。
赤ん坊のその様子に、自然と口角が緩くなった。
小さく、しかし確かに温かな手を、私に何を求めているのか分からないが、真剣に動かしている赤ん坊に対して、……いや、逆かもしれない。赤ん坊の温かさを感じて、私が今ここにいることを実感できるからなのかもしれない。
私は朝の時のように、赤ん坊と私の意思が通じあえたらいいのに、という思いで、額と額を合わせた。
温かだった。そして何故か切なかった。
夕飯を腹に納め、寝る準備をして床に就いたが、私は夜中に、また『て』という言葉を呟いて、目が覚めてしまった。
赤ん坊に反応して言ったのだろうか、赤ん坊は、また私の顔を覗き込みながら私の頬を触れていた。
やはり、『て』は『手』なんだと思う。
私は赤ん坊の手に手を重ねた。
『君、眠れないの?』
赤ん坊は返事をしない。動きもしない。
『そうだよね…。お母さんやお父さんと、家族と離れ離れなんだから当たり前だよね…。』
赤ん坊は答えない。
赤ん坊の瞳には私が映り込んでいる。
『私さ、』
私が次の言葉を紡ごうととした時、遠くからフヨンフヨンフヨンフヨン…という何とも気が抜けるような音が耳に届いた。
私はしばし、呆然としたが、はっと閃き、そのままパチリと赤ん坊の両頬を包んだ。
『君!君がどこの出自かわかるかもしれないよ!』
言うが早いが、私は一気に真冬の夜の下へ出る準備をし、赤ん坊とともに工場を飛び出した。
外はしんしんと、雪が降っていた。
どこにも無駄な明かりがないため、三つの月の光がリースの木肌を青白く照らしている。黒い影は私達とリースの木々だけ。動いているのは私達だけだった。
フヨンフヨンフヨンフヨン、と、前世の頃だったら「未確認飛行物体、U*F*O!」と言って飛び出していたような音は、段々と大きくなる。
遠くの方では、黄色に赤色に緑色に、様々な色がキラキラと輝いている。
私はそこに向かって、お腹から声を出した。
『おっじさーん!』
おじさんにぶつからないように、勢いを一気に抑えた。
目の前にいるおじさんは世界中の国々を廻る道化師だ。
大小不揃いのまん丸な深い銀色の目と、丸く大きな赤い鼻、大きく吊り上げてわざとらしい笑みを浮かべている唇をはりつけた仮面を被っている。
その仮面は、三本の紫色の角を生やさせ、妙に派手な服を纏った雪だるまのような身体の上に鎮座している。
おじさんは、カムユという楽器を背に担ぎ、フヨンフヨンと空を泳いでいるフヨリという動物の上に胡座をかきながら、ランプをぶら下げた釣竿で星釣りをしている所だった。
おじさんは唇は吊り上げたまま、私に言葉を返してきた。
『ララ!愛し子さんラないラ!』
『うん、久しぶり。』
おじさんはそう言うと、一気に口をそぼめて、私に投げキスをした。口からハートマークが見える気がした。
おじさんは何故か挨拶する時だけ口が動くし、口癖も治る。
『ラタンのお導きに感謝を。』
私も口に手を触れておじさんに投げ、同じように言葉を返した。
ラタンは闇の精霊だ。普段寝ていることが多いので殆ど話すことはないのだが、起きた出したら利子付きで一括請求してくるので侮れない。
よし、メクリミルク酒を一つ追加だ。
『星釣りは順調?おじさん。』
これも、おじさんへの挨拶の一種だ。返答によって、これからの質問に答えてくれるかどうかが決まってくる。
『まぁまぁラ〜。』
うん、何がまぁまぁか、全く分からないが、私の質問にはモノによっては答えてくれるらしい。
『おじさん、この子なんだけどさ。』
私が赤ん坊をおじさんに見せると、デカイ顔を更にデカくさせて、赤ん坊に顔を近づけた。赤ん坊はビックリして目を見開いている。
『うひょー!!』
と、おじさんは両腕を振り上げ、ステーンと後ろへ転がった。その衝撃で仮面は身体を離れてコロコロとフヨリの上を転がり、そこから『エライコッチャラ、エライコッチャラ!』と叫んでいる。
暫く転がって、落ち着いたのか飽きたのか、手で仮面を元の位置に戻すと、コトリと顔を傾げた。
『で、何の質問だラ?』
『………この子の生まれのことなんだけど…。』
おじさんは、よっこいしょ、と言って腹ばいになると両手で頬杖をつき、私の次の言葉を促すように、リズムよく頷いていた。
『おじさんは色んな国を廻って、時には貴族や王族に呼び出されるんでしょ?多分、この子はそういった生まれだと思うんだ。……赤ん坊が、どこかで攫われたとか、行方不明だとかの噂なんかを聞いたことない?』
『うーん。守秘義務があるかララ〜。』
『守秘義務…。』
『でも、その子のお国だけ教えるラ。』
おじさんの三本の指の内、1本が伸び出し、ある方向を指差した。
『そこラ〜。ドラグモンド国。その子の捜索隊が出てるラ〜。』
ど田舎国か…、それは予想通りだが、捜索隊が山に入っていれば気付かないはずがないのに…。
と私は疑問に思い、思考を深めようとした時、目の前におじさんの顔が現れた。
『愛し子さん、お礼が欲しいラ。』
『お礼?』
『そうラ。』
まさか、友人らのように色々要求するつもりなのかな…。うわー、面倒だよ〜。
咄嗟にそう思うが、おじさんの要求は案外簡単なものだった。
『お礼は愛し子の髪の毛ラ〜』
『か、髪の毛…。ま、まさか全部!?私ハゲちゃう!?』
『ラララララっそんなにいらないラ。星釣りの餌にするだけラ。1本欲しいラ。』
『良かった、1本ね。』
もっと要求されるのかと思った…。良かった〜。
私はそう思いながら、髪の毛を1本抜き取りおじさんに渡そうとすると、赤ん坊がそれを止めようと必死に腕を伸ばしてきた。
『ただの髪の毛だよ。』
と言って赤ん坊を宥め、その隙に髪の毛を渡すと、おじさんは喜ぶように、銀色の目の大きさが変わり始めた。
『ラララララっ、これで良い星が取れるラ〜。』
『それは良かった。じゃ、おじさんありがと!』
別れの挨拶を、と思ったが、おじさんは既に星釣りに夢中である。私はそのまま帰ることにした。
赤ん坊の様子を見てみると、私を睨んでいるが、眠気には負けているようで、小さな欠伸をしている。
『もう眠いよね。さっさと帰って寝よう。』
私はそう言って、走りながら、ふと空を見上げてみる。
二本の交差した天の川に、赤や緑といった様々な色の星が泳いでいた。今日は絶好の星釣り日和のようだ。おじさんが張り切るのもわかる気がした。
そして私はそのままリースの枝に顔を打ち付けた。