赤ん坊拾いました。
一話目は暗いです。
久々に火薬のにおいが鼻を擽った。
いつもは父上達と同じように気にしないのに、今日は何故だか無性に気になって、そのにおいの元へと駆けだした。
雪と、白い木肌を持ったリースの木で景色は白いまま、匂いだけが段々と増していくのを感じていると、グムリの咆哮と銃声が耳に入ってきた。雪に吸収されるはずの匂いと音が、ここまで大きいということは随分近いのだろう。
グムリは普通咆哮をあげない。獲物の五感、そして第六感にまでも察知させないこの動物は最も狩りが上手いとされ、狩りをしながら流浪する民たちが神として崇められている。咆哮を上げるのは、グムリはグムリでも“森荒らし”だ。“森荒らし”とは、巣穴に潜り込むことが出来ない程成長してしまったがために、冬眠ができなかった個体だ。その名は、極寒の空気に常に奪い取られる体温を維持するために、見境なく何でも食いついていく習性に由来する。“森荒らし”の場合はてっとり早く、その巨体を生かした咆哮を上げることで獲物を麻痺させてしまうのだ。
駆けていく中、この行動の無意味さについて頭の隅で考えた。このまま辿り着いても、“森荒らし”の狩りの様子を眺めるだけだろう。しかし、何故だか足は止まらない、そして逡巡する間に、眼前には“森荒らし”が食らいつこうとしていた。
食らいつかれようとしている銃の持ち主の体は完全に強張り、微動だにしない。ただ両眼だけが、突如として現れた私に向けられた。既に肉片と化す運命を悟り視野が広くなったのか、それともその現実を逃避しているのか、己の生命を終わらせる主へ向かわせるはずの意識をわざわざ私に向け、両眼をわざわざ見開きながら、「ばっ」、という音だけをわざわざ残していった。
肉が残した言葉にもならないその音は、耳を辿って私の奥底の澱を湧き上がらせた。それを感じ取ったのだろう、“森荒らし”は食事途中にも関わらず私の前から消えてしまった。
申し訳ないことをした、と思いながら、ふと、前を見据えると真っ白な布の塊があった。私は無意識にその布の塊の元へ足を運び、膝を折りすぐ手が触れるところまで近づいた。
その時 ‘いやな’予感がしていたことは、後になって気づいた。この時、今まで麻痺していた、前世ではあったはずの何かが都合よくしゃしゃり出てきて、白い塊から漂ってくるミルクや石鹸そして香料の匂い、そして呼吸の音で、一気に浮かび上がったはずの‘いやな’予感をすっぽりと覆い隠したのだ。
そして、手触りの良い布を捲ってみると、そこには赤ん坊の顔があった。
屈託の無いあどけなさを見せるその顔によって、湧き上がった澱は一気に沈殿していった。更には今まで自然に頭の隅に追いやっていた、前世の可愛がっていた義弟を思い出した。
もしかしたら、義弟の影を求めて足は勝手に私をここまで運んだのかもしれない。勿論、この赤ん坊が私の義弟ではないことは分かっている。この世の人間の赤ん坊であるということも…。しかし、その表情を見ると、つい口角が動くのだ、つい手が赤く染まった絹のような頬を触ってしまうのだ、つい義弟のように抱いてしまうのだ。私の知っている‘人間’の赤ん坊だと思えてしまうのだ。
この赤ん坊は、大人しく私に抱かれじっと澄んだ水色の目で私の目を見つめていた。
ふと、辺りを見てみた。
肉塊が散らかっているだけだが、そこには女性の物はなく、男性二人の欠けた頭が転がっていた。
男性二人のうちどちらかがこの子を背負い、グムリに襲われたところを、助けようとしたのか、それとも怖気付いたのか、投げ出したのだろう。二、三のバウンドした跡がある。
怪我がないか、寒くないように気をつけながら布を捲っていくと、赤ん坊は一気にむずかり出した。
『ごめん、ごめん。』
と言いながら、一番下に巻かれた布の裏地には白い糸で守りの魔法陣が刺繍されてあるのに気づいた。随分強力なものであったが念のため着ている服の中も覗いてみる。
怪我はないようで安堵していると、赤ん坊は泣き出した。
オムツも特に汚れていないようだし、お腹が空いたのかな、と思いつつあやしながら、肉塊に近づいた。
『少し待っててね。』
と呟くように、赤ん坊に言い聞かせながら、それらを観察していく。
この時期、子供を間引くために人間が山へ来ることは少なからずあるが、わざわざこのような山頂付近にまでは近づくことはない。考えられるのは、子供を連れ出して、山へ篭ろうとしたのか、それとも山越えをするつもりだったのか…、どちらにせよ、随分な軽装備だ。よっぽど自分の足と体力、そして冬山で食料を得る知識と腕に自信がなければ、このような最低限の防寒具だけでこんな所まで来ないだろう。
止むを得ずこの山に来たかのだろうか?
その考えがよぎると、一気に腑に落ちた。彼らの足跡を見ると、歩みに迷いがあったからだ。
もしや、人攫いか。
その答えは、今の状況で確定することはできなかった。
だが、この守りの魔法陣から、たくさんの愛情を注がれてきたということ、また肌触りのいい布にも包まれていることから、富んだ家柄の生まれであることは直ぐに想像できた。顔立ちもそれを裏付けるように幼いながらもどこか凛々しさや高貴さを漂わせている…。
『お前、随分な出自なんだな。』
私が声をかけても、赤ん坊は特に答えることなく鼻を啜りながら、残骸を見つめていた。赤ん坊の発達によろしくないだろう、と今更気付き、慌てて布で頭を覆い、腰に巻いてあるロープで赤ん坊を前抱きにして固定した。
随分な拾い物をしてしまった…。取り敢えず、この子を探しに捜索隊やら何かが来るだろう。そしたら渡せばいい。
自分でこの子の親を探しに行くという選択肢は頭から潰し、卑怯な自分を自覚しては言い訳を並べつつ、ミルクを求めて山頂を目指すことにした。