それ、本当か?
「助けてほしいですか、お兄さん」
耳元でした声にルードはぞっとした。
「じゅ、呪術師の幽霊!」
反射的に相手から離れようとしたルードだが足枷に邪魔をされ、あまり動くことができなかった。
「幽霊やら呪術師やらなんてあんまりです。私が丑の刻参りするような人間に見えますか? 私本来ならピッチピッチのJKなんですよ。わかりますか、華の女子高生です。その二つ、恐らく最もイメージのかけ離れた二つですよ」
「は? うしのこくまいり? じぇーけー? じょしこーせー?」
幽霊だと思っていた人物の口から聞いたこともない言葉が飛び出してきて、ルードは頭をひねる。一瞬、古い時代の幽霊が古代言語を発したのかとも考えたが、どうやらそういう訳ではなさそうだ。
「あ、知らない言葉のオンパレードって雰囲気ですねー。ほんと、この世界の言語翻訳システムどうなってんでしょう。働け神様。できれば私は働きたくないです」
一人でぶつぶつ喋っている幽霊もどき相手に頭の上にいくつもの疑問詞を浮かべていたルードだったが、しばらく様子を見ている内にどうやら大した相手ではないことが分かった。
すぐにリアを助けなくてはならないと思い、ルードは目の前の相手を無力化しようと考える。
そんなルードの穏やかではない雰囲気を感じ取ったのか、幽霊もどきは首を横に振った。
「あー、何を考えているのかは分かりませんけど手荒いことは勘弁してくださいね。じゃないと、ばっきゅんしちゃいます」
そう言って腰のあたりから何かを取り出しルードへと向けた。
「ばっきゅん? お前、さっきから何を訳の分からないこといってやがる」
「あー、暗くて銃が見えないんですね」
そう言って、幽霊もどきは何やらルードが離れていく。
何ごとかとルードは身構えた。
次の瞬間、窓を覆っていた布が外れ、月明かりが入ってきた。
「なっ!」
ルードの目の前にいたのは少女だった。何度か見る機会があった緑色の服に身を包んだ少女がそこにはいた。
今更ながらルードは先ほどから会話をしていた幽霊もどきの正体を理解する。
「あぁ、お前異世界人か」
月の光を受けて、少女は微笑んだ。
「お兄さん達からしたらそういうことになりますね。はじめまして、私は元第十二部隊高坂班所属貝瀬 京香です」
異世界人は敵だ。
だが、ルードの目の前にいる少女は自分達と何ら変わらないように見える。普通の少女にしか見えなかった。
実際、貝瀬 京香はルードのことを助けようとしているようだった。
だが、少し時間が経って、落ち着いてしまったルードにはそんなことはもうどうだってよかった。
「聞いてるんですか、お兄さん?」
京香が喋っているが、その言葉がルードへ届くことはない。
リアを連れていかれた。自分は捕まっている。目の前には訳の分からない異世界人。
何一つ良いことはない。異世界人に助けられてここから出てしまったら、きっともう二度とここには帰ってこれない。
それよりは、このままここで教官がやってくるのを待った方がいい。ルードはそう考える。だが、その場合は間違いなくもう二度とリアと会うことはできないだろう。
「はぁ、聞いてませんね。何なんですか、さっきから。本当に面倒くさい人ですね、あなたは」
会話の途中でいきなり虚ろな目になり、「リア、リア」と人名らしきものを繰り返しているルードを見て京香は本日何度目かわからないため息を吐いた。
はたから見たら物凄く気持ち悪い状況だ。
実は京香はルードがここへと閉じ込められる様子を見ていた。その時は、上官にでも逆らった男が連れて来られたのだと思っていた。そこで、助ける代わりに京香の探している人物の情報を聞くつもりだったのだ。
だが、彼女の目の前にいる男、ルードはもはや壊れているようにしか見えない。状況が状況なら決して関わりたくない人種である。
「ですが、今は仕方ないですねー」
そう言って、京香はルードの額に手を乗せる。
貝瀬 京香は超能力者である。少し前までは超心理学と呼ばれる特殊能力を扱い戦場を駆け巡り、戦い続ける彼女の世界の兵士だった。
そんな彼女の能力は、相手の心を覗くといういわゆる読心術である。戦闘よりは拷問に特化した人間だ。
「あなたの心、覗かせてもらいますねー」
目の前に流れ込んでくる大量の言葉。その大半がリアという二文字が占めていたが、所々、連れていかれた、助けなきゃといった言葉や、無理だどうしようもないといった言葉、そもそもリアは欠乏症だ治らない、というような言葉が存在した。
「病気ですか、この世界の医療で治らないでもうちの世界の医療ならなんとかなるかもしれませんね」
何気なく呟いたその一言にルードが反応する。
「それ、本当か」
「おっ、戻ってきました? 可能性の話ですけどありえるとは思いますよ」
「なら……」
ルードはまだどこか濁っている目で京香を見て言った。
――俺達をお前の世界に連れて行ってくれ
ルード・エスタはこうしてあっさりと自分の世界を捨てる。
貝瀬 京香もそれを何でもないことのように快諾した。彼女はルードの足枷に対して、彼女の世界の武器を向ける。そして、軽々と引き金を引いた。
ひどく乾いた音がして、足枷は外れた。外れてしまった。
本当ならば、このことはもっと考え、悩んでから結論をだすようなものだ。だが、ルードは自ら考えることを放棄した。
彼の世界は、彼とリアだけで構成されているのではないはずだった。だが、彼はそれに気づかず、彼の目はリア・シーディアしか見ていなかった。
アルバ・ロギンシュは上官から話を聞いて旧校舎へと駆けつけた。
だが、そこにルード・エスタの姿はなく、足枷だけがそこには残っていた。
赤髪の少年もまた、そこに残っていた。