彼は現実を知る
走る。ただただ走る。
確かにルード・エスタはリア・シーディアを病気から守ることはできない。
彼は脆い。だからリアはルードに頼ることができなかった。彼に本当のことを話すことができなかった。
でも、今ならルードはリアと向き合うことができる。
校門まであと少し。その距離をルードは必死で走る。
だが、校門が見えてきたところでルードの足は何かに絡めとられたのように動かなくなった。足が急に動かなくなったことで、ルードは転び、顔を勢いよく地面に打ち付けた。
「今さら何をしにきたのかしら?」
ルードの頭上にこの一週間ほど聞いていなかった声が降り注ぐ。
「カンナ」
顔を上げた先にはカンナ・ヴァンズがいた。
「あなたが会いに行ったところで何も変わることはないわ。リアがまた傷つくだけよ」
「ふざけんな、俺はリアを伯爵領になんか連れて行かせねぇ」
足が未だに動かないのでルードは手を使って地面を這い、前へと進もうとする。
そんなルードにカンナの後ろで一つに束ねた、本来ならば腰までの長さのはずの黒髪が影のように伸びて巻き付いた。手を塞がれ前へ進むことができない。
「邪魔をするなっ!」
「あなたが伯爵家の馬車の護衛に勝てるとは思えない。妄言も大概にしてちょうだい」
淡々と告げるカンナの目はどこまでも冷めていた。その目に見下ろされて、ルードの背筋が凍りつく。
だが、ルードもここで納得して引くわけにもいかなかった。
「それでも俺は……」
リアを助ける。そう言おうとしたルードの言葉をカンナが遮る。
「あの子はただの女の子なのよ」
カンナの目は先ほどと一転して悲壮感に溢れていた。
「たいていのことじゃ傷つかない金属でできた人形なんかじゃないわ。どこにでもいる血の通った一人の女の子なのよ」
「そんなこと分かってる」
「分かってない!」
突然叫んだカンナにルードは目を大きく見開く。こんな風に感情的になったカンナをルードは知らない。アルバといい、カンナといい、自分は知らないことばかりなのだとルードは思った。そして、たぶんリアのことも。
「アルバはあの子のことをよく強い子だと言っていたわ。でもあの子は強い子なんかじゃない。強くあろうとすることしか許されなかったのよ。泣きたいときに泣くことすら、誰かに支えてもらうことすら許されなかった。ルード、あなたが弱すぎたから。あの子は十分傷ついた。あなたが行って傷つくと、リアも傷つくのよ。これ以上あなたのわがままでリアを傷つけないで」
「俺は……それでもいくよ」
ルードは体をねじり、手も足も使わずに前へと進もうとする。
「どこまでも自分勝手な人ね」
「聞けよ、カンナ。俺はリアに支えられてきた。だから今度は俺がリアを支える番だ。俺は必ずリアを助け出す」
「そうやっていつまでも夢の中で生きていればいいわ。そこで転がっときなさい」
カンナはそう言って、ルードが落とした杖を拾い、それをルード目がけて振り上げた。
打つ手なく諦めて校門の方に目を向けたルードの目に数人の教官に連れていかれるリアが映る。
再び動く意思を持ったルードはカンナの足に飛びつき力いっぱい噛みついた。
「っつ!」
カンナの口から悲鳴がもれ、影の拘束が解けた。その一瞬にルードは起き上がり、カンナの顔を殴りつけ、彼女が落とした杖を回収して走り去る。
「ルード・エスタアアァァァァァァァ!」
カンナの叫び声がするが無視してルードは走り続ける。
彼の目はリアしか見ていなかった。
その校門には今しがた伯爵の馬車が着いたようで、リアはそこへ乗り込もうとしている。
「リアッ!」
ルードは心の底から吼えた。そのときには先ほどまで言っていた支えるなんていうことは頭から消え去っていた。
その声でルードに気付いたリアが振り向いてルードの姿を確認し、目を大きく見開いて口を手で覆う。
「行かないでくれ、俺を置いて行ってしまわないでくれ。リアッ!」
ルードは空いている左手をリアへと伸ばしながら走る。
だが、リアは馬車へ乗せられて、その馬車は走りだしてしまった。
杖を振り上げ、止めようと向かってくる人間を殴りつける。彼女との距離があと三歩というところまできて、ルードは教官達に押さえ込まれた。それでも手だけは伸ばし続ける。
「放せっ! 放せっつってんだよ! 放しやがれっ! リア、リア、リアァァァ!」
リアも馬車の中から手を伸ばすが二人の手は触れ合うことなく、二人の距離はどんどんと離れていった。
リアの目からは水滴が溢れて、どんどん頬を伝っていく。
ルードの目はリアの口が何か伝えようと動くのを確認し、それが何なのか理解しないまま後頭部を殴りつけられ意識を失った。
「待ってるって言ったじゃないか。なのになんでお前がどっかにいっちゃうんだよ……リア」
こうして現実となかなか向き合えなかった少年はただの無力な少年のまま、何の結果も残さずに、少女と別れることとなる。
突如彼が大魔導士になり、彼女を救うようなことなどありえるわけもない。
彼は結局のところ、自分にできるだけ都合のいい現実と夢の間を生きようと逃げていただけなのだ。結果を残すのは現実と向き合った者の特権だ。彼に結果が残せるわけがない。
奇跡など起こりはしないのだろう。
それでも彼は言うに違いない。
奇跡はあるのだと。
目が覚めた時にはルードは旧校舎にいた。周りは随分と暗い。
体を動かそうとすると、足が一定のところから動かない。
「いっ痛っつ。何だよ」
見ると足には枷がはめてあり、それは柱へと繋がっている。
「何で……そうだ。それより、リアを、リアを取り返さないと。でもどうやって。早くしないとリアが。リア、リア、リア」
そんな中、頭を押さえるルードの背後で音がした。
振り返ると暗くてあまり見えないが何かが立っているのが分かる。こんな時間に旧校舎に人がいるとはあまり思えない。
ルードは旧校舎の幽霊の噂を思い出した。
すると、その人影はルードの近くにしゃがみ込み、彼の耳元に顔をよせた。
「助けてほしいですか、お兄さん」