彼はどうすればいいのかを知らない
目の前を歩くアルバの速度が早いのでルードはその半歩後ろを少し早歩きで進むこととなっていた。
リアがいる部屋から一言も発さずに歩を進め続けているアルバにルードが問いかける。既に先ほどの部屋からは大分遠ざかっている。
「なぁ、アルバ。こんなに急ぐ必要があるのか?」
「君は、あの子の病が本当に治ると思っているのか? あんな約束までして」
アルバが足を止め振り返った。長身の彼はルードより頭一つ分背が高く、立って話すとなると自然と見下ろす形になる。
その言葉で急いで歩いていた理由を悟り、ルードは目線を逸らして頬をかく。
「聞いてたのかよ」
「ああ、あの子が無謀な願いを口にしたところからずっとな」
「もしかして、それであのタイミングで入ってきたのか?」
「君がまた彼女に余計な希望をもたせないように計らったつもりだったんだけどね」
ルードはアルバを半ば睨むように見上げる。目線と目線がぶつかった。
「余計なお節介だ。リアの病気は絶対治る。それともお前はあいつの病気が治らないとでもいいたいのか?」
今にも噛みつかんとするばかりの喋り方をするルードに、アルバは軽くため息を漏らし、幾分か目元を和らげ、諭すように告げる。
「確かに絶対に治らないとは言えない。世の中には奇跡といった言葉もあるくらいだしね。でも、だ。いいかい、ルード。魔力欠乏症は長くもっても五年だ。しかもこれは大魔術師として有名だった男の例でしかない。一般には二年もたないことも多い。今リアは発症してから何年経った?」
再びルードは顔を逸らす。
「……あと七日で二年だ」
「もう、リアにはあまり時間がないんだ。ここまでもったことだって、彼女にかつては天才魔術師と言われた魔力と若さ故の生命力があったからこそのものだ。君もいい加減現実と向き合わないといけない。自分に都合のいい未来ばかり見ていると最終的には周りも巻き込んで自分も傷つくことになるよ。いつまでもあの子に、リアに、支えられていてはいけない」
目を逸らしたまま黙り込んでしまったルードを見やって、アルバは少し間を置く。
「君はずっとあの子に支えられてきた。君達とずっと一緒に育ってきた僕はそれを見てきた。ルード、君の頑なにあの子の回復を信じる姿勢は美しいものだと思う。僕もそれは少し羨ましいんだ。でも、今君が支えられている側なのはいただけない。今度は君があの子を支えてあげる番なんだよ、ルード」
「でも、でもさ、リアは神童とまで言われていたんだ。きっと五年以上もつさ。それにさ、この国の上部にも欠乏症の人がいるんだろ。ならさ、治療法が必死に研究されているんじゃないか? なあ、アルバお前も大分偉くなってきたから何か聞いているんだろ」
顔を向けてきたルードの目の焦点が定まっていないのを確認したアルバは額を手で覆って小さく頷いた。
「……そうだね、今度確認してみるよ。さあ、訓練に行こうか。僕はちょっと用事を思い出したから、先に行っててくれ」
「ああ、分かったよ。小隊長ともなればいろいろあるだろうしな。それじゃ、訓練で」
軽く手を上げルードが小走りで去っていく。その後ろ姿を見てアルバは小さく呟いた。
「ルード、君はいつからそんなにも脆くなってしまったんだ。それではあまりにも、リアが可哀想だ」
ミルヴァスタ学院。少し前までは多くの名誉ある騎士や吟遊詩人に謳われるような冒険者、人々の生活に発展をもたらした大魔術師を排出していた場所だ。だが、現在は全ての生徒は異世界人相手への即戦力として育成されている。
その訓練所にルードはやってきていた。夕方に行われる訓練というのは、基礎体力作りとして行われるランニングと筋力トレーニングであり、これは魔術科の生徒にも課される。一度に全ての生徒が走れるわけではないので、時間による交代制だ。一度は戦場に出たことがある魔術科の生徒達は文句の一つもこぼすことなく意欲的に参加していた。
異世界人との戦争では魔術師が主戦力となっている。もはや、世界の各所に存在する迷宮を探索していた時代や、この世界の国同士の戦争のように魔術師は後ろでゆっくり詠唱をしていればいいわけではないからだ。
前線で従来の木製の杖ではなく槍のような形状になった金属製の杖を敵へと振るいながら、詠唱をこなさないといけない。
そのため、ランニングにも杖の携帯が義務づけられる。
出欠の確認の点呼が終わった後、ルードは良く知った少女を見かけ、声をかけた。
「よう、カンナ」
ルードに声をかけられた少女、カンナは眠たげに半開きになったような目をして振り返った。カンナはルードの姿を視界に確認するとその恐ろしいまでに整った顔を歪め、舌打ちをする。そして、再びもとの方向へと向き直ってしまった。
実質、無視される形となったルードは慌てて彼女の側へと駆け寄る。
「お、おい。無視はあんまりだろ」
側に寄ってから、肩を叩こうとしてくるルードの手をカンナは背を向けたまま掴み、捻った。そんなことになると予想していなかったルードは「へぁ?」などと間抜けな声をあげて、地面に倒れこむ。
汚れたかのように手を二、三度軽くはらったカンナは、苛立ったようにつま先で地面を三度叩いた後、ゆっくりと半身を彼の方へ向けた。
「触らないでくれるかしら? 私まで逃げ癖がついたらどうしてくれるの?」
「俺がいつ逃げたっていうんだよ」
「おかしなことを聞くのね、あなたは。いつも逃げているじゃない?」
「なっ」
一瞬にして鬼のような形相になったルードはカンナを睨み付ける。
二人の様子を不審に思ったのか周囲が少しざわめきだした。
「カンナ、ルード、何やっているんだ。ランニングがもう始まるから並ぼうか」
二人のもとにやってきたアルバが、地面に膝をついたままのルードに手を伸ばす。
「あ、ああ。ありがとう、アルバ」
差し出された手を取り、ルードが立ち上がる。
「いいから、早く並ぼう。ほら、カンナも」
カンナはアルバを見てため息をつく。
「あなたは甘すぎるわ」
「どうだろうね」
「まるで母親ね」
「僕は一応、男だよ」
「訂正するところそこなのね。まぁ、後は任せたわ、お母さん」
疲れたように去っていくカンナにアルバは首を横に振り言った。
「だから、僕は男なんだけどね」
そんな二人の会話を聞いておらず、服についた土をはらっていたルードはカンナの背を見ながら不満をこぼした。
「一体何なんだよ、カンナのやつ。おい、アルバ、俺たちも行こうぜ」
そう言って、歩き出すルード。対してアルバはすぐ行くと返事をして立ち止まったまま呟いた。
「本当にどうしてこうなってしまったんだろうね」