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第二章 運否天賦 4.

4.


 孟徳と出会ってからここへ来るまで、ずっと気を張り続けていたことに、文若は今更ながら気が付いた。

 得体のしれない人間と旅をするのは、無意識のうちに疲れを感じさせる。

 文若にとって人とは、名でも氏素性でもなかった。

 行動であり、考え方であり、生き方だった。

 孟徳という男は、表に見せている印象が強いだけに、そこからはみ出た顔に気づくと掴みづらい相手だった。


「あんたは、自身の評判をあまり気にしてないよな」


 孟徳が黙っているのを肯定と受け止めて、文若は続けた。


「だが本当に天下を欲しいというなら、評判は大事だと俺は思う」

「評判が悪いと、覇者にはなれんか?」


 口調は面白がっていたが、先ほど瞳に宿った光は消えていなかった。だから文若も真面目に答えた。


「道は遠くなる。味方が減るからな」

「悪評で集まる輩も多くいるぞ?」

「董卓のようにか? あんたも、恐れでこの世を支配したいのか?」


 それはそれで一つの方法だと、文若も認めている。


「さあな。やりたいようにやって、その結果、恐れられるのなら、仕方ないとは思うが……」


 孟徳は、首をわずかに捻りながら、傍らを振り向く。まっすぐに見ていた文若の瞳と合うと、目元を綻ばせた。


「お前は嫌か? そういう統治は」

「俺?」


 思わぬ問いかけで、不意を突かれた文若に、孟徳は頷いた。


「ああ。お前ならどんなやり方で、この乱世を収めようと考える?」


 文若にしては珍しく、返答に詰まった。

 己は所詮文人である。不平不満はあっても、自ら天下を取ってやろうと、志したことはない。


『……じゃあさ、お前は自分で選んだ主に、どんな道を歩かせたいと思う?』


 助け船を出すように、頭の片隅から聞えてきた声は、懐かしい友の声を借りていた。

 諸国を放浪していた時に出会い、夜通し話したのは、国の過去と今の姿。

 未来は、次に会った時語ろうと約した日が、まるで昨日のように脳裏に蘇る。

 今は消息も定かではない相手を思い、しばし目を閉じた後、文若は目と口を開いた。


「どんなやり方で、どんな道を行くかは……情けないが、俺には思い浮かばん」


 ただ、道を示せる――そう宣言し、文若は孟徳の目を見た。


「どんな場所からも、目的地にたどり着けるような道。できればなるべく、遠回りしない道を」


 天下を平定するのに時間が掛かれば、それだけ国土も民も疲弊する。


「近道を探すのか」


 孟徳の揶揄に、文若は首を横に振った。


「多分、近道なんてものは存在しない。結局、一つ一つの選択が問題なんだと、俺は思う」

「常に正しい道を選ぶ、か?」


 夢物語だと一笑に付された気がして、文若は孟徳を睨む。


「言っておくが、理想を語ってるんじゃないぞ。最善が選べない場合は、次善を選べばいいって話だ」


 文若は長い間旅をしていた。

 最初は全てのしがらみから逃れるように。途中から、なぜ国が滅びるのかを、考え続ける旅になった。


 ある時、砂漠に惑い、たどり着いた古い都は、半分が砂に還っていた。

 残った大きな石の間を、強い風が通り抜けるたび、独特の旋律が砂で奏でられた。

 文若は石にもたれて、飽きもせず砂漠を眺め続けた。


「知っているか?」


 誰にともなく文若は尋ねた。


「砂漠の景色は一刻もすれば変わる。道も消えてしまう。この世も同じだ。日々、目まぐるしく変わっていく。常に正しい道なんてのは、どこにも存在しない」


 人の心も周囲の状況も、砂と同じように移ろいやすく、どんな解答も昨日と今日とで、容易く形を変える。


『だからこそ愚かだ』


 旅で出会った男は、断罪するように文若に告げた。

 経験に学ばぬ、感情だけで動く輩など導く価値はないと。


 実を言えばその瞬間まで、文若は自分も相手と同じように、『人は愚かだ』と思っていると、思っていた。

 だが、いざ誰かに突きつけられると、相反する思いが込み上げて来た。

 人が常に変わっていく生き物なら、決めつけ、投げだすのは、もっと愚かではないかと。

 意見は対立し、袂を分かった。

 旅に出て、初めて仲間だと思えた男だった。


 それからも、何人もの人間と出会っては、同じ未来を見たり、あるいは決裂したりした。

 だが文若は今でも、道が分かれた相手との会話を、何度も何度も思い返す。

 もっと上手くやれたのではないか? 論破することより、妥協点を探すべきではなかったのかと。


(条理を尽くせば、誰とでも分かり合える――なんてことはない)


 もう知っている。

 それでも相手を理解出来るなら、同調できずとも、争わずに済む道もあったはずだった。


 文若は、苦い思い出を噛み締めるように口元を曲げ、何もない中空を見つめている孟徳へ、ことさら横柄に告げた。


「誰にとっても正しい道なんてない」


 少なくとも自分は知らない――文若はうそぶいた。


「それに、いくら正しくとも選択が一つしかないってのは、袋小路と同じだ。頑なに『正しくみえる道』に固執するより、たとえ最善じゃないと分かっていても、行きたい道を選んで苦労するほうが、俺はずっといい」


 無理して歩けなくなるより、諦めてしまうよりずっと――言いたい放題言ったな、と文若はふうっと息を吐いた。


 部屋には沈黙が流れた。だが、張り詰めた空気はもうない。

 やがて孟徳は、いつものように口の端を軽く上げた。


「お前には、たくさんの道が見えるんだろうな」

「ああ。往生際の悪さには自信がある」


 頷いて認めると、今度は孟徳の目の端にしわが寄った。皮肉のない、優しい笑みだった。

 子供の頃の文若は、誰かが笑ってくれるのが好きだった。

 いつも、他人よりほんの少しだけ回る頭は、あらゆる可能性を、文若に示唆してきた。

 それを文若は皆に伝えた。

 家族や村の人に。感謝されるのはこそばゆかったが、人々が笑顔になるのは嬉しかった。

 だが世の中が乱れ、理不尽が横行するにつれ、頭の回転の速さは、精神こころを疲弊させることに繋がっていった。

 文若には、明瞭に見えている解決の糸口を、人は容易には取らない。

 気づいていない場合もあり、気づいていて尚且つ、様々な思惑の元、選択しない場合もあった。

 歯痒い思いで、叫んで、足掻いて、人を蔑み、世を呪っても、結局のところ最後は、文若自身が辛くなった。

 だから考えた。

 誰も呪わず、この世を生きるためには、何をすればいいのかと。


「本当に往生際が悪い……昔っから。自分の都合ばっかりで」

「突然なんだ?」


 いきなりぶつぶつつぶやく文若を、孟徳が訝しそうに見た。


「己の、目標みたいなものを思い出した」

「……それは、良かったな」


 何を言っているのか図りかねたのか、珍しく戸惑う顔をした孟徳を見て、文若は可笑しくなった。

 簡単なことだったんだ……と文若は孟徳に語りかけた。


「俺は初めから、自分のために生きていたんだ。だから、あんたの言う『天命』があろうとなかろうと、俺には関係ない話だった」


 孟徳が、僅かに目を見開いた。

 文若はその目に笑いかけた。


「そんな御大層なものがなくとも、人は生きているし、生きている限りは、幸せであろうと努力する。だから――俺は、俺のために、この閉塞した乱世を終らせたい。そのために、あらゆる道を探していく」


 行き止まりを作らない。追い詰めない。暴走させない。

 どんな状況であろうと、『その先』を選べる道を。


「それで、俺を苛むこの世の不条理が、少しは減るだろう?」


 尋ねる文若を、孟徳は初めて見るような目で見ていたが、やがて呆れたようにも、感心したようにも見える、柔らかい表情になった。


「やっぱりお前は名を残すか、墓も作られないか、どちらかだよ」


 孟徳の声がどこか楽しそうで、文若はそれもいいかと頷いた。


「それしかないなら、それでいいさ」


 ハハハと孟徳の豪快な笑い声が部屋に響いた。

 そのまま勢いよく文若の杯に酒を注ぐと、酒器ごと己の口元へ持っていき、残った酒を一気に飲み干した。



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