第七章 百川帰海 2.
2.
陳留の城門を護る兵士たちは、妙才の姿に気づくとすぐに背筋を伸ばして礼を取った。
それへ妙才は軽く手を挙げてみせる。
「孟徳殿のところの兵隊だな」
「分かるか? 半数以上洛陽で失ったが、生き残った兵士たちは皆、孟徳に従いてきた」
文若は、馬上からざっと城門の方角を振り返りながら、しっかりと頷いた。
「いい兵士たちだ。動きに迷いがないから無駄がないし、何より目が生きている」
隣から、問い掛けるような視線を受けて、文若は言葉を足した。
「たまたま城門の当番になったから立っている――ではなく、きちんと役割を理解して、城門を護っている者の目をしていると思った」
妙才は、頭の中で文若の言葉を噛み砕いているような間を取った。
そして、やけに楽しそうに、にやりと笑った。
「何も考えない兵は、何も考えずに離れていく……か?」
出会った頃、妙才の前で孟徳に言った言葉を返され、文若は目を瞬く。
「よく憶えていたな」
「お前と孟徳のやり取りは強烈だったからな。……だが、あの時は、理屈としてしか認識できなかった状況が、今は実感を伴って分かる」
妙才は眩しげに目を細めて、前方の空を見つめた。
「孟徳があの時、洛陽を捨てた董卓軍を追わなかったら、あいつらは、今ここにいなかっただろう」
いたとしても、惰性で付き従ってきただけだろう。
何の目的もなく、いつでも主人を置いて逃げ出せる兵士として。
「負け戦だったが、戦場から引く時に俯く者は一人もいなかったぞ。装備も身体も、何もかもぼろぼろだったが、皆、主を見習って堂々としていた」
その光景が目に浮かぶようだと、文若は頷いた。
「共に死線を潜り抜けた連帯感もある。決して、認識の甘さでも、負け惜しみでもない。俺は、あの戦には得るものがあったと思う」
文若の馬は大人しく歩いていた。城内の様子が落ち着いているからだ。
いつでも臨戦態勢に入れるような引き締まった雰囲気はそこかしこにあったが、人々が安心して生活している様子も伝わってくる。
「俺もそう思うよ、妙才」
文若が同意すると、妙才は嬉しそうに顔をほころばせた。
そういえば、と妙才が思い出したように文若に尋ねた。
「以前、お前の専門は『軍事』じゃないって言ってたな?」
「その通りだ」
「それじゃ、お前の専門って何なんだ?」
思わず、文若は目を大きく開いて妙才を見た。
今まで、誰も彼もが勝手な名で呼び、何も知らない内から勝手に文若を決め付ける相手ばかりだった。
文若は少し面映ゆい思いで答えた。
「俺の専門は『民生』だ。年貢や普請……民の生活全般を整える役人だな」
「あ……あぁ?」
分かった様な、分かっていない様な相槌を打つ妙才に、文若は冗談めかして、ひとこと付け加えた。
「揉め事の仲裁なら、俺の右に出る者はいないぞ」
妙才はひゅうっと口笛を吹き、ぱちっと両手を合わせた。
「そりゃいいや。孟徳は揉め事を起こす天才だからな!」
屈託のない、陽気な笑い声が二人の口から上がり、周囲の者が皆振り返る。
『王佐の才』
文若が嫌うこの称号を、文若に与えた何頚は信じていたのだろう。
王佐――王を補佐しその隣に在る者は、軍を率いて敵を滅ぼす才を持つ者ではない。
軍の上にある国を、その国を支える民の生活を、考え続けられる才を持たねばならないと。
その気になれば、何十万何百万の敵を一気に屠る策を立てられるだろう文若は、人が好きだった。
信じて裏切られても、どれ程醜い争いを見た後でも隠遁せず、人の間に関わろうとする行動をやめられなかった。
(今なら分かる。何頚様、お祖父様。あなた方が、俺に何を望んでおられたのか)
祖父は一族を守れと命じ、何頚は民を守れと号した。
幼い頃から文若を見ていた二人は、文若の数ある才能から、人々を守る力を何よりも尊しとしたのだ。
「戦は孟徳殿や、あなた方に任せるよ、妙才」
「おう!」
妙才は力強く頷いた。
「俺は、孟徳殿や妙才達や……」
冀州にいる同胞、洛陽にいる荀攸やあの汀やその仲間や、それから……
「皆が帰る場所を作り、護ろう」
人を屠るのではなく守る道を選ぼう、何度でも。
(誰の望みでもない、俺の望みのために)
妙才は不意に動きを止め、目を見張って文若を見た。
「どうした?」
「いや、お前と孟徳はやっぱり似てるんだな」
やる事は逆なのにな、と妙才は感慨深そうにつぶやく。
「呂布を追って出たあの戦場で、帰り道、孟徳が俺に言ったんだよ。俺や文若、お前らが戻れる場所を作ろうと」
今度は文若が、大きく目を開けた。
まるで、今までの彷徨全てが、渦を巻いて此処に集約されていくようだと思った。
「……成程。孟徳殿は、何頚様が選んだ人間だったな」
気がつけば、浅からぬ縁はどこにでもあった。
きっと、気付かぬうちに、結ばれ解けている縁もどこかにあったのだろう。
そうして、ただ集められたのでなく、惰性でなく、己で選び取って此処まで来た。
(それだけの自信はある旅をした)
文若の脳裏に、幼い頃から今日この瞬間までの放浪の日々が蘇り、昇華されていった。
「何頚? あぁ、その話も聞いた気がするな……」
妙才の言葉に、文若は微笑み耳を傾ける。
太守の館に着くまで、二人は孟徳の様子や洛陽戦について、あれやこれやと話し続けた。
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…あと一話…でしょうか。




