第五章 実践躬行 1.
1.
支度の整った将兵を従え、孟徳は居並ぶ諸侯に『董卓を追撃する』と宣言した。
露骨に向けられた呆れ顔や嘲笑を、孟徳は満面の笑みで買った。
「皆様方は、洛陽へ入ろうと領地へ戻ろうと、好きにされるが良い。だが、我らには仕事ができた。ここで別れよう」
颯爽と馬に跨った孟徳へ向かって、怒りに身を震わせた袁紹が吠えた。
「後悔するぞ! 孟徳!」
「ハハハ! 袁紹本初、我らが盟主殿。曹操孟徳は、これで、おさらば仕る!」
豪気な笑い声の余韻を残し、孟徳軍は堂々と董卓軍を追った。
全軍騎馬であったため、二刻の後には、呂布の率いる殿軍を目で捉えた。
最早、追撃はないと油断があったのだろう。
後方にいた歩兵部隊は周章狼狽し、ある者は屠られ、ある者は戦場から離脱し、次々壊滅していった。
しかし、騎馬部隊は違った。
呂布軍の中心部隊は慌てず反転し、すぐに戦闘態勢を取った。
中でも、やはり呂布は群を抜いていた。
屠った人間の血を、足元から啜っているような赤色の馬に乗り、両手に持った双戟で、群がる敵をばっさばっさと薙ぎ倒していく。
返り血一つ浴びぬ呂布の姿は、化け物というより、最早、神懸かって見えた。
人馬が重なり倒れている様が、大きな黒々とした穴に見える。
中心に、赤い馬に跨った呂布がいた。
周囲を包む、どす黒い闇が、とめどなく戦場に広がろうとしていた刹那、孟徳に告げた言葉を違えず、元譲が毅然と、呂布の前に立ちはだかった。
「将軍! お相手願おう」
「さっさと来い、雑兵!」
二合、三合と刃を交わし合うと、呂布と元譲は、お互いの力量を認め合い一度引いた。
「名は?」
「夏候惇元譲と申す」
呂布は、手にした双戟を舐めるようにして「なるほどな」とつぶやいた。
向けられた苛烈な視線を逸らすことなく、元譲は剣を構えた。
しかしそのまま、一騎打ちとなるべき場面を、混沌としてきた戦場は許さなかった。
呂布が唸り声を上げ、風を切る勢いで両手を交差させた。
合わさった刃の切先は、もう少しで元譲の首を胴から切り離すところだった。
紙一重で刃から逃れた元譲だったが、頭を引いた場所に、運悪く流れ矢が飛来した。
「元譲っー!」
矢は、逃れようのない元譲の左眼を串刺しにした。
比較的近くにいた妙才は、見取った状況に驚愕する。
慌てて馬首を返そうとしたが、背後からの殺気に反応して、振り向きざまに刀を払う。
どさっと、戟を構えていた男が倒れ、己の背後で行われていた戦闘の様子が、妙才の目に入った。
「孟徳っ!?」
遠目に、敵と切り結ぶ孟徳の姿があった。しかも、周囲に味方が見えない。
曹仁が元譲に向かったのが視界の端に映る。妙才は急いで孟徳へと馬首を巡らせた。
すぐに孟徳と、相対する敵の姿を捕らえたが、同時に孟徳の後ろから、今一人の敵が近づいている状況にも気がついた。
妙才は舌打ちしながら、背負っていた弓を取る。
馬を駆けさせたまま腰に差していた矢を番え、一瞬の躊躇もなしに、二本の矢を続けて射た。
一本は、孟徳の背後にいた敵の額に的中した。
だが、孟徳と相対していた敵を狙った矢は、首を後ろに反らされ外された。
矢を避けた拍子に、敵の武将の兜が落ちる。
戦場に広がった波打つ赤茶の長髪と、露わになった白面に、妙才と孟徳は驚き、同時に叫んだ。
「女だとっ!?」
「胡人かっ!?」
軍に、女の武将がいない訳ではないが、珍しいのは確かである。
女武者は青みがかった目で、射殺せそうにきつく妙才を睨んだが、すぐに身を翻した。
「避けろ! 孟徳!」
去り際の一撃を孟徳に浴びせかけ、女武者は退却して行った。
「無事か!?」
女武者の刃を止めた利き腕を、孟徳は押さえたままだった。
妙才の気遣いをよそに、孟徳はじっと、去って行った敵の後ろ姿を見つめていた。
やがて、孟徳の口から、感嘆の呟きがあがった。
「さすが董卓の軍団だな! 赤い鬼神に、異国の美女か! 次は何が出て来るやら、見当もつかん」
「感心している場合か!」
怒鳴った妙才は、はっと顔を上げる。複数の騎馬の音が近づいてきていた。
「……妙才! そこか?!」
己を呼ぶ、よく知った声に、妙才は番えようとした矢を下ろす。
「ここだ!」と弓を振ると、数騎を引き連れた曹洪が駆けてきた。
「殿も一緒とは、重畳! 姿が見えんので探していたのだ」
曹洪は、ほっと胸を撫で下ろす仕草をしたが、すぐに新たな鬨の声が、彼らの来た方向から響いてきた。
まだ遠い。だがすぐにこちらへ来る可能性もあった。
妙才と曹洪は視線を合わせ、頷き合う。
「行け!」
「おう!」
妙才は、孟徳の傍に馬を寄せる。
「行くぞ! 敵の主力が来る」
「ああ」と頷きかけた孟徳の目に、手勢をまとめ、元来た道を戻って行く曹洪の姿が映った。
「子廉(曹洪の字)? そちらは……!」
振り返る孟徳の馬の手綱を、妙才が強く引いた。
「あいつらは囮になる。どうやら俺たちは、敵陣の深いところまで入っているようだからな」
「なんだと!」
忙しなく二人が話している間にも、合戦の声は近くなって来る。
どこかで、『孟徳はこっちだ!』と叫ぶ声が聞こえた。
兵馬の音がどどっと、声の方角へ移動する。
「今だ! 行くぞ」
束の間、孟徳が躊躇する様子を見せたので、妙才は孟徳の馬の腹を蹴り、強引に前へ進ませた。
「次に危なくなったら俺が囮になる。お前は大将だ。何があっても、死んじゃいけないんだ。俺たちはどれだけばらばらになっても、お前がいれば、お前の元で集えるのだからなっ!」
馬を駆けさせながら、妙才は必死に言い募った。
隣で駆ける孟徳の背中から、迷いはじきに消えた。
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…女性の兵士は、実際に割といたみたいです。
…この頃の大陸はホント混沌としてて、何でもアリでした。
…だから面白くて、色んな話の題材になるんでしょうなー。
…東西の交流もあったので、SFファンタジーにいがちな、全身筋肉グラマーな金髪美女軍人もいたかもしれませんねー




