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1.憧れの恋愛とは

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 扉を叩く音に、寝台で眠っていたオフィーリアは目を覚ます。

 小さく開いた扉から顔を覗かせるのは、オフィーリア馴染みメイドであった。

「奥様、おはようございます。朝でございます」

 短く用件のみを告げた言葉に、いまだ夢現を彷徨う女主人は「わかっている」と言うかわりに小さく頷く。

「おはよう、メアリー。今起きるわ」

 メアリーは礼を執って入室すると、窓のカーテンを開けた。

 残念ながら、窓から日が差し込むことはない。産業が発達し、蒸気機関車が走る街は霧に覆われ、空はどんよりと曇っているのだ。

 朝日のかわりにオイルランプに火を灯す。そのメアリーの動きを眺めながら、オフィーリアは身体を覆うシーツが落ちないよう胸元を押さえながら、上体を起こした。

「朝の準備をお願い」

「はい。では、私は失礼致します」

 丁寧なお辞儀をし、メアリーは扉を閉めた。

 肌蹴た肩が寒い。季節は春だが、汚染された大気に太陽を遮られたせいだろうか。夏はまだ遠いほどに薄ら寒い。

 ゆえに、サイドテーブルに置かれる夜着を身に纏った。

 そうして、自分の隣にいまだ眠る夫の身体を揺さぶる。

「旦那様、起きてください。朝でございます」

「ん……」と唸りながら、彼は顔を顰めた。

「旦那様」

 もう一度声をかければ、夫はゆっくりと瞼を押し上げる。視線がオフィーリアへと向けられた。

 オフィーリアは微笑んで、「おはようございます」と告げる。

「……おはよう、オフィーリア」

 相好を崩した彼は、オフィーリアへと手を伸ばし、彼女の頬にかかる栗色の髪を掻きあげる。大切なものを触るように、そっと触れる温もりにオフィーリアも頬を緩めた。


 オフィーリアの夫の名は、ローランド・オルコック。伯爵位を賜る、オルコック家の現当主である。

 淑女も羨む滑らかな亜麻色の髪と宝石のような瑠璃色の瞳を持つ彼は、麗しく艶やかな容姿をしている。ほどよく整ったパーツは、それぞれが見事な場所に位置し、痩せすぎでもなく、弛んでも鍛えすぎでもない体格は”白馬に乗った王子様”を夢見る乙女の理想ともいえた。

 労働とは、中流階級や労働者階級がするもの。それが当たり前の世の中だが、上流階級は上流階級で非労働たる慈善活動に忙しい。上流階級の一員であるローランドも、実業家を目指す若者や学者を目指す若者に出資したり、領地の学校建設に精を出していた。

 そんな、引く手数多の理想的な男性。本来ならば手の届かない筈の彼とオフィーリアが結婚に至るまでは、案外単純なものであった。



 オフィーリア・アレクサンダー。それが、結婚前のオフィーリアの名前だ。

 アレクサンダー家は、初代国王の名将軍を先祖に持つ名門伯爵家。その伯爵家の娘 オフィーリアは、実に普通の娘だった。

 さて、”普通”とはなんであろうか。彼女の”普通”は、”名門伯爵家”という身分を省いてオフィーリア自身のみに注視すれば、秀でた知識や美貌を持っているわけでもなく、かといって劣ってもいない。淑女が憧れる金髪も青い瞳も持たない。一般的な淑女が有す常識を身につけ、流行に乗ったドレスを纏い、皆から浮かない化粧を施す。栗色の髪と焦げ茶色の瞳を持つ娘、それがオフィーリアなのである。

 では、オフィーリアはどうやってローランドと結婚まで漕ぎ着けたのか。

 決して、ローランドがオフィーリアに一目惚れしたわけではない。オフィーリアが既成事実をつくって迫ったのでもない。もっと単純なのだ。

 名門伯爵家の当主、つまりオフィーリアの父がローランドに縁談を持ちかけた。これが経緯。

 詳細を語るならば、オフィーリアの父はとても、とてつもなくオフィーリアを溺愛していた。彼女は、父のこれまた溺愛する母に容姿がよく似ていたことが愛される理由。

 そのオフィーリアは、父と赴いた夜会でローランドを見つめていた。夜会でも一際人目を引く容姿端麗な彼は、人で出来た輪の中心にいたのだ。麗しいがゆえに様々な噂をつくりだす存在――気にならないはずがない。例えば動物園へ行ったとして、客の集う華やかな動物と客が関心を示さない地味な動物、どちらに目が向くというのか。

 結果、父は少々強引なほどの積極性を見せ、オフィーリアの許可なくローランドに縁談を持ちかけたのである。

 さらに、意外や意外、女性に困る事のない、貴族の間では浮名が絶えないローランドは”了承”の意を述べた。

 こうして、オフィーリアとローランドは夫婦になった。



「どうした、オフィーリア?」

 ぼぅっとして動かないオフィーリアの顔を、起き上がったローランドが覗きこむ。

 オフィーリアはローランドを視界に捉えると、目を瞬いて、ふふっと笑声を漏らした。

「旦那様は素晴らしいなぁ、と再認識していたのです」

 ローランドは目を丸くし、ついでオフィーリアの唇に口づけた。啄ばむような、それでいて羽根が触れるような優しい口づけ。

 愛されているのだ――と誤解しそうになるそれだが、実際は違うことをオフィーリアは知っている。

 ――忘れられない出来事がある。心の中心に届くほど深く刻まれ、震えた出来事。



 それは、初夜のこと。

 寝室に二人きり。静かな部屋に響くのは、暖炉の火が爆ぜる音。

 仄かなオイルランプと暖炉の明かりに照らされながら、初々しい新郎新婦はワインを飲む。

 オフィーリアは躊躇いがちにローランドを見上げる。彼は緊張していないらしく、いつもと変わらず優雅にワインを口に含む。しかしオフィーリアはこれ以上ないくらい緊張し、ワイングラスを持つ手も小刻みに震えるほどだった。

 心拍音が相手に聞こえているのではないか――そう思うほど、心臓は大きく鼓動を刻む。

 どうしたら良いのだろう、なにか気の効いた言葉はないだろうかと言葉を探している中、ローランドが徐に口を開いた。

 向けられた瑠璃色の瞳に、オフィーリアの胸はドキンとはねた。

「私は、中身のない外見ばかり繕うようなお嬢様を愛せない」

 ローランドの言葉に、オフィーリアは呆ける。一瞬、なにを言われているのかわからなかったのだ。その耳に心地よい声を頭の中で反芻させる。

 誰のことを言っているのだろうか、とまず考えてみる。今のオフィーリアは化粧をしていない。就寝前なのだから当たり前だ。肌に化粧水を使っているだけ。しかし、わざわざローランドは”今”この発言をし、”お嬢様”と表現した。これは揶揄だろう。思えば、普段、オフィーリアは化粧をしているし、結婚式も当然ながらいつもよりきれいに化粧をしていた。

 何度か目を瞬き、ようやっと自分のことを言われているのだと気がつく。

 オフィーリアはこてん、と首を捻った。

「ですが、内面の美しさは、どのように出すのです?」

 思わず問えば、反駁されることを想定していなかったのか、ローランドは苦味を帯びた表情で答えた。

「……そんなもの、内から自ずと出る」

「自ずと……」

 ローランドの言葉を繰り返しながら、淡紅の唇に指をあてて思考する。

「では、洗練されていない者は、内も外も醜い、ということでしょうか? ならばせめてわたくしは、外だけでも美しくあろうと思います」

 オフィーリアの自論である。

 虚を衝かれたように目を丸くしたローランドだったが、溜息を吐くとこめかみを揉み始めた。やがて鬱陶しげにオフィーリアを見やる。

「……わざわざ婉曲に言ったつもりだが。つまり、私は君を愛せない。義務として子さえ生してくれるなら、後は愛人でもなんでも囲えばいい」

 ローランドの発言に、オフィーリアは極限まで目を見開いた。

 心が震えた。衝撃をもたらした言葉が、はっきりと胸に刻まれるのがわかる。

「……どうした?」

 ローランドは訝りながらオフィーリアの様子を窺う。

 その声に覚醒したオフィーリアは、口唇に弧を描き、手を合わせて声を弾ませた。

「さすが……さすがですわ、旦那様! その見事な発想、わたくし考えも致しませんでした!!」

「……?」

「わたくし、旦那様がどんな方だとしても、政略結婚とはいえ夫婦になった身、愛する努力をしようと思っておりました」

「…………?」

「ですが、それこそ間違いだったのです! 思えば、母は『愛する人を絶対に放してはなりません』と、それはそれは刷り込みのように口にしておりました。その言葉は、母の願いでもありました。そしてわたくし、実は恋物語のように愛し愛される恋愛に憧れていたのです……!」

「……オフィーリア?」

「賛成致しますわ、旦那様! 結婚しても、愛を諦めなくても良いとは、なんたる名案!! さすが旦那様! 素晴らしいですわ!!」

「…………」

 目を輝かせるオフィーリア。ローランドの目には、まるで夢みる少女のように新妻が映った。

 ローランドは呆気にとられながら絶句する。

 しかして、こうして二人は約束を交わしたのである。



 ゆえに、オフィーリアは真実の愛を求め、探す。

 どんなにローランドが甘い声でオフィーリアの名を呼んでも、彼女にはわかっている。約束があるのだから。

 彼女にとって、彼は”素晴らしい旦那様”であって、生涯愛するべき男性ではないのだ。



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