5、 夏休みの会合
マキは、受話器を置いて、ため息をついた。
まめを、れいの画家さんの家にさそってみたのだが、まめは夏休み中、受験のための夏期講習でいそがしく、ひまがないということだったのだ。
「まあ、みんなと宿題を仕上げられるし、あやちゃんもいるから大丈夫よね……」
マキは、なんとか自分に言い聞かせ、とくに成績の悪かった算数の問題集をカバンにつめこんだ。その上に、よくばって夏休みの宿題を全部つめこんだものだから、カバンははちきれそうだった。
夏休みにはじめて画家さんの家に集まる日、朝から太陽がギラギラと照りつけ、じっとしているだけで汗がにじむくらいだった。
学校に着くと、工事の音は前よりもいっそうはげしくなっており、よけいむし暑く感じられた。
「おう! やっときたな!」
勇次がうかれたように、マキに声をかけてきた。
勇次のかばんもばかでかい。マキと考えている事は変わらないようだ。
「まめくん、どうしたの?」
あやねが聞いた。大声を張り上げないと、工事の音で聞こえない。
「塾で予定がいっぱいだって」
「げっ? なんだよ、それ」
勇次はおもわずカバンをドサッと落とした。
「残念だね。でもこれだけいるし、画家さんの家はとてもすずしいから、きっと勉強もはかどるよ。
あ、そうだ。都さんはアカマツのところで待っているって」
「よし、じゃあ、出発しようぜ」
三人は、まるで探検にでも行くかのように、はずんだ足取りで林の中を進んでいった。
アカマツの根元で、夕香がぽつんと立っているのが見えた。
真新しい麦わらぼうしをかぶり、長い黒かみをひとつにたばねている。そして、アカマツをじっと見上げて、何かブツブツつぶやいている。
三人は声をかけるのをすこしためらった。
三人がしばらく夕香を見ていると、夕香の方がふり向いてあいさつした。
「おはよう」
「おはよう、都さん。何してたの?」
マキは、ストレートに聞いてみた。
「え? アカマツにごあいさつしてたの」
三人はだまってしまった。
勇次は『はあ』という口まねをして、手をヒラヒラさせてみせた。ばからしいというしぐさである。
夕香と合流して、いよいよ画家さんの家へ。
道々、あやねは勇次に、画家さんの家の家具がどうの、置物がどうのと、自分が感動したことを楽しげに話したが、勇次はまったく興味がないようで、「はん……はん……」と、てきとうに返事をしていた。ただ、「奥さんの料理もとってもおいしくて……」と言ったところでは、さすがの勇次も「そうか!」と興味深げに返事をした。マキは、同じところに興味をもった勇次が、なんだかおかしかった。
ガケをくだり、前よりもだいぶ背の伸びた草原の中の道をたどっていくと、あの丸太小屋が見えてきた。まだ二回目だというのに、マキとあやねには、なつかしい家にもどったような気がした。
扉が開いて、やはりなつかしい顔の奥さんがのぞいた。
「こんにちは。待っていたわ。どうぞ、どうぞ。
あなたが勇次くんね。はじめまして」
勇次は照れくさそうに、目深にかぶった野球帽のかげから上目づかいにのぞきながら、ペコッと頭をさげた。
中に入ると、あやねの話をうわのそらで聞いていた勇次も、さすがに驚いたようだ。
「すげえ! 赤ずきんの家みたいだ!」
木の家のせいか、窓が大きくて風が良く通るせいか、木かげに建っているせいか、真夏だというのに、家中にすずしい、さわやかな風がふいていた。
夕香は、ドアを入るとすぐ右手のかべに、かぶっていた麦わら帽子をかけた。驚いたことに、夕香のかけた帽子の横に、だんだんと、古く、小さくなるように、同じような麦わら帽子がたくさんかけてある。
夕香の帽子以外の物には、たくさんのドライフラワーがかざり付けてあるので、きっとかべかざりなのだろうが、夕香の帽子が、まるでそのかざりのひとつになっているみたいだった。前にもあったのだろうが、夕香の帽子が並ぶまで、気が付かなかったのだ。
しかし、そのとなりに、勇次の汚れた野球帽や、あやねのキャスケットや、マキのチューリップハットがむぞうさにかけられたため、きれいなハーモニーが、とつぜん不協和音をかなでたようになった。
画家さんがアトリエの扉からチラッと顔を出し、「やあ、いらっしゃい。ゆっくりどうぞ」と一言いって、また中へ入ってしまった。
扉が開いたときに、ツーンと鼻をつくにおいがした。絵の具を溶く油のにおい。
「ごめんなさいね。いま、大きな作品の制作にいそがしくて、ずっとこもりきりなの。気にしないで、ゆっくりしてね」
奥さんが困ったような顔でほほえんだ。
広いリビングの真ん中におかれた、木をそのまま半分に割ったような大きな机のまわりに、四人が座ると、おくさんはガラスのコップを四つ持ってきた。氷も入っていないただの水のようだが、かなり冷たいのか、ガラスコップのまわりが水てきでくもっている。
「どうぞ」
一口飲んで、みんなは驚いた。
「なんておいしいお水なの!」
いっせいに声があがった。
「これはね、ここから少し下ったところにあるわき水をくんだものなのよ。うちには水道はないの」
消毒のにおいのする水しか知らない人には、はじめて味わう味だ。ペットボトルのミネラルウォーターの味とも違う。あまくてやわらかい味が、うっすらと口に残った。
「お水がこんなにおいしいなんて、はじめて知った!」
マキはひとくちひとくち味わうように飲んだ。
画家さんの家は、みんなの家からも学校からもそれほど遠く離れているわけではないのに、まったくちがう世界に来ているようだ。マキの家や学校とは、周りの様子も、くらし方も、まるでちがう。水道もなければ、おそらく電気もガスもないのだろう。大きなランプが、あちこちにかかっていた。台所の勝手口には、食事の用意をするときに使うまきが高々と積み上げてある。マキにも、勇次にも、あやねにも、本当に不思議な世界だった。でもとてもいごこちのいい世界だ。
その日は、みんな何か興奮して、家の中やまわりを探検したり、おしゃべりに夢中で、勉強どころではなかった。
さらにお昼には、奥さんの作ってくれたとびきりおいしいシチューが出されたので、勉強のことなど、すっかりと忘れてしまった。
目的ははたせなかったけれど、その一日はすてきな一日だった。帰るとき、はり切って持ってきた宿題の山が重かったことをのぞけば……。
帰り道、アカマツのところで、夕香は別れて帰っていった。
「都さんの家って、やっぱり、こっちの方なんだね」
あやねの言葉に、夕香も画家さんと同じようなくらしをしているのではないかとマキは思った。同じクラスメイトなのに、夕香については何も知らなかった。ただ、お父さんも、お母さんもいなくて、おばあさんといっしょにくらしているといううわさは、どこからか聞いたことがあった。
「画家さんと奥さんは、都さんのお父さんとお母さんの代わりなのかなあ……」
奥さんが、夕香の友達として、マキたちをあんなにかんげいしてくれるところから、マキは、なんとなくそんなことをつぶやいた。
「ねえ? こういうのはどう?
画家さんのおうちのまわりの自然を、夏休みの共同研究ということで調べるの」
あやねが、突然ひらめいたことを口にした。
「なんだよ、それ。めんどくせえ。自由研究なんかより、さっさと宿題しあげようぜ」
「そうすれば、まめくんも、ひまなときにさそえるじゃない?」
「うわあ! 頭いいあやちゃん!」
「まあ、そういうことなら、いいかな!」
勇次は急に納得したようだ。あくまでも、宿題をまめにみてもらいたいようだ。
「宿題はぬきにしても、まめも、あの家には絶対いくべきだよな!」
「本当に、調子のいいやつ!」
「なっ……」
「じゃあ、そういうことで、夏休みの研究テーマは決まりね!」
ケンカが始まりそうな二人を、うまいタイミングであやねがカバーした。まあ、ちょうど工事の音もうるさいところまで来ていたので、おたがいの会話を大声で交わすのがやっとだったのだが。
帰り道、マキの足取りは、ますますはずんでいた。