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雨色クロスフェード  作者: ゆいる
第二章 ◇はじまりの足音 ―crossing days― 
9/31

(2)

◆マリカ


 どうしても、見てみたかった。



「あん、中までびしょびしょに濡れてしまいましたわ……」


 なんのことはない、靴の話である。



 外はどしゃ降りの豪雨。

 朝方の雨は、どこかわくわくするものがある。


 マリカは自分の身を犠牲にして死守した鞄から一冊の本を取り出した。

 おととい図書室で借りたものだ。

 以前ネットで調べてびびっときたので、学校にあったのは幸いだった。


 そして、昇降口の脇にある全身を映せる鏡で髪をチェック。

 お気に入りの黒のリボンは今日も可愛く揺れている。ちょっと元気がなさそうなのは、傘が守りきれなかったからだろう。まあ、許容範囲内である。


 もうひとりの自分に微笑みかけ、マリカは早速本を開き、しずしずと廊下に歩を進めた。

 落ち着いた足取りで階段をのぼり、二階へ。

 階層があがるにつれて、使用する学年もあがる。一年生である彼女の教室はすぐそこだ。


「……血を数滴。それからラー油と豆板醤を少々。豚足をひとかけら……、なんだかおいしそうですわねぇ――あら?」


 足を止め、『簡単! 誰でもできる三分黒魔術♪』なる本から視線を上げる。

 そこに、黒髪をなびかせてこちらに向かってくる人物がいた。


 精巧な人形のように、凍りついた静の美貌。

 間違いなく目立つ容姿なのに、存在感がほとんど感じられなかった。


 背格好はマリカと同じか、それよりも少し高い程度。マリカ自身、女子のなかではわりと小柄なほうなので、必然的に相手もそのくらいになる。

 しかし、身体の発達具合にはかなりの差があった。主に胸囲という形で。

 マリカが山だとすると、相手は盆地ほどであった。つまりは、完全なる無。むしろ、えぐれといってもいい。

 まあ、比べること自体が間違っているし、意味のないことなのだが。


 すれ違う瞬間、二人の視線が交錯する。わずかな邂逅。

 無言のまま交わった世界は、すぐにそらされた。


 マリカは本を脇に、右手を頬にあて、左手で右ひじを押さえつつ軽く首をかしげる。

 選ばれし者にしか使えないといわれる伝説のポーズである。


「いまのかた、どちら様でしょうか? すごくいい香りがしましたけれど……」


 記憶にはない。少なくとも同じクラスではないだろう。

 胸元のタイは赤。同じ一年生であることは間違いない。


 廊下ですれ違っただけ。なんの変哲もない日常のひとコマだ。

 マリカは目を細め、ぽつりとつぶやく。




「…………ねむいですの」



 本日は水曜日。めでたく三連チャン達成だった。


「……よぉし」


 頬をぺちぺち。マリカは意気揚々と歩きはじめる。

 廊下の窓から見える灰色の空は、いい感じにどんよりで、自然と口元が緩む。


 始めるにはうってつけだろう。

 今日の夜も、あまり眠れそうにないが、望むところであった。






 つつがなく足は動き、教室にて。


「よ! ですわ。本日のわたくしは徹夜明けゆえに、あらゆる意味で絶好調ですの!」


 後ろの扉を勢いよく開け放ち、マリカはすぐそこに座る親友の背に右手をたたきつけた。

 そのとき、鷹世の背中に衝撃走る。


「ってーな、おい! なにすんだいきなり!」


 振り向いた鷹世の表情は険しい。


「あ、あら、ごめんあそばせ? わたくし、そんなに強くしたつもりはないのですけれど」


 が、すぐに破顔。


「まあ、確かに痛くはない。ただ、こういう場合のテンプレートにしたがっただけさ」

「そうなんですの」


 鷹世の言動はたまによくわからない。まあ、突拍子がないことに関しては、マリカとて人のことは言えないのだが。


「んなこたどうでもいい。それで、なんか用か?」

「そうですわ! わたくし、とても良いことを思いつきましてよ」

「へぇ? 一応聞いといてやる。なんだ?」


 マリカ、にっこり。


「今日のお昼は戦争ですの」

「……はぁ?」


 片方の眉を跳ね上げる鷹世。思いっきり意味がわからないという顔だ。


「ふふ。今から楽しみで仕方ありませんわ」

「あ、あぁ、そうかい……」


 るんたった。

 そんな感じで席につくマリカ。

 深くため息をつく鷹世。

 いつもの光景だった。





 面白おかしく一週間が過ぎた。

 マリカがはっちゃけ、いつものように鷹世がそれを切り捨てたり便乗したり。


 これまでも、そしてこれからも変わらないだろう日常。

 マリカとて、それを望むくらいの可愛げはあった。


 けれど、やっぱり不思議なことも大好きなわけで。


「ふんふんふーん♪」


 自室でご機嫌に鼻唄を披露しながら、新調した衣装に着替える。

 壁や棚にはいかがわしい品々が所狭しと鎮座していて、とてもではないが、年頃の女の子の部屋とは思えない。

 何事も気分から、というやつである。


「〝雨亡霊(レイニー・ゴースト)〟、ですか……」


 ここ一週間、校内では〝雨亡霊〟なる存在の噂でもちきりだった。


 雨の日の夕方から夜にかけて現れ、見た人が驚いているうちに忽然と姿を消す。

 その姿は真っ黒なレインコートに包まれ、誰も顔を見たものはいないという。

 無論のこと、マリカが興味を抱かないはずがなかった。そんなあからさまな不思議、見逃せようものか。


 噂を知った月曜日から、マリカはじれじれと、雨が降るのを待ちわびていた。

 そして、二日後の今日。

 夕方から、急に雨が降りはじめた。いわゆる、バケツをひっくり返したような豪雨。

 歓喜したマリカは一度家に帰り、準備をすませていざ出発しようとしているわけだ。



 さらに、マリカにはもう一つ外出する理由があった。


 雨月、という言葉がある。

 月が消える雨の夜。そのほうが、美しい月の姿を空想し楽しめるという風流(パラドクス)だ。


 雨の日には、何もかもが朧に支配される。

 輪郭は霧にぼやけ、肌は冷たく鈍る。

 水玉のはじける音と匂いがあたりにたちこめ、心と世界の境界が溶かされて、あるいは遠くなる。

 

 つまり、不思議なことにはうってつけの環境なのだ。


「材料も揃えましたし、儀式場の下見もしておきませんとね」


 黒魔術。マリカが傾倒するオカルトのひとつだ。

 そのなかの代表的な魔術――悪魔召喚(サモン・デーモン)

 マリカはそれを試そうとしていた。


「……さぁて、行きますわよ」


 鏡の中にはあやしい『わたくし』。にっこり笑えばにんまりと。

 他人から見られる自分の姿。そんなのはどうでもよかった。

 そんなささいなこと、気にもしなかった。


 夜を纏ったようなローブの裾をひるがえし、マリカは雨落ちる鳴夏市へと溶けていった。


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