(6)
◆柚
屈辱だった。
*
「きゃはははっ! もーまいってば、バッカじゃないのぉ?」
甲高さと甘ったるさを混ぜ合わせたような声に、時刻柚はそちらに目をやった。
始業のベルまであと少しだというのに、廊下側の真ん中の席には、『いかにも』な女生徒たちが群れていた。クラスをまたいで集まれるその厚顔さが、うっとうしい。
「ちょっと、あんまり大きい声出さないでよ。ただでさえ今日ちょっと頭痛いんだから」
その中心となっているのは、机に腰掛け、異様に短いスカートから細い足を覗かせている少女だ。
プリーツがシャツの裾に隠れてほとんど見えなくなってしまっている。
皆瀬川彩。
色素の抜けた髪を巻いた、典型的なギャル系の女子高生。
奥歯がぎり、ときしむ。
柚は視線を彼女に固定せず、さらに横にずらした。
一瞬、その先の人物と目が合う。すぐにそらしたが、どちらからだったのかはわからない。
記憶が正しければ、先ほどまいと呼ばれたのが彼女のはずだ。
シャツのボタンは二つめまで開けられていて、胸元を飾る赤いリボンは頼りなく揺れている。今にもこぼれおちそうだ。
だが、服装を乱しているわりに、その容姿はキツいというよりも愛くるしいというほうがしっくりくる。
周りと同じような大きな声を出せそうもない、おとなしそうな少女だ。
茶色に染めて金のメッシュを入れた肩に触れる程度の髪は、ふわふわとカールされていて、彼女が笑うたびにどこか仔犬を連想させる。
くりっとした瞳は大きく、口元はやや薄め。
ほんのりと色づいた頬にはそばかすもニキビも見当たらない。化粧で隠れているとか、そういうレベルではないのだろう。
「えー、なにこれー。メチャカワイイじゃーん!」
「あれでしょ? 最近雑誌でよく取り上げられてるブランドのヤツ。にしてはちょい高すぎだけどさ」
「……うん、まあ」
「……え? 待って、てことはまいこれ買ったの? あっははは、マジで?」
「ちょ、マジなん? ぷぷぷ、それ超ウケるんですケドー! じゃあなに、雑誌で見たんですけどこのネックレスくださーいみたいな? きゃっははははっ!」
「…………そう、だね。あはは、うけるよね」
朝から元気なものだ。
柚は無表情のまま、流れるような手つきで鞄から文庫本を取り出すと、さっそく読み始める。
いつものことだ。
ページを繰る途中でちらりと窓の外に目をやり、再び文字に視線を落とすころには、教室の騒がしさなどもはや意識のかなたにあった。
雲間を刺す太陽の光が、遠く、やけつくように痛かった。
*
鳴夏市。
大都会のような喧しさや華やかさはないものの、田舎というほど静かではない。
駅前を中心に開発の波を受け入れつつも、古き良き景観も色濃く残す、新鮮さと暖かみの混在した街だ。
さらに今は夕暮れ時。よく晴れた茜色の空は不思議な魅力に包まれ、雰囲気がどこか曖昧さを増す。
柚はこの街があまり好きではなかった。
校門を出て、そのまま直進。前にも後ろにも、同じ制服を着た生徒たちの姿が点々とあった。
すれ違う人々は買い物帰りなのか、おおきく膨れたビニール袋を提げていた。ネギが飛び出てたりするのはご愛嬌。
そんな穏やかな街並みのなかを歩きながら、柚は指先でそれをもてあそぶ。
押されこねられひねられるそれは、されるがままに形を変える。柚の思うように。
見つけたのは偶然。昼休み、廊下の隅っこにぽつんと落ちていたのを見て、すぐに拾い上げた。
誰のものか、なんてささいなことは気にもならなかった。
これでまたひとつ、近付いた。
くすり、と笑みがこぼれる。
あとは、なにかきっかけが――、
「そういえば、昼休みのトイレからの帰り、やけに遅かったけど、なんかあったの?」
「え? や、なんでもないの、うん、なんでも……あ」
「どうしたの、まい?」
少し後ろから、そんな声が聞こえてきた。
嫌になるほど聞き覚えがある。
いきなりのことに、柚は手にしたそれをとっさにポケットにねじこんだ。
べつに変なものではないが、見られれば困る。とくに、彼女には。
「……ううん、なんでも」
「なに? あの人になにか用でもあんの……って、もしかしてあれは……」
黒々とした感情がわきあがる。抑えるつもりはないが、顔に出すほど幼くもない。
無表情のまま、柚は再び歩きだす。
「時刻、柚……」
その動きが目立ってしまったのか、後方からそんな声が聞こえてきたが、構ってはいられない。
そんなことは、あとでいくらでもできる。今は、そのための準備だ。
しばらく無言で歩き、そろそろ自宅が近くなったあたりで、柚は一度背後を確認した。
振り返った先には、家々の隙間に夕陽が見えるだけで、誰の影もなかった。
「……早く沈めばいいのに」
切り捨てるようなつぶやきだけが、無機質な道の上に散っていった。