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雨色クロスフェード  作者: ゆいる
第一章 ◇出会い ―first impression―
6/31

(5)

◆翔子


 夢だった。



「やはり、女の子はいいものです。可愛いし柔らかいしいい匂いですし。今日のお昼ご飯は誰にしましょう……うふふ」


 そんなことを考えていたからだろうか。

 階段のなかほど、ちょうど六段目に足をかけた。

 ずるり。

 そう思った次の瞬間、識原翔子(しきはらしょうこ)の体は宙に浮いていた。


「あ……、」


 間抜けな声が口からこぼれる。

 背中から真っ逆さまに、落ちてゆく。このままでは間違いなく痛い目にあうだろう。


 痛いんでしょうねぇ、なんて。他人事のようにぼんやりと思う。


 スローに映る景色。

 正面、ゆっくりと遠ざかる開け放された窓から差し込む光がやけにまぶしい。一日中曇りのはずなのに、そこだけ狙ったように雲が逃げていた。


 絶賛落下中にもかかわらず、翔子はひどく呑気だった。

 人間、危機に陥ると思考がマヒするというのは、どうやら本当のことらしい。


 このままじゃいけないとはわかっている。わかっているのだが、体はぴくりとも反応してくれなかった。

 仕方ないか、と来るべき衝撃にそなえて目を閉じる。唇は苦笑のかたち。

 と、


「――ちょっ、あぶなっ」


 澄んだ、それでいて力強い声が響き、翔子ははっ、と我に返った。

 けれど、それだけだ。なにか行動を起こすにはもう遅すぎる。


 強張った体は、どうしようもなく重い。宙に浮いているというのに、気分は下がっていく一方だった。


 ふわり。


 そんな翔子の頭をなにかが包みこむ。とても柔らかくて、とても温かいもの。

 それから、衝撃。

 頭が、背中が、体が揺れる。

 だが、先に翔子の頭を抱えこんだなにかがクッションになったおかげで、予想していた痛みはほとんど感じられなかった。


 強張っていた筋肉がほぐれ、無意識に再び閉じていたまぶたを開く。

 眼鏡も多少ずれてはいたが、とくに傷なんかはないようだ。愛用しているだけに、ほっと一安心。


 

 思考に追いつくように視界が広がる。明るい。

 窓から差しこむ光は、相変わらずまぶしかった。


「……?」


 どうやら無事だったようだ。


「ふぅ……、おい、お前生きてるか? それとも死んでたり? まぁ死んでたら逃げるけど」


 と、背後からそんな声が聞こえた。


 翔子は声を発した人物を振り向き、それが女の子だとわかると、いまさらながらに背中に感じる柔らかさだとか温もりだとかに気がついた。

 ちょっと肩甲骨あたりに体重をかけてみる。


 ふにゅ。


「ふむ、微乳ですか」

「うん? なんだって?」

「……いえっ、なんでもありませんよ、ええなんでも」


 慌てて距離をとる翔子を怪訝なまなざしで見つめ、少女は首をかしげていた。


 その様子を見て、今の一瞬に何が起きていたのかを理解する。

 どうやら、彼女が受け止めてくれたおかげで助かったらしい。


 はて、と人差し指を唇にあてて思案。

 自分の身長が低いことは自覚している。

 とはいえ、健全な高校生である。それなりに体重もあるはずだ。乙女的には羽のように軽いのです、と豪語したいところだが。

 しかも、足を踏み外したのは階段のなかほど。勢いもそれだけ増すということだ。


 目の前の少女は、そんな彼女をこともなげに受け止めたのだ。


 つまり。

 女の子が、女の子を抱い――うふふ。


「どした? ぽけーとしちゃって。やっぱどっか打ってたとか?」

「……え? あ。いや、なんでもないです。いたって丈夫な健全ですよわたしは」


 翔子自身、なにを口走っているのかよくわかっていなかったが、それも仕方ないことといえる。


 ぼうっとしているところに、いきなり女の子の可愛いお顔が目の前に現れれば誰だってそうなる。

 それをされたのが識原翔子という人間ならば、なおさら。


 まくしたてる途中、少女の胸元へ視線が向いた。

 赤く、存在を主張するリボン。

 翔子たち二年生ならばこれが青色で、一つ上の三年生ならばそれが黒色になる。そして鮮やかな赤色は、目の前の彼女が一年生であるということを示していた。

 ちなみに、男子の場合はこれがネクタイになる。


 リボンを押し上げるものがやや寂しいのは気にしない。むしろ翔子的にはそっちのがよかった。若干勝ってることは関係ない、かもしれない。


 すぅーと視線をあげていき、少女の顔を見た。この日初めて、まともに、正面から。


「……!」


 当たり、だ。


「ま、無事だったんならいいさ。んじゃ、あたしはこれで。次からは気ぃつけろよ」


 黙り込む翔子をどう思ったか、少女は片手をあげ、その場を去ろうとしていた。


「あ、あのっ」


 ん? と振り向く少女。

 当たらなければ砕けるかどうかもわからない。突撃あるのみ。翔子の頭には、もはやその思考しかなかった。



「――わたしとイイコトしましょう?」





 識原翔子という人間を一言で表すとしよう。


 変態である。


 もう少しなにかを付け加えるとしたら、『礼儀正しい』とか『頭はいいけど』あたりが妥当になるのだろう。

 どのくらい変態かというと、学校中の女の子の顔と名前を覚えているくらいである。まさに筋金入り。


 もっとも、翔子本人は自分が変態だと自覚していない。可愛い女の子に目がないだけの一般人だと思っている。

 まあ、自分がそうだと知っている変態はほとんどいない。その人にとってはそれが普通なのだから。良くも悪くも、人のふり見て、ができないのだ。


 実際、嗜好を別にすれば、普通に人気がでるであろう要素はそなえている。


 すっきりとした短髪にやや丸みを帯びた輪郭。

 そこにおさまるのは微妙にタレた目と小ぶりの鼻と口。

 細身の眼鏡は知性を感じさせる輝きをそえていた。

 そんな優等生っぽい外見にたがわず、成績はすこぶる良い。何度か学年でトップをとったこともあるほどだ。


 ということから、彼女に対して好意や憧れを抱くものは多い。男子から告白された経験だってそれなりにあった。

 そして翔子はそのことごとくをお断りしてきた。文句はつねに定型。


『ごめんなさい。わたし、男の子苦手なんです』


 申し訳なさそうにそう言われた男子たちは、そっか、それじゃあ仕方ないかなぁという感じであっさり引き下がる。とはいえ、翔子はその後も今までどおりに接してくれるのでお互い角もたたない。理想的な関係性である。


 が、もちろん言葉通りの意味を含ませたのではない。


 彼女のいう苦手とは、恐怖や嫌悪に基づくものではない。

 単に男の子の場合、抱きついたりしたときの柔らかさとか匂いとかが女の子に比べてアレですよねぇ、程度のことなのだ。

 逆にいえば、それを満たしてさえいれば男の子でも構わないわけだ。まあ、そんな男などめったにいないが。


 知らぬが仏、とはよくいったものである。


「それにしても、さきほどはいい収穫でした。ちょっと危なかったとはいえ、たかせっちに会えるなんて……着々と進んでますよー、うふふ」


 昼休みの残りもわずか。

 教室までの道のりのなか、含み笑う。

 すれ違う生徒たちがぎょっとしたり見ないふりしてるなか、悠然と歩く。


 前を向く。前だけを見る。

 目的ははっきりしている。あとは、ひたすら進むだけだ。


 と、正面から女の子が歩いてくるのが見えた。脳内リストを確認するまでもない。

 あの目立つ髪を見間違えるわけがない。


「……ふむ、今日のわたしはラッキーさんのようですね」


 内心ぐふふ、表面くすりと笑みをこぼし、歩を進める。


 廊下のタイルを踏む音に気付いたか、女の子がややうつむいていた顔をあげた。

 ビンゴ。翔子の口の端がさらに伸ばされる。

 そして。


「きゃー、まいまいじゃないですかぁ! 抱きついていいですかいいですよねそれじゃお言葉に甘えてえーい」

「ふぇぇ!?」


 一目散にダイブ。

 受け止めた女の子の表情が一瞬で朱に染まる。


「あーもう可愛いですっ。この肌っ、この柔らかさ、やっぱりまいまいは最高ですねはぁはぁ」

「っ! ……ぁ……ん、やめ、っはぁ……」


 そのうち翔子は女の子の背後に回り込んで、わきわきと揉みしだきはじめた。


 おもに胸あたりを。

 リボンをしゅるりとほどけば、大胆に開けられたそこは、まさに誘いの隙間。

 ちなみに、翔子が見抜いたところによると美乳らしい。形がいいのは正義である。


 なんとも悩ましい声が漏れはじめるが、ここは廊下。健全で公衆の面前なのだ。

 通りがかった男子生徒などが軒並み前かがみになってしまうのも仕方がない。


「……ふぁ、ん……あの、しょ、翔子先輩、ひぁ、……や、やめてくださいっ」

「むぅ、残念です。せっかくのまいまいタイムが」

「……な、なんなんですかぁそれ、もう……」


 なんとか翔子の腕から抜け出し、乱れた制服をなおすその顔はまだ紅潮し、目じりには可憐な涙が浮かんでいた。またもムラムラくる翔子。

 よからぬオーラを察したか、びくぅっとする金メッシュのギャル風少女。

 見た目にそぐわぬびくびくした振る舞いがなんとも庇護欲を誘う。


 彼女――藍谷まいとの出会いはこれが初めてではない。

 が、初対面でさえだいたい似たような感じだったので、翔子という人間の器は推して知るべし、である。


「……そ、それで、なにか用、なんですか……?」

「いえ別に。しいていえば、まいまいがあまりにも可愛かったもので、つい」

「あ、その、……あぅぅ……」


 そんな理由がまかりとおるのならば、世の中は一部の人間にとって天国と化す。

 羞恥のあまりか、まいはその場から走り去ってしまう。


「あっ。……まあ、また機会はありますよね。今の反応を見るに、まいまいはもう少しで……うふふ」


 小刻みに肩を揺らし、翔子は前を向いて歩きはじめる。

 上機嫌に。鼻唄なんかも勝手にでてくるあたり、絶好調である。


 翔子はスキップでもしそうな勢いで廊下を進む。

 今日はいい夢が見られそうです、と思いながら。


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