(4)
◆鷹世
心配だった。
*
黛鷹世にとって、『親友』という言葉は特別な意味を持つ。
それが女の子なら、なおさらに。
小さなころは、一緒に遊ぶ子なんてよりどりみどりだ。いろいろな友達が増えていく。
その過程で、皆、それぞれの親友との出会いを果たしていくのだろう。
が、今までの鷹世にはそのような存在はいなかった。
性格が邪魔をした、というわけではない。むしろ鷹世は同世代の女の子に比べても明るすぎるほどだし、遊びの誘いも結構多い。
メールや電話をしたり、一緒に出かけたり、あるいは他愛のないおしゃべりに付き合ったり。
そんな経験は人並みにある。
楽しくないわけじゃない。嫌いなわけでもない。
しかし、しかしだ。
(……違う。あたしが欲しいのは、もっと……)
物心ついたころ、映画を見た。髪の色が違うからといじめられる女の子と、ひたすらに明るい主人公の女の子との友情と成長、そして別れまでを描いたものだった。
鷹世は幼いながらにのめりこみ、感動し、いつの間にか主人公に自分の姿を投影していた。
それからだ。まだ見ぬ親友との出会いに思いをはせるようになったのは。
だから、同級生たちとのうわべだけの付き合いにはずっと違和感があった。
勝手に期待を膨らませて、勝手に失望していた。
そして、春。
高校生活の開始にあたって、新しいクラスメイトという存在は避けられない。
表面上の付き合いがまた増えるのか、と思っていた鷹世の憂鬱はしかし、すぐに消える。
新しくクラスメイトになったなかに、たちまち生徒たちの注目の的となった人物がいた。
鷹世とは違い、常にスポットライトを浴びているかのような華やかさをもった女の子。
それが、紅撫子マリカだった。
彼女は鳴夏市でも有数の大企業の一人娘で、端的にいってしまえばお嬢様というやつだった。
しかしそれを鼻にかけることなく、むしろ気さくすぎる性格も相まって、性別を問わず瞬く間に人気を集めた。
金糸を束ねたような長髪は、肩のあたりで黒のリボンによって二つに結われている。
いつも口元に微笑みをたやさず、蒼の瞳はおだやかな意思を感じさせる。
そして彼女の特長として、出るところは出すぎているのに、他の部分はすらっとしているなど、素晴らしすぎるスタイルがあった。
ようは、すごく揺れるのである。たゆんたゆんと。
成績はというと、これが意外なことにあまりよろしいものではなかった。
舌を出して曰く、『学問は少しばかり苦手ですの』だそうで。
欠点すらも親しみやすさへと変換されるあたり、美少女とは得なものである。
そんなわけで。
マリカの周りには常に誰かがいた。
昼休みにはいつも何人かに囲まれるようにしてご飯を食べているし、休み時間はたいてい数人の女子と輪になって談笑していた。
かと思えば、ときおり男子とも仲良さげに話していたり。
実際、鷹世にも、もちろんマリカにも非はない。が、そんな光景を毎日目の前で見せられては、彼女に対して引け目を感じるのは仕方ないといえた。
当時の鷹世にとって重要だったのは、マリカが金髪で、女の子であることだった。
けれど、彼女は友達に恵まれていた。主人公の出る幕はなかったのだ。
悔しくて、羨ましくて、鷹世はどう接すればいいのかわからなかった。
だから、入学してしばらくは挨拶すらしなかった。
そんな二人が急速に仲良くなっていったのは、ある事件を境にしてからだ。
*
五月の初め。
席替えも終わり高校生活にも慣れ、イチャるカップルがあらわれたり適当にさぼったりと、人間関係もある程度の固まりを見せ始める時期だ。
あいかわらず周りに絡もうとしない鷹世と、あいかわらず周りを惹きつけるマリカとの距離は、一番近くにいるにもかかわらず縮まることはなかった。
理由は鷹世にある。
そもそも、マリカからの接触は何度もあったのだ。
おはようの挨拶に始まり、休み時間のおしゃべりやお昼の誘い、お花摘みからごきげんようまで、終始笑顔でかまってくれたのである。
そしてそのすべてを、鷹世はつっぱねた。
さすがに無視したりはしないが、心からの愛想を向けたかといえば頷けはしない。薄っぺらい友情に似たつながり。
それでもめげないマリカに、鷹世は内心でなんだこいつ、との思いが膨れ上がっていた。
が、だからといって対応を変えるでもなく、結果としてすれ違いは続いていた。
そんなある日。学校中がなんだか浮足立っていた。
テストなるもののおかげである。
ゴールデンウィーク明け。どれだけ学力が定着しているかを調べる、というのが学校側の言い分だ。
そこまでガチガチの進学校でもないのにご苦労なことで、と鷹世は思っていた。
二年生にとっては面倒だけど早く帰れる微妙なイベント。
三年生にとっては受験を左右する貴重な機会。
そして鷹世たち一年生にとっては、高校に入って初めての試験。
その、初日。
スタートダッシュ如何でその後のテンションが分岐する大事な場面だ。
テスト開始まであと数分、科目は英語。監督の教師が立ち上がり、用紙を列ごとの枚数にわけはじめた。
さして頭がいいわけでもないが、極端に悪くもないと自覚している鷹世は、いたっていつもどおりにしていた。
焦ったように教科書をめくっているクラスメイトたちを尻目に頬杖をつく。
(いまさら必死になっても遅いだろーに……、うん?)
冷めた目つきでぼんやりしていた鷹世だが、ふとあることに気が付いた。
「……そんな、わたくしとしたことが……」
前の席から、なにやらぶつぶつと聞こえてくるのだ。
鷹世の席は廊下側に五つあるうちの一番後ろ。その前――つまりは紅撫子マリカの席である。
「……どうしましょう……今からでは間に合いませんわ……、とりあえず、積極的な時間の止め方は……?」
なんだか知らないがひどく動揺しているらしい。あの常におだやかな笑みを崩さないマリカが、だ。
しばらくじぃっと観察していた鷹世はやがてあぁ、と理解。
どうやら筆記用具を忘れてきてしまったらしい。そのことが示す彼女の危機も。
いくら勉強が不得意だといっても、不戦敗なんてしたくもないはずだ。
窮鼠とて、相手を噛む歯がなければ普通にさようならである。
さらに悪いことに、今回の監督は生活指導に厳しいことで有名な教師だった。
開始直前になって忘れ物を申し出たところで、怒鳴られて終わりだろう。当然、追試など認められるわけがない。
マリカがうろたえるのも仕方のないことだった。
それを知った鷹世はといえば、ただくるくるとつまらなそうにシャーペンを回しながらそっぽを向いていた。
薄情なのではない。そこにはただ、葛藤があった。
ほぼ見返りがないことを承知で助けるべきか、あるいは見捨てるべきか。
まともに口をきいたこともない人間のために、動けるか。
普段の鷹世ならば、ためらうことなく見捨てるほうを選ぶ。
もともとクラスメイトに対する義理など持ち合わせていないし、表面上の付き合いにも興味はない。
自業自得の他人を助けるなんてもってのほかである。
左手のシャーペンはいつの間にか止まっている。
だから。
そのとき自分がとった行動の理由を、鷹世はいまだに説明できないのだ。
傍観が賢い選択だと、納得していたはずなのに。
有象無象の存在に、期待なんてしていなかったはずなのに。
だから、――だけど。
気まぐれな心が芽生えたのは、まだ他人との関わりを――親友という響きを、諦められない気持ちのせいなのかもしれなかった。だとしたら厄介なものを抱えたものだ。
自嘲か希望か。
ふっと口元を緩める。最後に二回転を成功させた水色のシャーペンが、目の前の華奢な肩をたたいた。
*
「ありがとうございます。死ぬほど、いえむしろ死んでも感謝いたしますわ!」
振り向きざまに鷹世の手を握り、上下にシェイクしながらマリカがそう言ってきたのは、テストが終わってすぐのことだった。
目を丸くする周囲にかまわず、マリカはひたすら謝辞を繰り返す。
なんでも、徹夜がたたってろくに持ち物の確認もしないまま登校してしまったらしい。
お嬢様ということでマリカに対して勝手なイメージを抱いていた鷹世だが、その認識は改める必要がありそうだった。
おしとやかなお嬢様は徹夜なんてしないし、目をキラキラさせながら相手の両手をぶんぶんと振り回したりもしない。
なにがそんなに嬉しかったのか。
圧倒されて、目を白黒させる鷹世にはわからなかった。そこまでのことをしたつもりはないのだから。
「ま、まぁ喜んでくれたならいいけどさ。それより、いい加減手を放してくれないと痛いわけだが、そこんとこどうよ?」
無駄だった。まったく聞く耳を持つ様子がない。それどころか、
「この恩は一生忘れませんわっ」
とか言い始めるマリカである。
いくらなんでも大袈裟すぎやしないだろうか。
そう思ったものの。
このほんわかしたムードをぶち壊すのは気が引けた。
人から感謝されるのは悪い気分ではなかった。
なんとなくそのちいさな手のぬくもりを離したくなかった。ていうかほんとにちっちゃいなおい胸はでかいくせにちくしょう。つっついてやろうか。
などなどの理由から、鷹世はマリカのされるがままとなっていた。
周りのクラスメイトたちが生暖かさとか興奮とかその他もろもろの視線で眺めていたことには、幸運なことに二人とも最後まで気が付かなかった。
マリカが気さくに話しかけ、鷹世がしぶしぶを装いながらも、以前より明るく応じるようになったのはそれからだった。
きっかけはほんの些細なことに過ぎない。けれど、それは確かに前進なのだ。
それまではとくに付き合いもなかった。
そのぶんを取り返すかのように、二人の仲は急速に深まっていった。
そして。
黛鷹世は、人生で初めての親友を得たのだ。