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雨色クロスフェード  作者: ゆいる
第三章 ◇それぞれの夜 ―under the rainy night― 
14/31

(1)

◆至


 だから――、



 土曜日。

 透明なビニール傘を片手に、至は夜道を歩いていた。

 目的はひとつ。〝雨亡霊〟との接触。


「いるわけない。……そんなこと、ありえないんだ」


 不安を押し隠したような表情を、さらに焦燥が覆っていた。

 足取りにもそれは透け、踏みぬかれた水たまりが飛沫をあげて、真っ黒なレインコートの裾を濡らした。

 普段ならばこんなことはない。

 細心の、とまではいかないが、それなりに気を遣って歩く。それが普通だった。


 至は、そんな己の差異を認めるより、一刻も早い事実の確認を求めた。

 雨の日に亡霊が現れるなど、文字通り冗談ではない。

 そんなことは、絶対にあってはならないのだ。


 どこかにもう一人の自分がいるような、気味の悪い感覚。

 ぞわぞわとした寒気は、冷えた体のせいだけではないだろう。


「早く、早く見つけないと……。いや、見つからないほうが……」


 うわごとめいたつぶやき。鋭くとがった視線。

 相反する様子を内包し、至は夜の鳴夏市に歩を刻む。

 降り落ちる雨足は徐々に弱まり、夜空の隙間からは月が姿を見せはじめていた。





 そもそも、彼はなぜ〝雨亡霊〟を追っているのか。

 大多数が噂するその存在。

 誰もが心の底では、そんな非日常が存在するはずがないとわかっているはずだ。

 だが、実際に見たと主張する者も、少数とはいえ間違いなくいる。その語り口は真実味を帯びていた。


 彼らは幻覚を見ていたのか? 

 自問して、至はそれに否定を返した。

 そうだとすれば、複数の人物が異なる日に同じ幻覚を見た、そういうことになる。

 さすがにそれは荒唐無稽な話だ。それこそ非日常そのものではないか。


 やはり、〝雨亡霊〟は存在する。

 それが結論だった。至は確信していた。

 だが、それを信じられない。

 認めるわけにはいかないのだ。


 そんな、非日常を。





 それから、あてもなく彷徨って。

 至は住宅が立ち並ぶ通りにいた。

 日中には結構な数の人々が行きかうこの場所も、夜の九時を過ぎた今となっては寂しく映る。


 どれだけの時間歩き回ったのか、もはやわからない。

 が、それは至がそう感じるだけで、実際はあまり経っていないのかもしれない。

 少なくとも、雨がやむほどの時間が経過しているのは確かだが。


 今日はもう諦めようか。


 そんなことを考えはじめた至の目が、わずかに細められた。

 街灯が薄明るく照らす道の先、ぼんやりとした影が至の正面から向かってきていた。


 近付くにつれて見えてきたのは、黒いパーカーにデニム姿の細身の少女。

 ラフな格好と左手に提げられたビニール袋から、買い物帰りだとわかる。

 右手に持つ傘もまた黒く、先ほどまでさしていたのか、いくつも水滴がついている。

 眼鏡をかけたその顔。どこか見覚えがあるような気がして、さらに目を細める。

 やがて脳内の映像と一致した姿は、強烈な印象をもって至の唇を動かした。


「……いたるん」


 つぶやいてから、はっとする。断じて自分は認めていない。


 識原翔子――確かそう名乗っていた少女は、どうやら至には気付いていないようで、うつむきがちに何事か考え込んでいる様子だ。


 探していた亡霊ではなくてほっとしつつ、けれど残念にも思い、至は伏し目がちに息を吐いた。

 そこには確かに安堵している自分がいて、至は慌ててその思考を打ち消した。

 まだ確実にそうと決まったわけじゃない。判断するには早すぎる。


 深呼吸ひとつ。


 それから気を取り直して再び目線をあげると、いつの間にか翔子のすぐ後ろに何者かが立っていた。


 さっきまで、気配はなかったはずなのに。

 今度こそ、至は息を詰まらせた。

 もしかしたら、という思いが頭を、心を支配していく。

 衝動のまま、至は口を開こうとして、


「、」


 意味のある言葉を口にする前に沈黙することになった。


 至の目には、その何者かが右手に持った何かを翔子の首に突き付けたのが映った。

 その瞬間、バチィッ! という音とともに、翔子の体がびくりと跳ね、しばらくの硬直ののち、その場に崩れ落ちた。

 一拍遅れて、彼女の手から離れたビニール袋と傘がとさりと転がる。


 静寂は幽かにまどろみ、息を呑む音で儚く醒めた。


「なっ……!」


 驚愕し、目を見開く至の前で、そいつはゆっくりと顔を上げた。

 雨に濡れた髪をはりつかせた顔を、完全な姿を取り戻した月が照らしだす。


「君は……」


 狂気に魅入られたその瞳の持ち主は、確かに至の記憶のどこかにひっかかっていた。


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