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雨色クロスフェード  作者: ゆいる
第二章 ◇はじまりの足音 ―crossing days― 
12/31

(5)

◆鷹世


 どうしても、認められなかった。



 その日、朝っぱらからものすごい豪雨だったというのに、マリカはご機嫌だった。

 なんだかんだで巻き込まれることが確定している鷹世としては、少しは落ち着いてもらいたいものだったが、彼女がそう言って聞くような人間ならば苦労はしない。

 ここ一ヶ月ほどで嫌というほど学んでいた。



「……で? 戦争ってなんだよ」


 昼休み。

 鷹世はマリカの背中に問いかけた。

 振り返る。たゆん。

 若干イラッとしたが、なんとかこらえる。


「戦争は戦争でしてよ。わたくしたちは、自らの手で栄光と名誉を勝ち取るのですわ」

「具体的には?」

「お昼ご飯の買い出しに行きませんこと?」

「のった」


 最初からそう言え、とは言わない。この、どこか空っとぼけた、他人から見れば無駄でしかないやりとりが好きだった。

 絶対に、直接言ってはやらないし、表情にも出さないが。


「んじゃ、あたしはちょっくら用事があるから、先に行っててくれ。すぐ追いつく」

「了解、ですわ。それともこの場合、いえっさー、のほうがよろしいのかしら?」


 やや舌足らずな発音でにこにこと見つめてくるマリカ。

 同性だというのに、鷹世の胸が一瞬大きく高鳴った。

 ごまかすようにそっぽを向き、鷹世はひらひらと手を振る。


「さあね。お前の好きなようにすればいいさ」


 正確には『さー』じゃないんだがな、なんてことは言わない。

 それは無粋というものだろう。


「では、そういたしますわ。……こほん。いえっしゃー」


 噛んだ。

 こいつ、狙ってるんじゃなかろうな? とか思いつつ、鷹世は何も聞かなかったことにする。

 それが賢明だろう、お互いに。

 さてその噛んだ当人はというと、微妙に頬を赤くしている。


「…………発音は、大事でしてよ」


 実際、母親がどこだかの外国の血をひいているだけで、マリカ自身は生まれも育ちも生粋の日本人だ。

 そんなことはとっくに知っていたし、だからといってどうするわけでもない。

 黛鷹世という人間がいて、紅撫子マリカという人間がいる。

 それだけのことだ。


「そうだな。じゃ、またあとで」


 照れ隠しにぶっきらぼうな言葉しか出せないのも、彼女がそういう人間だから、なのだ。





 どうも、職員室は苦手だった。

 学校でありながら、大人ばかりが集う空間。

 なんというか、息苦しい。


「……さっさとすませるか」


 別に、呼び出しをくらったとか、そういうわけではない。

 鷹世がここにきたのは、単に提出物があったからだ。


 彼女の言動からすれば意外かもしれないが、実は鷹世、授業は真面目に受けるし、課題などもきっちりこなす。

 あとは普段の態度さえどうにかすれば、見た目もあいまって完全に優等生っぽくなるのだが。



「呼ばれた理由は、わかってるな?」


「ん?」


 無事提出を終えた鷹世がくるりと向きを変えたとき、その声は聞こえてきた。

 雑多な机を挟んで反対側。中年の男性教師と、なにやら話し込んでいる男子生徒がいた。


(ははぁ、いわゆる『ご愁傷様』ってやつだな)


 言葉の端々から推測するに、どうやら進路のことで呼び出されたらしい。

 胸元のネクタイは黒。三年生だ。

 そこまで判断して、鷹世は内心で首をかしげ、また実際にその通りにした。

 思ったことはすぐ実行。いいのか悪いのかは、そのときどきによるが。


(どっかで見たような顔だなー…………お?)


 思い出した。たしかおととい、鷹世が変態女に絡まれた際に通りがかった先輩だ。


 男子の平均的身長で、極端に太っても痩せてもいない。

 そこそこに整った顔立ちなのだが、地味な眼鏡をかけているせいで、どうにも印象に残りにくい。

 日常に埋もれるその他大勢。

 ようするに、男子高校生の見本のような少年だった。


「……わかる?」


 絞りだすようにぽつりとこぼした彼のつぶやき。

 目の前の教師には聞こえなかったようだが、ちょうど横を通り抜けようとしていた鷹世は、はっきりと耳にした。

 虫も殺せぬような、平凡な少年の抱える闇。それを垣間見た気がして、鷹世は獰猛な笑みを浮かべた。


(なんだ。お前もちゃんと生きてるじゃないか……ま、頑張れ)


 先輩だろうが、彼女の前では関係ない。

 無責任な激励の念を送り、鷹世はその場をあとにした。






 さて、マリカとの待ち合わせ場所である購買の入り口にきた鷹世なのだが。

 左にきょろり、右にきょろり、おまけに後ろをちらり。とどめとばかりに前を向く。


「いねぇ」


 で、ある。

 もしかしたら、と思ってひととおり中も探してみたが、やはり待ち人の姿はなかった。


「あんにゃろう……」


 実際、こういうことはよくあるし、もう慣れた。

 なにしろ、相手はあの超天然ふわふわお嬢様。

 突拍子のなさと言動の浮世離れ具合には定評がある。


 が、だからといって許せるかというと、そうもいかない。

 言いだしっぺには相応の責任があると思うからだ。


 さて、ここで鷹世には二つの選択肢がある。

 すなわち、待つか、待たないか。


 正直なところ、さっさと昼食にありつきたい気分ではある。

 とはいえ、結局はここでなにかしら買っていかなければならない。

 それならばマリカと一緒に行ったほうがいいに決まっている。効率的にも、心情的にも。


「あと四分だな。それ以上は待てん」


 頭を掻き、ため息をつく。そうしてから苦笑した。


「……ったく、めんどくせー」



 …………。



「で、四分たったわけですが」


 待ち人、来たらず。

 腕を組んで、指先で肘のあたりをトントンしていた鷹世は、もたれていた壁から背中を離した。

 なんの躊躇もなく歩きだす。

 とりあえず、教室からここまでの道のりを戻ってみるつもりだった。

 が、その足はすぐ止まった。


「いやがった」


 東棟と西棟を結ぶ渡り廊下。そのど真ん中で、のんきにおしゃべりしている金髪巨乳。

 見間違えるはずもない。マリカだ。

 その横の先輩らしき女子と楽しそうに談笑している。

 眼鏡をかけたその顔にどこか見覚えがあると思ったら、いつぞやの変態女であった。

 アブナイ感じの笑顔が実に腹立たしい。


「…………ちっ」


 舌打ちをひとつ。

 なんだか無性にイライラする。

 人を待たせておいて、自分は変態女と逢瀬していることに対しての怒り。

 人の親友をつかまえて、勝手に楽しんでいることに対しての怒り。


 そう、怒りの、……はずだ。

 だって、粟立つほどに。

 こんなにも胸が痛いのだから。


 行き場のない感情を抱えたまま、鷹世は歩き出した。

 その足取りがいつもより不安定で、荒々しくなっていることには、気付かないまま。



 それからの一週間、校内はとある噂でもちきりだった。


「……どいつもこいつも、ったく……常識的に考えてそんなのいるわけねぇだろ」


 自宅の扉の前で吐き捨てるようにつぶやき、鷹世は濡れた傘の水滴をはらった。

 手首まで飛んできた冷たさに眉をしかめる。

 やや乱暴に傘立てに突っ込み、その勢いのまま靴を脱ぐ。


 今朝は晴れていたが、天気予報というものをあまり信用していない鷹世は、自分の勘を信じて傘を持って家をでた。

 結果的にそれが正解だったわけで、もし天気予報のお姉さんを信じた奴がいたのなら、『ざまぁ』としか言いようがない。


 制服から動きやすい服装に着替えつつ、自室の窓から外を眺める。

 夕方からの、激しい雨。


「……〝雨亡霊〟、ねぇ」


 手を止め、目を閉じる。


「誰かさんは大はしゃぎだろーな」


 しばし黙考。屋根をたたく雨音だけが、静寂を埋める。

 やがて開かれたその目には、底の見えない決意が渦巻いていた。


「……めんどくさ」


 いない、と断じることはできる。

 自分一人の問題なら、それでよかった。気にせずに生活していればいい。


 けれど、彼女は。

 いる、と断じている彼女は。


 好奇心だけで首を突っ込むはずだ。

 鷹世にとって癪なことに、それは放っておけない。

 認めたくないことではあるが、事実として率直な感情だった。


 なんだかんだで、自分はあの天然お嬢様のことが大事なんだろう、と他人事のように思う。

 少なくともこうして、危ないことをやめさせようとする程度には。


 見つけて説得するまでは、何日かかろうがやめるつもりはない。

 雨の日のほうが忙しくなるなんて、普通ならありえないことだ。めんどくさがりの鷹世ならば、なおさらに。


「あたしにここまでさせるんだ。余計なことはすんじゃねーぞ」


 取り越し苦労ならそれでいい。

 噂が落ち着いたら、苦労したぶんを思う存分ぶつけてやればいいのだ。



 扉の閉まる音と、空になった傘立てを残し、鷹世は強い雨の中へ一歩を踏み出した。


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