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雨色クロスフェード  作者: ゆいる
第二章 ◇はじまりの足音 ―crossing days― 
11/31

(4)

◆まい


 どうしても、抑えられなかった。



 火曜日の夜は、誰しもちょっぴり気が大きくなる。

 それは、週始めの緊張から解放されたからなのかもしれない。



「……え?」


 よく聞こえなかった。

 正確には、音として認識はしていたものの、内容が理解できなかったのだ。


「だから、まいも行かない? どっか遊びにさ」

「最近パーっとやってないもんねー」


 それはいい。遊びに行くこと自体はなんの問題もない。


「……いまから?」


 まいはちらりと壁にかけられた時計を見た。


 午後七時。

 六月とはいえ、太陽はほとんどがその姿を沈め、辺りには夜の匂いが増えている。

 部活に入っていないまいたちは、放課後になるとたいていは駅前のファーストフードでたむろしていた。

 今日も話は盛り上がり、いつものように解散の流れだと思っていた。


「あったりまえじゃん? さっきも言ったっしょ」


 皆が笑う。甘くて、華々しい空間。

 周囲の人はどう思っているのだろう。

 自分も、この集団のなかの一人に見られているのだろうか。

 けたたましさに、溶け込めているのだろうか。


 視線、うつむく。

 あるはずのものは、ない。


 リボンをなくしてから一週間が過ぎた。

 どこにいってしまったのか、いっこうに見つかる気配はなかった。


「まいってばホント他人に興味なさげだよねー。マイペースっていうかさぁ」

「そうそう。ま、そこがクールでいいんだけど」


 そうじゃない。そうじゃないのに。


 緊張して目は合わせられない。

 恥ずかしくて大きな声で話せない。

 自分から積極的に動けない。

 ひとつひとつはたいしたことないのに、全部が重なって、いつの間にか。

 藍谷まいという少女の虚像がつくられてしまった。


 わたしは、あなたたちが思ってるような人間じゃない。

 そう否定したい。のに、声が出てこない。


 だって、ここを追い出されたら、居場所がなくなってしまう。

 いまさら、孤独に逆戻り。

 そんなのは、嫌だ。


「とりあえずは、ゲーセンかな?」

「うんうん、なんか今日はそんな感じ」

「で、まいも行くよね?」

「……うん」


 苦めに笑って、うなずいた。その返事に、甲高い盛り上がりが生まれる。

 視界の端で、眉をひそめたサラリーマンがこっちを見ていた。


 何をするかできゃいきゃいしている彼女たちを、なんともいえない気持ちで見つめるまいの目が、ふと横に動いた。

 頬杖をついてじっとしている、集団のリーダー格。


「……なに?」

「あ、その、べつに……」

「そ、ならアタシのことは気にしないで」


 彩はさっきから黙ったままだ。

 どこか冷めた部分がある彼女だが、今日はいつにもまして静かだった。


「あー、そういえばさ」


 思い出したように天井を見上げた一人に、視線が集まる。


「どう思う? あの噂」


 なんだろう。首をかしげるまいだが、同じような反応はほかになかった。

 知ってる知ってる、ヤバいよねー、などと盛り上がる皆を見て、まいは取り残されたように顔をうつむけた。

 やっぱり自分は、こういうところで彼女たちに溶け込めないのだろう。

 明確な差を思い知らされたような気分だった。


 とはいえ、これ以上遅れるわけにはいかない。

 まいは盛り上がる会話に耳をかたむけた。


「でも、真っ黒な服着て脅かしてくるだけなんでしょ? 余裕じゃん」

「らしいけどね。それでもじゅうぶんアブナイっしょ」

「ま、あたしらにゃ関係ないって。そもそも、本物かどうかもわからないんだし」

「にしても、〝雨亡霊〟だなんてさ。誰が言ったんだか知らないけど、だっさいよねー」


 店内に響く高い笑い声。いくつもいくつも重なって、まいを押し流そうとする。

 必死に逆らいながら、自分なりに情報をまとめてみた。


(ごーすと、ってことは……幽霊、なのかな。真っ黒で……けど、あんまり怖くない、感じ?)


 人指し指を顎にあて、むむ、と首をひねる。

 そんなまいの頭のてっぺんが、ぽふ、とたたかれた。


「くだらないこと話してないで、いくよ」


 見上げる。交わらない視線。

 それだけ言って立ち上がった彩は、さっさと出口のほうに歩いていく。

 のせられた手の心地よい重さを反芻しながら、まいはただ座っていた。


「おーい、まいー? なにやってんのー?」


 ただ、ぼーっと。





「あー歌った歌った! あたしもう喉げんかーい」

「うちもー」

「んじゃ、今日はこのへんで解散かな」

「そだねー。またねー」


 ばいばーい、と手を振りあい、華やかな騒がしさが散っていく。

 残されたのはまいと彩の二人だけ。


「じゃ、いこっか」


 見上げる夜空は澄み、微妙な形の月がぷっくりと浮かんでいた。満月までは、まだちょっと丸みが足りない。


 もうすぐ、日付が変わることだろう。

 こんな時間まで遊び歩いたのは、もちろん初めてのことだった。


(……お母さん、怒ってるかな。怒ってるよね……うぅ)


 すたすたと歩く彩よりちょこっとだけ後ろをついていく。会話はない。


 互いに、自分から積極的に話すようなタイプではないから、険悪な雰囲気というわけではない。

 が、やっぱりなんとなく気まずい。


(えーと、えーと……どうしよ、なにも話すことないよ……)


 眉を下げ、うつむきがちに歩く。そのせいで、


「わわっ」


 急に立ち止まった彩の腕にぶつかってしまった。


「ご、ごめんなさ……あ、ううん、ごめん」

「なに一人でわたわたしてんの? それよりほら、あれ」


 あいかわらず豪華な指先が示した先。


「あーいうの、アタシ嫌いなんだよね」


 見ると、スーツ姿の男が一人。ふらつきながらこちらへと向かってきていた。

 顔が赤いが、かといって女子高生二人に対して初々しく恥じらっている様子でもない。

 どう見ても酔っ払いだった。


「んん~? なんだぁおまえら、こんな時間に出歩きやがって、悪い子だなぁ」


 身を隠したりする隙もなく、男はにじり寄ってきた。

 酒臭い息が顔にかかり、まいはぎゅっと目をつぶった。


 父親以外の男にこれほど密着されたことはない。あまりの恐怖に硬直してしまう。

 と、


「ちょっと、離れなよ」


 まいを背中に隠すように割って入り、彩は男を軽く突き飛ばした。


「ん、お、おぉっ!?」


 軽くとはいえ、もとよりふらついていた足元だ。男はあっけなく尻餅をつく。


「え? あ、彩……?」


 制服の裾をくいくいと引っ張り、彩を呼ぶ。

 かばってくれたのだろう。それは嬉しかったけれど。


 謝ったほうがいいのではないか。

 なにせこっちは女子高生が二人。対して相手は酔っているとはいえ成人の男性。

 しかもこの場合、酔っているからこそ危険だという可能性のほうが高い。


 しかし、彩は振り向きもせず、ただじっと男を見ていた。温度のない、蔑みきった目で。


「っのガキ、なにしやがる! ああ?」


 案の定男はブチ切れ、怒鳴り、喚きながら立ち上がる。

 それは、彩の後ろにいるまいをびくっとさせるには十分すぎた。


「どぉいうことだって、きいてんだよぉっ!」


 詰め寄る男。怯えるまい。無言の彩。

 そうこうしているうちに、男が二人の目前まで迫る。


「黙ってねぇでなんとか――」

「うるさい」


 何が起きたのか、すぐにはわからなかった。


 どさり。

 そんな音がして、まいがはっとして顔を上げたときには、すでに男は地面に倒れこんでいた。


「…………え?」


 間違いなく、男はうつぶせに横になっていた。一見すれば、寝ているのかと思うほどだ。


 もじもじ。ちらっ。じー。とてとて。

 つん、つんつん。

 気絶している。


「あんまり触らないほうがいいと思うけど」

「ひぅっ! え、えと、違うの、これは、その……」


 変な声がでた。思いっきり動揺し、手と首をぶんぶんと振る。

 わたわたするまいにも気にした様子を見せず、彩は最悪、などとつぶやいていた。


「と、ところで彩、さっき……なにしたの?」

「ああ、コレ」


 ほ、としつつ訊ねれば、ん、と差し出されたほっそりとした腕。

 シミひとつない白さがうらやましい。実際、まいだって負けてはいないのだが、知らぬは本人ばかり。

 そんな女の子の手に似つかわしくないものが、そこにはあった。


「これって……」

「そ、スタンガン。よくあーいうのに絡まれるからさ」

「そうなんだ……」


 曖昧に苦笑を返しつつ、視線はそれに釘付けだった。

 こうしたものが存在することは知っていたが、実際に目にしたことはなかった。

 そんなまいに気付いたか、彩はなんでもないように言った。


「ソレ、あげる。アンタはなにかと危なっかしいから」

「……え? それって、これ?」

「うん」

「え、そんな……いいよ」

「いいから、あげる。男どもにしちゃ、まいみたいなのは格好の的なんだから。それとも、もう持ってたりする?」

「ううん、持ってない、けど」


 しきりに遠慮する。

 だが仕方のないことだ。彼女にとって、これが初めての『友人からの贈り物』なのだ。


 たとえそれが、物騒極まるスタンガンだったとしても。


「もう、いいから早くとってよ。けっこう重いんだけど」

「あ、ごめん。でも、ほんとに……いいの?」

「いいって言ってるじゃん。そもそも、まいのそういうところが……」


 もごもごしながら、急にそっぽを向く彩。

 機嫌を損ねてしまっただろうか、とおろおろするまいは気付かなかった。

 ピアスに飾られた彩の耳が、やや赤く染まっていることに。


「ほら、いくよ」

「あ、うん」


 歩きだす。今度は、二人並んで。

 すこしだけ手のひらにくいこむようになった鞄の重さが、なんだか嬉しかった。


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