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雨色クロスフェード  作者: ゆいる
第二章 ◇はじまりの足音 ―crossing days― 
10/31

(3)

◆翔子


 どうしても、叶えたかった。



 男の子より女の子を好むせいで、子供の頃から女の子へ悪戯ばかりしている。

 そんな翔子は、今日も昼休みになるが早いか、偶然見かけた金髪少女の背後へ忍び寄り、スカートをめくりあげた。


 おとといは思いもしない場所だったし、自分も仕事中だったために実行できなかったのだ。

 このチャンス逃がせようか、いや逃がせない。

 とはいえ現在地は渡り廊下。立派なセクハラである。


 スカートがふぁさっと舞い、禁断のデルタ地帯があらわれる。

 こういうときばかり無駄に機能する視力を駆使して、ふとももやその周辺をばっちりくっきり目に焼き付けた。

 めくれあがったスカートが重力を思い出し、もとの位置に戻る。一言。


「なるほど、白とはわかってますね」

「なるほど、これがスカートめくりですか。なかなか恥ずかしいものですわね」


 セクハラされた直後なのに穏やかな声。振り返る姿すら可憐なその少女。目線はほぼ同じ。

 翔子は彼女を知っているし覚えている。彼女は翔子を知っているが覚えていない。

 二人はほぼ初対面に等しい。それなのにやってのけた翔子は、さすがというべきか。


「こんにちは、紅撫子マリカさん。識原翔子と申します。以後お見知りおきを」

「これはご丁寧にどうも。……あら、どこかでお会いしたような……気のせいでしょうか?」

「覚えていませんか? ほら、おととい図書館の受付で」


 ぽむ。豊かすぎる胸の前で手のひらを重ね合わせ、マリカは顔をほころばせた。

 そのまま数秒停止し、やがてはて、と首をかしげる。


「わたくし、自己紹介しましたかしら?」

「いえいえ、わたし、可愛い女の子が大好きなもので」

「そうなんですの」


 理由になっていない。しかし、にこにこと納得するマリカもマリカである。


 べつに隠してもいないし、冗談でもないんですけどねー、と翔子は内心で肩をすくめた。

 単純に、全女子生徒の顔と名前を記憶しているだけなのだから。

 覚える過程でその人物のちょっとした過去なんかもわかったりするのだが、それを言い触らしたりはしない。当たり前だ。女の子が悲しむようなことをするわけがない。

 逆に、男子は一人たりとも覚えていないのも、彼女が識原翔子たるゆえんである。


 翔子はそっと頬に人差し指をそえた。


(どうしましょう……ここで一気に計画を進めておくのもアリですかね……?)


 ちらり。


「?」


 可愛らしく見つめ返してくるマリカにひとしきり悶えてから、姿勢を正す。


「あのですね、マリりん」

「なんでしょうか?」


 依然、にこにこ。突然のあだ名にもなんら動揺した様子はない。


「わたしの――」



「おいおいマリカちゃんよー、なにやってんだいったい。いーくら待っても来ないから探してみれば、こっそり逢い引きときた。そいつは実にいけねーなぁ……」


 闖入者は女の子だった。

 凛とした立ち姿、だるそうな雰囲気。相反する二つの要素をそなえた和風美人。


「おや、たかせっちじゃないですか。偶然ですねぇ。この前といい、やはりわたしたちは運命に導かれているのですねっ」


 びしぃっ、と手を差しだす。カモンシェイクハンド。


「ねーよ。さ、マリカ。こんな変態はほっといてさっさといこうぜ」

「急ぎの用事ですの?」

「おめーは……、はぁ。ったく、いくぞ」

「あら、まあ、鷹世ったら。わたくし誘拐なんてひさしぶりですわー」


 経験あるんですか、と翔子がつっこむ間もなく、鷹世はマリカの手をひいてずんずんと歩き出してしまった。フェードアウトしていくマリカの語尾がなんとなく物悲しい。


「……また、ふられてしまいました」


 行き場のなくなった手をぷらぷらとさせながら、独りごちる。

 なんだか、鷹世の態度が冷たすぎるような気がした。まだ二回目の対面だというのに。

 もしかしたら、誰かに翔子の本性を聞いたのかもしれない。


「まあ、手ごわいほうが燃え萌えするんですけどね」


 うふふと笑う。歩きだすその背中に、純粋な楽しみが透けていた。

 そうして、昼休みはすぎていく。

 ――平穏に。





 週が変わって、木曜日。

 雨が降っていた。

 突然の豪雨。家の屋根やアスファルトの路面をたたくその音は強い。


 そんな雨の中を、傘も持たぬ一人の女子高生が駆けていく。


 ショートに切り揃えられた青っぽい黒髪。整った顔立ちながら、それをシルバーフレームの眼鏡が硬く演出していた。

 顔をうつむけ、なるべく雨が当たらないようにしてはいるが、無駄な抵抗でしかなかった。


「むぅ。今度から置き傘でも用意しておくべきですかねー」


 ひた走る翔子は、降水確率をにこやかに語るお姉さんを過信した今朝の自分を軽く呪った。

 お姉さんは美人だったので罪はない。まあ、伝えることが仕事のお姉さんに悪いところはないのだが。


 とっくにずぶ濡れになっているシャツやスカートは重みを増すとともに身体に張り付き、ちょっとだけ発育不足な身体のラインをばっちりと浮き立たせていた。

 平均よりもいくらか低い身長だが、均整のとれたスレンダーな体型ともいえる。


(……帰ったらシャワーでも浴びましょ――おや?)


 翔子は進行方向上、傘もささずに佇む人物の背中を捉え、わずかに眉をひそめた。

 なぜなら、その人物が、立っている場所から微動だにしないからだ。


 一般的に、自分から進んで雨に濡れたがる人間はいない。

 いたとしても、それならそれでもうちょっとテンション高くはしゃぐはずだ。


 しかし、目の前の影は違う。

 そんな、『珍しい』に分類されるであろう人物が行く先に立っている。ぽっつりと。


 ――怪しい。


 翔子の脳裏をそんな感想がかすめたが、このままいけばすぐにでも追い越せる。最悪話しかけられたとしても、聞こえないふりをして逃げればいい。

 美少女なら話は別ですけどねー、と一瞬でも考えるあたり、彼女も『珍しい』側なのだろう。


 結論を出し、翔子は速度を緩めずに雨の中を走り続けた。

 が、


「……え?」


 意を決して脇を抜けようとした瞬間、狙ったかのようにそいつが振り返ってきた。

 面食らった翔子は、雨に濡れた道路の上で急ブレーキをかけてしまう。

 振り返った影と、急制動をかけて止まった翔子は、人二人ぶんほどの距離を開けて相対する。


(なんということでしょう……)


 翔子は、思わず止まってしまった自分の胸を揉みしだきたい気分になった。

 が、あくまで気分だけだ。そういうのはやっぱり、女の子にやるべきだろう。


 止まるべきではなかった。走り抜けなければならなかったのだ。

 振り返った人物は、おそらく翔子より若干背が高い。

 おそらくというのは、その人物が真っ黒なレインコートに身を包んでいたために、正確な身長がわからなかったのである。頭をフードですっぽりと隠し、足元まで裾に覆われている。


 人気(ひとけ)のない路地裏。降り続ける雨。黒々とした影。


 これらが示すその正体を、翔子も聞いたことがあった。最近噂になっている、存在(ソレ)


「……〝雨亡霊〟」


 雨は、降り続けている。

 肌に張り付いた制服の冷たさは、もう気にならなかった。


「あっ」


 影は一瞬で身をひるがえすと、あっという間に脇の路地へと消えていった。


「……逃げられると、追いかけたくなるのが本能ですよねぇ?」


 恐怖はない。あるのはただ、純粋な興味だけだ。

 それに、いまさら寄り道しようが、これ以上濡れようがない。


 あとを追って走りだした翔子だが、相手の足が思ったより速く、その姿はもはやどこにも見えなかった。

 とはいえ、ほぼ一本道なので身を隠す場所はないはずだ。


「……おや」


 突き当たりの角を曲がり、すぐに翔子は目を見開いた。

 翔子の脳が、そこにいた者を認識する。見たまま、疑う余地もない。


 傘をさし、制服に赤いリボンをつけた見知らぬ美少女がいた。

 長い黒髪に、新雪のごとく白い肌。

 横に並ぶと漂ってきたいい香りにひとしきりニヤけてから、問いかける。


「あの、すみません。こちらに黒い人影がきませんでしたか?」

「……ええ、きたわ」

「ですよね! ありがとうございますちょっと失礼」

「……え?」


 しゅばっ。

 神速の動きで背後に移動し、胸を揉む。

 若干濡れた布地越しに伝わる感触は、


(……貧乳、いえ、これは……無!)


「ちょっと、何を……」


 さすがに予想外だったのか、少女は焦ったように翔子の手を振り払う。


「あら残念」


 うふふと微笑み、翔子は軽く一礼。


「ありがとうございました。それでは失礼します」


 無言で歩きだした少女をチラ見しつつ追い越し、翔子は影を探す。

 しかし、降りそそぐ雨のなか。

 影の姿は、もうどこにも見えなかった。


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