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 夕飯時まではまだまだ時間があるので博士のところへ寄ることに決定した。

トオルは昨晩からずっとそのつもりだったのだが、マッチの方は違ったらしく、一刻も早くラーメンが食べたいという御様子で我慢してもらうのにも一苦労だった。

 まるで漫画のような、薄暗くて、カビ臭くて、本まみれの、狭い一軒家。これが博士のおうち兼研究室だ。

「相変わらずの散らかりっぷりですね」

そしてその奥でくつろいでいる白髪白髭の優しそうな眼鏡をかけたお爺さんが我らが博士。

「いらっしゃい。これはこれで便利でね、なかなかやめられないんだ。すまないね」

誰も責めていないので肩を竦める博士に悪びれる様子などない。逆に彼は悪戯っぽくヒヒヒと下品に笑うだけだ。

その気持ちはよく分かる。がんばって片づけてもすぐに元通りになるのなら片づけなんかしても時間の無駄。しない方がいい。

トオルの昔の部屋も確かに散らかり放題だった。でも今は違う。部屋に殆ど物がないせいで散らかりようがないから。

 今日は話があって来たのだ。早速だけど本題に入る。

「今日は聞きたいことがあって来ました」

「ほほう」

博士は興味深そうに白い顎髭を撫でた。

 昨晩の新参について軽い説明をすると、博士は少し困ったような顔をした。

「彼らについて教えてください。博士」

「わかった。軽いたとえばなしをしよう。大事な話だから、小町ちゃんも聞いておくれ」

「うん」

それまでソファでくつろぎまくっていたマッチも体を起こして博士の方を向き、姿勢を正した。

「簡単な喩えだと、猫形ロボットだよ」

「は?」

あの猫形ロボット?

「そうそう。彼には妹がいたね」

「はい」

黄色いやつな。

「それがどうかしました?」

「トオルは自分で考えることを覚えなさいな」

「めんどいです」

「……言いづらいから例えてるんだよ。察しておくれや」

博士は困り顔で両手を挙げる。

何故だ。わからない。

「こまさん、帰ろ」

マッチが袖を引っ張る。

「話は?」

振り返ると、博士は

「もう終わりだよ」

と手を振って、ごっついヘッドホンを装着してしまった。博士はあれを付けるとどっぷりと集中してしまって、こちらからのコンタクトが不可能になる。

これのは拒絶か。

なんだか素っ気ない。対応が冷たい。普段の博士はそんな人じゃないのにどうしちゃったんだろう。

猫形ロボットってどういうことだ?

博士はパソコンに向かってしまって、目を合わせようともしない。

「ほら。行こ」

中途半端に広がる靄を一旦固めて、引っ張られるままに二人は博士の元を去った。




 夕日が傾いてきている。

まだまだ時間に余裕があったので一旦帰宅し、着替えてから再びマッチと合流した。

マッチは黒いパーカー、白のプリントTシャツに細いブラックジーンズといったシンプルで無難な格好。

「裾捲ってやがる」

へへっと指をさすと、

「うるさい! 細いのこれしか無かったの!」

がばっと顔を上げてきゃんきゃん言うマッチはまるで小型で凶暴な生き物みたいだ。犬とか猫とか。

ずっと一緒にいるのに例えはペットか。

「はいはい」

なだめて、沈黙。

話すことがもう無い。

いや、無いわけないけど。でも、雑談のネタがもう無い。必死になって探してもこの場面に引っ張ってこれるものなんて一つもなかった。探せ。探せ。話題はきっとあるはずだ。逃げ道はきっとあるはずだ。探せ。探せ。

でもやっぱり逃げ道はそこにはなかった。

 そこにある現実から目を背けたくて街を見下ろした。

この辺りはちょっとした高台になっていて、眼下には水菜原の住宅地が広がっている。そしてこの高台からは、それらを一望できる。

住宅街の上をカラスが鳴いて飛んでゆく。人々は帰路を急ぐ。

 夕日は地平線を削ったりしない。だから日は必ず沈む。紫のベールが天蓋を覆うまでもそう長くない。

 まだ赤い空を仰いでとうとうマッチの方から吐いた。

「わたし達、用済みなんだとさ」

吐き捨てたその顔は苦い顔だ。認めたくないしょうがないの挟み撃ちに遭ったような苦い顔。

博士から言われた事とはつまり、新型の方が高性能だということだ。

単純明快。

簡潔。

だから悔しい。

俺たちはロボットじゃないのに。

……純粋な人間でもないけど。

「言うな」

言うな

「わたし達、もう要らないんだよ」

「おい」

言うな

「もっといいのがいるんだから、わたし達を選ぶ理由はないよ」

「おい」

言うな

「時代遅れの低スペックマシーン」言うな「ガラクタ」言うな言うな「使い古したゴミ」

マッチは目を空にして、言葉を吐き出して、笑っている。

そんなこと、言わないでくれ。

 気が付いたら体が動いていた。

そこには人形のように無抵抗に首を絞められているマッチと、空いた方の手を振りあげている俺とがあった。

 人を殴るときは目を見て殴るようにしている。

 俺は確かにマッチの目を見た。

「   」

見た。

声にならない声。


古潟小町は怯えていた。


目に涙を溜めて、唇をふるわせて、身を竦めて、その目は俺の方をまっすぐ見ているのに俺を見ていない。


ただ、古潟小町は怯えていた。


「ごめん」

 殴らずにマッチを解放して、ガードレールに腰掛けた。

どんどん日が沈んでゆく。

「俺だって認めたくないんだよ」

「でも、しょうがないもん」

そう。しょうがないこと。時間が経てば新型が出る。俺たちの出番はもうない。

用は済んだんだ。時間が経ったんだ。二年も。二年もの月日が。

日は沈む。

「わかってる」

ふと見ると、自動販売機の前でガキがだだをこねている。ガキを甘やかしてはいけない。そいつの母親はガキをおいて歩き出す。

それを見てか、マッチは伸びをする。

「悔しいなあ……」

ガキは泣きながら母親を追う。母親がいなくちゃしょうがない。ジュースは諦めたか。

悔しい。

悔しい? そう。悔しい。

無情にも時間は経つ。有情にも母親は去る。ガキはジュースを諦めて、俺たちは改造人間を諦められない。

時間が経てば当然のように新型がやってきて、俺たちは用済みだ。しょうがない。諦めないといけない。それが悔しい。

「悔しいな」

同意の声に二年間一緒に戦ってきた仲間は顔を上げた。

「こまさん……」

それからすっとこちらへ寄ってきた。

「   」

かける言葉はない。

頼られてもしょうがない。

だって同じ立場だし。

「とりあえず、エニグマ行こう」

「うん」

大人だったら栓抜きとビール瓶で解決かもしれないけれどそうはいかない。生憎、俺もマッチも健全な高校生だ。

……まともな人間じゃないけど。

レッドカードへ行くというのにマッチの足取りは重たそうで、こちらの気分も落ちたまま。日も沈んで、あたりは暗くなり始めている。

あたりは暗くなり始めている。



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