とある田舎のバス停留所にて
とある田舎のバス停留所にて
緑が一面に生い茂り、虫や蝉が泣いている。雲は少し陰りだしている。はぁ。何故こんな所にいるのだろう。それが、俺の正直な感想だった。
携帯は通じない。圏外状態が継続している。周りに建物がない。俺が住んでいる都会の街並みと違い、ここは自然に溢れている。都会がコンクリートジャングルなのに対し、まさにジャングルのような場所であった。しかし、アスファルトで出来た道路があったのは唯一の救いだ。道沿いに歩いて行けばきっとなんらかの移動手段が見つかるはず。俺がそう確信したのはもう三時間前のことだ。
大体、こんな事になったのも全てあの野郎のせいだ。上司だからって威張り散らした挙句、人を散々こき使いやがって。だいたい奴が、隣の県まで出張だ行け。なんて言わなければここにくる事もなかった。さらに奴が、乗る車が余ってないからこの古い方に乗って行け。なんて言わなければこんな所でエンスト起こすこともなかった。最近、使われていなかったこの車を使わせるものだから、ガソリンが切れてしまったのだ。
まぁ、確認しなかった俺も俺だが。しかし、いったい俺はどのくらいの距離を歩いたのだろう。雲行きが怪しかったので傘も持ってきておいたが後悔した。もう車の場所には戻れない――というか、道が分からない。ん? ちょっと待て。先程は車が止まったことで、仕事の疲れや上司への不満、日々の生活、人生のストレスが噴き出してきたから忘れていた。どうやって車を取りに行くか。一旦、家に帰った後、ガソリンを持って来ても場所が分からない。まぁ大体で探すしかないが。ただそれはとても面倒だ。しかし、他にいい案もない。だが、とても実行はしたくない。うむ。とても悪循環している。
さて、どうするか。そんなことを考えていた時、ふとある物が眼に止まった。丸い部分にその場所の名前を示し、その下に時刻表が付いているアレを。そう小型標示柱。一般的にバス停と呼ばれる物だ。
『桜並木』
近くには木で出来たボロボロのバス待合所もある。助かった。とりあえず中に入りバスを待つことにするか。俺は急ぎ足で待合所に向かう。そこに入ると中は決して立派なものではなく、座る場所に壁、天井が付いている貧相なものだった。
「よいしょっと」
つい、年寄りくさい言葉が出てしまう。だが三時間ちょっとも歩いたんだ。それは当然だろうと思う。
「ふぅ~」
俺は横になり、今までの疲れを癒すようにくつろぐ。とても長い距離を歩いた俺の足が気持ちい良いと言っている。このまま、眼を閉じて寝てしまいたい。頭がぼうっとしてくる。このまま夢の中へ――だめだ! 俺は無理やり頭を覚醒させる。バスの時刻表を見なくては。こんなところだから、十五分はありえない。よくて三十分。悪くて1時間程度のはずだ。きちんと確認しておかなければ乗り過ごした時、無駄に時間を消費することになる。俺は足に力を込め、体を起こす。時刻表は――って。
「はぁ!?」
おかしいだろう! 何故、バスの本数が一日に二本なんだ。しかも七時と十九時。現在二十時なので遅れているということは考えられない。つまり、あと――
「十二時間……。半日じゃないか……」
絶望した。今から、何をすればいいんだ。会社にも行かないといけないのに。あの野郎にまた嫌味を言われる。どうする。どうするよ、俺。また歩くことにするか。それしか方法はない。かと言っても、もう歩く気力がないというのが現状だ。やめるか。いや、やはり行かないといけない。この不況の中、リストラの原因を作りたくはない。苦労して、やっと入社したのだ。もう面倒な就職活動をしたくはない。きっと他のやつも一緒だ。この世には、仕事に就きたくても就けない奴はなかなかいる。そいつらが大量にいる中に無断欠勤なんかして大丈夫なのか? 分からない。分からない不確定要素は取り除いていたほうがいいのかもしれない。しかし、これ以上歩いたら本当に足が壊れてしまいそうだ。どうする。どうする。どうする!?
空から一滴、また一滴と水が落下してきた。いつの間にか怪しくなってきていた雲行きが、少しずつ水を落としてきている。その雨量は少しずつ増していく。気づいた時にはすでに雨の勢いは強くなっていた。
「はは……」
自然と口から苦笑が漏れる。この雨は俺に行くなと警告している。そうだ。そうに違いない。ここで後、半日ほど休んどけと言っているのだ。優柔不断な俺の為に神様が決断を下させてくれたのかもしれない。神様万歳。神様万歳。
……なに考えているのだろう、俺。はぁ、とため息を一つこぼしこれからを考える。ともかく、これでここにいることは確定だ。ということは……。
「さて、何をしよう」
あと半日。休むことにするのはいいが歩きたくないというだけで、眠いというわけではない。つまり、することがないのだ。暇で暇でしようがないということなのだ。
「……」
流れ落ちる雫をじっと眺めてみる。様々な形と大きさの物が地面に当たり、小さくなった粒が四方八方に分散する。それの繰り返し。今までこんな風に雨をじっくりと見たことがなかった。鬱陶しいだけかと思っていたがどうやら間違いのようだ。暗闇の中でキラキラと光る雨粒たちは宝石のようで、いつまでもいつまでも眺めていた。
どれくらい眺めていただろう。ふと我に返り時計を見る。
「五分しか経ってねぇじゃねぇか!」
誰も居ないがつい突っ込みを入れてしまった。少なくとも三十分、多ければ一時間は軽く経っていたと思っていたのに。これでは先が思いやられる。
「……」
どうしよう。暇だ。大体、入社してから忙しくて仕方のない日々だったのだ。そんな俺がのんびりと時を過ごせって言われても無理だ。歩きたくはない。風景を眺めるのも飽きた。俺は一体なにをすればいいのだ。
雨は途方にくれている俺をあざ笑うかのように音を立てている。やはり鬱陶しい。先程の感情は間違いだったのかもしれない。どうするか。とりあえず出来る事を選択肢としてあげてみるか。
一、携帯を弄繰り回してみる。ただ、携帯は圏外になっていてネット関係は使えそうにもない。かと言ってネットを使わないでで暇つぶしが出来そうなものはない。
二、寝る。ただ全く眠くない。
三、歩く。雨だしもう歩きたくない。
四、ただひたすら外を眺める――ことはもう飽きた。
はぁ。ろくな選択肢がない。なんということだ。あれ? なんか雨の音に交じって足音が。
「た、助かった!」
可愛い声と共に1人の女の子が飛び込んできて――。
「ふぐぅ!」
俺の顔面に猛烈な頭突きを食らわせた。
「痛っ!って、わ、わわ人? なんでこんなところに――じゃなくてごめんなさい! 人がいるなんて思わなかったから」
視界がぼやける。誰だよ。いくらこんな人がいなさそうなバス停だからって突撃してくるのは。
「あ、あの大丈夫ですか?」
ようやく視界がはっきりしてくる。俺の目の前には制服を着た高校生らしい女の子がおろおろしていた。何にも反応しない俺を本当に心配しているのか、その顔は不安でいっぱいだった。
「大丈夫だよ。でも、どうしてあんな飛込みを――」
そこまで言って気づいた。彼女が全身びしょ濡れだったから。苦笑を漏らし彼女は言った。
「あはは。急に雨が降り出しましたからね。濡れるのが嫌いな私が十ここを見つけたんですよ。そしたらここに飛び込むしかないじゃないですか」
「ちょっと待て。理由になっていないようだが」
彼女はショートカットの髪を丁寧に拭きながら可笑しなことを言い出した。
「まぁ、細かいことは気にしない気にしない」
細かいことじゃないような気がする。
「それより大丈夫ですか? お顔」
「あ、あぁ大丈夫だ」
「え? だって酷いことに……」
「はぁ? ……! もとからだ!!」
失礼な!!
「そういえば、おじさん。こんな所で何してるんですか?」
「おじさん? おいおい、まだ俺はそんな歳じゃないぞ!」
出会い頭に失礼な娘だな。
「え。そうだったんですか!」
心底驚いている彼女を小突く権利はあるのかな。
「俺は二十六だ」
「嘘!」
彼女は本当に驚愕した。
「でもあたしと十も歳が離れているからおじさんって言えばおじさんですよ」
「あのなぁ……」
あきれて物も言えないとはまさにこのこと。
「で、おじさんはこんな所で何してたんですか?」
はぁ。もういいや。
「なにってここバス停だぞ。わざわざ聞くほどじゃないだろ」
「え。だっておじさん、ぜんぜん濡れてないから雨宿りはないかなと思って」
「なぜ素直にバスを待っていると考えない」
「ここのバス半日に一本ですよ。しかもこんな山奥。ここを雨宿り以外に使っているのを見たことないです」
そうだろうな。俺とてこんな所でバスを待つとは思わなかったからな。
「そのまさかだとしたら?」
「か、考えられません!」
「はは」
つい、目の前の少女とのやり取りが面白く、笑みを零してしまう。
「あ、おじさんって笑える人だったんですね」
「おい! 会って間もない人間を何だと思ってやがる」
「だって、ずっと不機嫌そうな顔をしてたですし」
そうなのか。確かに色々考えていた。いや、最近笑ったのはいつのことだ。ずっと笑うことをしなかった。それにしてもこの少女は何者なんだ。初対面なのについ話してしまい、あまつさえ笑ってしまった。なんかとても新鮮だ。でも、不思議に思うことがある。なぜ、この娘はこんな所まで雨宿りに来たのだろうか。中々の距離を歩いたが民家らしきものは見当たらなかった。近くに学校なんてあったのか。何故一人なんだ。しかも、この時間帯だぞ。思えば思うほどこの山奥に女子高生が一人で居た、という状況が不思議でならない。思い切って聞いて見るか。
「なぁ、君って――」
「君じゃなくて紀美香ですぅ。あ、まだ名前言ってなかったですね」
「ん。あ、そういえば」
「私は牧野 紀美香です。ぴちぴちの女子高校生ですよ。おじさんは?」
「俺は、後藤。後藤 高貴だ」
「後藤さんか」
「おい待て。今のイントネーションは間違っている。君の言い方だとお父さんと同じだ」
「だから君じゃなくて紀美香です!」
どうやらこの娘は君呼ばわりされるのがいやなようだ。紀美香ちゃんとでも呼ぶか。
「まぁ、イントネーションはどうでもいいじゃないですか、おじさん」
「結局、おじさん呼ばわりなのかよ。名字で呼んでくれることを期待したぞ」
さっきまで後藤さんと呼んだのに。
「あははは。おじさんはおじさんです。ん、さっきおじさん何か言いかけてませんでしたか?」
そうだった。忘れていた。
「なんで紀美香ちゃんはこんなところを一人で歩いていたんだ? 民家なんか一軒もなかったぞ」
それを聞いたとたん、彼女は少し顔を強張らせたような気がした。
「いいじゃないですか。そんなこと」
「いや、俺はただこの辺りに民家があるのかなと思っただけで――」
その言葉を最後まで言うことは出来なかった。
彼女が、紀美香ちゃんが今まで見たことのないような眼でこちらを見つめていたからだ。俺は俯く。これ以上直視できなくて。彼女はじっと無表情で見つていた。恐怖を感じる。なぜかは分からない。だが怖ろしいと感じた。しかし、その眼は寂しさというか、哀愁を感じた。
顔を上げると、彼女の顔は少し前の朗らかな笑顔に変わっていた。
「おじさんこそどうしてこんなバス停でバスを待っているんですか」
見間違いなのだろうか。あのような眼をするなど思えないほどまぶしい笑顔をしている。そうだ気のせいだよな。
「おじさん?」
「あ、あぁ」
どうやら呼びかけられていたようだ。恐怖が渦巻いていた俺はしどろもどろに返事を返した。
「悪い。なんだっけ」
「おじさん。酷いです」
「わ、悪かった、悪かったよ」
「むぅ。おじさんが何でこんな所でバスを待っているかって話です」
「あぁ、そかそか。悪い悪い。えっと俺はな、この近くで車がエンストしちまってな。民家を見つけて事情を話して助けてもらおうと思っていたんだが、見つからなくてな。それでくたびれちゃったところにこのバス停があったんだよ。入らないわけにはいかないだろ」
「なんで、そうなるんですか」
「ま、まぁ。ここで時刻表を見たらびっくり」
「次、来るのが半日後だったんですね」
「その通りだ。それで歩くか待つかを決断しきれないでいたら」
「雨が降ってきちゃった、という訳ですね」
「あ、あぁ。その通りだ、が人の台詞を先に言うなよ」
「あはは。でもこんなところまでよく来ようと思いましたね」
「うるさい上司の命令でな――ってちょっと愚痴っぽくなるけど聞いてくれるか」
目の前の少女はこくんと頷いてくれた。
それから、俺は目の前の少女に愚痴を延々と語った。五月蝿い上司のこと。面倒くさい周りの同僚のこと。滅茶苦茶である仕事内容。
抱え込んでいたものを全て吐き出した。溜め込んでいたものを全てぶつけた。社会人が高校生に愚痴を溢す。しかも初めて会って間もない娘と。大人げのない話だが、それでも俺はぶちまけたかった。紀美香ちゃんに話したかった。彼女は静かに、相槌を打ち、真剣に聞いてくれた。それが何故か無性にうれしかった。
「確かに、それは酷いですね。ガツンと言えば良かったのに――ってあれ? ど、どうしたんですか? なんで泣いて……」
真剣に聞いてくれたこと。それがとても嬉しくて。嬉しくて。なぜか込み上げるものを止められずにいた。
しばらく経ってようやく落ち着いた。
「大人の人に泣き付かれるなんて人生の思い出の上位のほうに入りましたよ」
「そりゃ、悪かったな」
彼女の皮肉を笑って返す。しかし俺は、何をしているのだろう。高校生の女の子相手に愚痴を散々言い、挙句の果てには泣き付いてしまうなど大人気がなさ過ぎる。馬鹿だな、俺。本当に馬鹿だな。
「そんなことないですよ。泣いたっていいんです。大人だからって関係ありません。泣きたい時は泣くべきなんです」
まるで心を読まれたかのような言葉だ。しかも、はっきり断定して頼もしく見える。
「紀美香ちゃんはすごいな。俺みたいな大人なんかよりよっぽどすごい」
「そ、そんなこと」
「君みたいな子はきっと悩みもなくて、毎日が楽しいんだろうな。俺も高校生の時に戻れたのならそんな風になれるのかな」
「おじさん」
彼女は少し強い口調で俺を呼んだ。
「おじさん、私にだって悩みはあるしそれは他の高校生もですよ。いや、きっとみんな悩みは抱えていると思います」
妙に人生を悟っている、と思ったがそれは口に出せなかった。
「普通の女子高生もですねいろんな悩みがあるんですよ」
「そうなのか?」
高校生。なにかと可笑しなことばかりしたことの記憶がない。悩みなどなくて毎日を楽しんでいたような気がする。やはり男子と女子では違うのだろうか。それとも時代の流れだろうか。俺は散々愚痴をぶちまけたのだ。今度は俺が聞く番だ。そう思い彼女の声に耳を傾けた。
「まずですね――ってほとんど人間関係ですけどね。彼氏のこととか友達のこととか。後はまぁ、髪の手入れとかダイエットとか。考えただけでも五万とあります。特に友達との喧嘩は本当に悩みものです」
「喧嘩なんて年中するじゃないか」
少なくとも俺は毎日いろいろ言い合っていた。
「男子と一緒にしないでください! そんな生易しいものじゃないんですよ。もうずっと口を利いていないし……」
そういうものなのか。ん? 今の一言はもしかして……。
「誰かと喧嘩……しているのか?」
彼女は少し肩を下げる。それから少し暗い表情で話し始めた。
「はい……。ずっと、ずっと一緒だった親友がいたんです。幼稚園から――いや、それより前から遊んでいたような気がします。小学、中学、高校とずっと一緒でした。高校に入ってからもその娘と仲良くしてたんです。それがそんなある日……」
時折、寂しそうな表情を見せる少女を見ていると、相槌を打つことで精一杯だった。
「彼女があたしに話があるって言ってきたんです。わざわざ何を話すのかと思いますよね。何だと思います?」
「う、うーん。彼氏ができた、とか」
それぐらいしか思い浮かばない。
「半分当たりですよ」
「は、半分?」
どいうことなのだろう。最近流行の新人類というやつだろうか。
「へんなこと考えないでくださいよ。あのですね、好きな人が出来た、と打ち明けてくれたんです」
なるほど、そういうことか。
「打ち明けてくれたことはとても嬉しかったんですが、実は……その……」
「紀美香ちゃんも同じ人が好きだった、とか」予想を口に出したとたん、彼女の顔が一瞬で真っ赤になった。
「う。何で分かるんですか」
話の流れから大体分かるのだがな。なにか少し見栄を張りたくなった。
「大人の勘ってやつだ」
「……。えーと、それでですね」
華麗になかったことにされた。
「あたしも打ち明けたんです。同じ人が、良明のことが好きだって」
良明というのは、好きな男の名前か。
「なるほど。それで?」
「これからどうしようかって、話し合って決めたんです。あと一ヶ月間は二人とも手を出さず、過ぎてからアプローチを掛けようと。そして、どっちと付き合っても文句なしでいこう。応援しようって」
「うんうん。いいことじゃないか」
「全然いいことじゃありません!」
語尾が強く発音される。
「その娘、裏切ったんです」
「え?」
「一ヶ月間はなんにもしないって言ったのに告白したんですよ! そのまま付き合っちゃって……。ずっと謝られたけど許す気になんかなれなくて……。そのまま……ずっと口を利きませんでした」
「でした、ってことは仲直りしたのか?」
「死んじゃったんですよ」
少女はとても暗く、さびしそうな表情を見せた。その顔を見ているとこっちの心までが痛むぐらいに。
「最期に、最期に一言謝りたかった! ごめんねって! 応援するよって! 必死に謝ったのだから許すべきだと気づいていたのに、気づいていたのに! ……最期の最期まで言えなかった」
少女の頬を一筋の水が流れていった。その量は後から後から増えていく。
「うわああああああ! 会いたい、もう一度だけ会いたいよ! 話したいよぉ!」
俺は泣きじゃくる彼女に、肩を貸すことしか出来なかった。
「落ち着いたか?」
「あはは……。ごめんなさい。あたしも泣いちゃいましたね」
「いや、さっきは俺が大泣きしたからな。紀美香ちゃんは学生だからまだ良い。俺なんか大人だぞ! 男だぞ!」
先程のことを思い出しながら言うと、彼女は少し笑みを見せてくれた。
「あはは。あたしたちって似てません? 自分の愚痴を話して、泣いて……」
「さっき自分で言ってたじゃないか。『泣きたい時には泣けばいい』って」
「そ、そうですね。あはは。自分で言ったことを実践しなくてどうするんですかね」
「自分で言うな自分で」
「やっぱり面白いですね、おじさんは」
「そんなことないと思うが……。紀美香ちゃんに会えたおかげなのかもしれないな」
彼女が俺から少し距離をとった。
「おい。何故、距離をとる」
「だって今、あたしを口説こうと」
「してねぇ!」
紀美香ちゃんは微笑んで先程の場所に戻る。
「冗談ですよ。冗談」
「ったく。俺は君に感謝しているんだ。久々に笑ったし、久々に人との会話で楽しむことが出来た」
何故か苦笑する彼女。なにか悪いことを言ったのかもしれない。
「違いますよ。そういうことじゃないんです。
あ、今何時です?」
そういやずっと話に夢中で時計を見ていなかったな。辺りはもう完全なる暗闇に覆われている。結構経ったなと思いつつ時計を見た。
「うわっ。もう一時回っているぞ!」
そんな話し込んでいたのか。全く気づかなかった。
「もう……すぐか……」
無表情な紀美香ちゃん。しかし何時かのような恐怖は感じない。何かと分かれなければならない様な、そんな物悲しい表情だった。
「紀美香ちゃん……?」
名前を呼び、気づいた。
「え? なんですか?」
「帰らなくいいのか? こんな時間だぞ。きっと親御さんが心配している」
苦笑。少女は作ったような笑みだった。
「心配なら、もうおかしくなるぐらいさせました。もう……大丈夫です」
俺は彼女が何を言っているのかが理解できない。どのくらい心配させたのだろうか。これ以上心配させないように早めに家に帰るべきだと思うのだが。しかし、もう大丈夫とはどういうことなのか。
「なぁ、紀美香ちゃ――」
名前を呼びかけた瞬間、彼女は立ち上がりこちらを向いた。ちょうど向かい合うような形になっている。
「ごめんなさい!」
は? 何故、謝られるのか分からない。何かされたか? 何がなんだか訳が分からない。
「実はあたし……」
何かを打ち明けようとしているようだ。しかし、彼女は途中で言葉を放つのをやめてしまった。静寂が訪れ、夜の虫と雨音がが美しいハーモニーを奏でているのがはっきりと聞こえてくる。俺も彼女も何も音を立てなくなった。静寂。虫たちも泣き止み、音がなくなった。静寂。耳が働かない。雨は降っているはずなのに。静寂。ここは音がない世界なのかもしれない。訪れる静寂。静寂。静寂。
そんな静けさが破られたのも時間の問題であった。激しい足音が雨音を掻き消しやってきたのであった。
「紀美香!」
高い声と共に現れた姿はとても見ていられなかった。この雨の中をずっと走ってきたのか二つに分けた髪も、制服も靴も全てがずぶ濡れで泥水で汚れていた。
「紀美香ぁ! 紀美香ぁ! 会えた、会えたよ……」
紀美香ちゃんの名前を呼びながらぽたぽたと眼から水を流す少女は彼女の友達なのか。何故こんな時間に、こんなところに来たのだ。次々と疑問が沸いてくる。
「朱里……!」
このツインテールの娘は誰なんだ。いや、もうおれにはその答えが分かっているのではないのか。認めたくないだけではないのか。非現実的なものを。
「朱里! どうしてここに?」
「あんたに会いに来たに決まってるでしょ」
紀美香ちゃんの話に出てきたあの娘ではないのか?紀美香ちゃんも顔を涙でくしゃくしゃにしているところから考える。 すると恐らく――いや、確実とでも言っていいだろう。ある結論に至った。
「最期にあんたに謝りたかったのに……。ずっと後悔してた。本当に、本当に……」
「朱里ぃ……」
はっきりしている。朱里と呼ばれた少女は、声もそうだが全体的にはっきりしているような気がする。こんなものなのか?
「朱里。あたしも謝りたかった。あたしもずっと、ずっと後悔していた。あの日から……」
「紀美香が謝る必要はないでしょ! 私が全部悪いんだから……」
何故、こんなにも俺は冷静なのか。あまりにも現実的過ぎるからなのか。
「ううん。私だって悪いの。朱里はあんなに謝ってくれたのに、口を利かなかった私も」
「……」
「ずっと怒りを納めることが出来なかった。でも、そんなことしたって誰も得なんかしないって気づいたのは……」
「紀美香ぁ……」
「……あたしが、死んだ後だった」
その刹那、一瞬にして血液が逆流したように感じた。『あなたが』ではなく『あたしが』と言った? 聞き間違い? いやそうじゃない。確実に聞いたはずだ。今の言葉を、一字一句しっかりこの耳で聞いたはずだ。彼女が、紀美香ちゃんが、死んでいた? それなら、俺は一体、誰と会話していたのだ。俺は、俺はずっとこの世に居るはずのない紀美香ちゃんと会話してたというのか。そんなはずはない、とは言い切れない。しかしあんなに明るい素振りを見せていたのに……。
「おじさん……やっぱり驚かれた顔してますね。……ごめんなさい。ずっと言えなくて。あたし、一ヶ月前に交通事故で死んじゃったんです。それで、今日、ここに迎えが来ることになっていて。最後まで一人は嫌だったから。誰かと話したかったから、誰もいないと思ったから。一人になるのが怖くて。ごめんなさい、本当にごめんなさい。ごめんなさい! ごめんなさ――」
「紀美香ちゃん」
紀美香ちゃんの頭にそっと手のひらを乗せた。
もう頭が真っ白なのに、何を言えばいいのか分からないのに、口だけが操られたように喋りだす。
「謝るなよ紀美香ちゃん。俺は君と話していて救われた。一緒に居て楽しかった。別に謝ることなんかない。感謝することはあるけどな。……それより、もっとしなくちゃいけないことがあるだろ」
俺は朱里ちゃんのほうへと顔を向けた。それだけで彼女は全てを理解したらしく、ありがとうございます、と呟き再び朱里ちゃんと向き合った。
「……朱里。今まで言えなかった。ごめん。本当にごめん! 応援してる。良明のこと頼んだよ!」
彼女の眼からどんどん雨粒が落ちていく。止むことなく次から次へと落ちていく。
「なんでだろう。これだけのことなのに、たったこれだけなのに。どうして今まで言えなかったんだろう。簡単なことに気づけなかったんだろう。不思議だよね、可笑しいよね……」
「私も、私もごめん! 約束したのに、我慢できなくて裏切っちゃって……。本当に、本当にごめん!」
「うん……! うん……!」
二人はしばらく泣きながら抱きしめあっていた。
「おじさん。ありがと……」
紀美香ちゃんは最期まで一緒に居たいという朱里ちゃんを説得して家に帰らせた。彼女の家はここから近いそうだ。しかし家に帰らず学校から走ってここまで来たそうだ。なぜ、この場所が分かったか少し疑問に残った。
「それはですね、ここのバス停が読みの入り口って言われているからですよ。死んでから一ヵ月後に……」
「分かった。分かった。あまりオカルト話は好きではないんだ。うむ。しかし、心の中まで読めるのか?」
「ま、なんとなくならですね」
怖ろしいな。下手に考えると恥ずかしい目にあってしまうな。
「でも、本当にびっくりしたぞ」
「あはは。すみません」
もう、彼女は悲しい表情は見せなかった。生気に満ち溢れている様だ。
「あたし、死んでいるんですよ」
「でも、俺なんかより余程元気だ」
「そうですか? 最初に会った時より元気になりましたよ」
「そうかい。そいつは紀美香ちゃんのおかげだな。ありがとよ」
「いえいえ。あたしもいろいろ助けてもらっちゃいましたから」
「え? 俺なんかしたか?」
「話を真剣に聞いてくれた、それだけで十分嬉しかったです」
この娘も俺と同じようなことを考えていたのだな。
「それに、おじさんが聞いてくれたから、朱里に素直にいえたんだと思います」
なんか、こんなに感謝されるといい気分になってくる。こんな感覚、大人になってからずっと忘れていたのかもしれない。
「おじさん。……そろそろあたし……」
「……そっか。なんか少し寂しいな」
「あはは。あたしもです」
「じゃあ、気をつけてな」
もう最期なんだ、笑ってこの子を見送ろう。
「気をつけて、ってなんか可笑しいような気がします」
「はは。そうかもな」
車が雨を撥ね退けて走る音。
「じゃあな……。楽しかったよ」
「あたしも最期に楽しいひとときが過ごせました」
バスが目の前に停車する。なんとも間抜けな音を出して扉が開く。
「さよなら、後藤さん」
彼女の頬は雨と涙が混じっていたが、それでもただ笑顔だった。
「あぁ、さよなら、紀美香ちゃん」
バスの扉がゆっくりと閉まっていく。目から溢れ出る液体は歯止めが効かなかった。バスは静かに静かに、ゆっくりと音を立て闇の中を走り去って行った。
別れを告げるかのようなクラクションが聞こえた――。
「ん?」
小鳥のさえずりが聞こえる。光が、閉じているはずの瞼に入ってくる。もう朝のようだ。ゆっくりと、ゆっくりと瞼を開ける。桜の花びらが舞い落ちる。やはり、そこは昨日のバス停だ。
「夢だったのか……?」
夢にしてははっきりしすぎている。しかも、寝た記憶が一切ない。まぁいい。夢だろうが夢でなかろうがどっちでもいい。心にしっかりと残っているから。現在時刻、午前六時半。バスが来るまであと少しだな。俺はさっぱりとした体を起こす。鮮やかな緑が目に飛び込んでくる。とても晴れ晴れとした気分だ。これなら仕事できっといい影響を及ぼせそうだ。
雨はいつの間にか止んでいた――。
ここまで読んでくださってありがとうございました!!
どうも作者です・w・
初めてです。処女作です。文が汚いです。無駄に長いです。話が意味不明です。
それなのにここまで読んでくださって、本当に感謝、感謝です!!
できたら感想とか……つけてくれたら……嬉しいな///w///