第9話 はいはい魔王軍、はいはい切り札
冒険者ギルドの掲示板の前で、俺は腕を組んで唸っていた。
昨日よりも長く、同じ場所に立っている気がする。
「……依頼、ないな」
正確に言えば、ないわけじゃない。
ただ、掲示板に残っているのは、どう見ても俺向けじゃないものばかりだった。
・危険度:高
・緊急
・経験者向け
そんな文字が、やたらと目に刺さる。
「俺、最低ランクなんだけど」
思わず口に出すと、横にいたリルが肩をすくめた。
「でも噂じゃ、“何もせずに魔物を退けた転生者”だからね」
「やめてくれ……」
自分の黒歴史を、さも当然の事実みたいに読み上げられるのは精神的にくる。しかも、周囲の冒険者たちの視線が、それを裏付けるみたいに集まっている。
「普通の依頼がしたいだけなんだが……」
薬草採取とか、配達とか、軽い戦闘があるようなものが良かった。だが掲示板は、まるで俺を試すかのように高難度依頼だけを残している。
その時だった。
――ゴォォン、ゴォォン。
低く、重い音が街全体に響いた。
床の奥から伝わってくる振動に、反射的に顔を上げる。
「警鐘……?」
誰かの声に、ざわめきが一気に広がった。
「この時間に?」
「まさか……」
ギルドの奥から、慌ただしい足音。
職員の切迫した叫び声が飛んでくる。
「魔王軍です!都市外縁に、魔王軍の部隊を確認!」
空気が一瞬で張り詰めた。
談笑していた冒険者たちは武器を掴み、兵士らしき人間が駆け出していく。
「……魔王軍って、こんなあっさり来るんだな」
思わず呟くと、リルが真剣な表情で頷いた。
「斥候か、小規模部隊だと思う。でも油断はできないよ」
市民の避難を促す声が外から聞こえ、ギルド内は完全に戦場前夜の雰囲気になっていた。そんな中で、
「……転生者がいるだろ」
誰かが、ぽつりとそう言った。
その一言が、妙に大きく響く。
「ブラックファングを退けたっていう」
「何もせずに、だぞ?」
「前の転生者とは違うらしい……」
噂が、勝手に繋がっていく。
そして、視線が集まる。俺にだ。
「……いやいや」
「ちょっと待ってくれ」
嫌な予感しかしない。ほどなくして、ギルド職員と街の代表らしき人物が俺の前に立った。
「お願いがあります」
「あなたに、前に出てほしい」
一番来てほしくないやつだ。普通のテンプレ異世界ならすでにチート能力に目覚め、なんとかなるシチュエーションだ。しかし、俺はよくわからん紙を出したら勝手に逃げていっただけ。魔王軍相手に通用するか?
「無理です」
即答した。
「俺、戦えません」
「前回も偶然です」
「期待されても困ります」
全部、本音だった。
だが相手は引かない。
「お願いします!あなたの力を、貸してください!」
必死な声だった。
横を見ると、リルが静かに俺を見ている。
「行かなくても、誰も責めないよ」
「でも行ったら……覚悟は、伝わると思う」
卑怯だ。そんな言い方。
俺は大きく息を吐いた。
「はいはい……わかったよ」
こうして俺は剣の腕も魔法の才もないまま、
城壁の外に立たされることになった。
遠くには、魔王軍の影。黒い旗、整った陣形、無駄のない動き。背後には、固唾を飲む市民と冒険者たち。
心臓が、やたらとうるさい。
(頼むから、気づかないでくれ)
そんな願いは、当然のように裏切られた。魔王軍の隊列がざわりと揺れ、前に出てきた小隊長らしき魔族が、一直線に俺を見る。
逃げ場はない。
俺は覚悟を決め、少し前に出た。
「あのー……遠路はるばるお越しいただき、大変申し訳ないのですが……帰っていただけませんか?」
一瞬の沈黙。
そして、爆笑。
「バカか?帰れるわけないだろ!」
「面白いな、お前」
まあ、そうだよな。自分でも馬鹿らしいと思った。
仕方なく、右手に握っていた紙を広げる。
「私、こういうものでして……」
名刺を差し出すように、《転生者証明証》を掲げた。
その瞬間、空気が凍った。
魔族たちの表情が、一斉に固まる。
「……お前、転生者!?」
「はい」
「魔王様を……あんな“状態”にしたやつか!?」
知らん。前の転生者、何をやらかしたんだ。
俺が言葉を選んでいる間に、角笛が鳴った。
魔王軍が、ゆっくりと、しかし確実に後退を始める。
城壁の上がざわめく。
「……引いた?」
「嘘だろ……」
完全撤退。戦闘は、一切なし。
しばらくして、街中に歓声が広がった。
「退けた!」
「転生者が睨んだだけで!」
「やっぱり本物だ!」
違う。俺は、何もしていない。
城壁を降りると、ギルド職員が深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
「都市は、救われました」
「……いや、俺は本当に――」
「そんな謙遜しないでくださいよ」
リルが俺を見て言う。
「また、勘違いが増えたね」
「最悪だよ」
剣も振っていない。魔法も使っていない。
それなのに、この都市で俺は魔王軍を引かせた転生者になってしまったらしい。
テンプレ異世界転生。戦わなくても、伝説は勝手に作られる。




