第10話 はいはい英雄、はいはい魔王討伐
朝、宿を出た瞬間に、俺は違和感を覚えた。
空気が、妙に重い。
正確に言えば―― 視線が、痛い。
「……なんでみんな、こっち見てるんだ?」
通りを歩くだけで、ざわめきが起きる。
露店の店主は手を止め、深々と頭を下げ、通行人は慌てたように道を譲る。
「おはようございます、英雄様!」
「どうか街をお守りください!」
「昨日はありがとうございました!」
次々に飛んでくる声。
どれも心当たりがない。
「待って待って待って」
俺は慌てて手を振る。
「人違いです!」
「俺、ただの最低ランク冒険者なんで!」
しかし、誰も聞いちゃいない。
むしろ、俺の否定が謙遜に変換されている気配すらある。
ギルドに向かう途中、子どもが母親に引っ張られながら小声で言った。
「ねえ、あの人が魔王軍を追い払った人?」
「しっ、指差しちゃだめよ」
やめてくれ。触れては行けない都市伝説扱いするな。
ギルドの建物が見えた瞬間、俺はようやく原因を理解した。掲示板の一角。昨日までなかったはずの場所に、でかでかと貼られた紙。
【魔王軍を退けし転生者・ハイト】
【都市防衛の立役者】
【無言の威圧で敵軍撤退】
誰が書いたんだ。見つけ出してシバいてやろう。
そんなことを考えていたら、
「おはよ、英雄」
背後から、やたら楽しそうな声。
「やめろ」
即座に言い返す。リルは肩を揺らして笑っていた。
完全に面白がっている。
「いやぁ、一夜でここまで祭り上げられるのも才能だよ」
「俺の人生設計にこんな項目なかったんだけど」
掲示板から目を逸らし、この場から逃げようとした、
その時だった。
「話がある」
背後から、低く太い声。嫌な予感しかしない。
振り返ると、そこに立っていたのは冒険者ギルドのギルドマスターだった。
腕組みをしたまま、一切の冗談を許さない顔。
「……えっと」
「いいから来い」
有無を言わさず、そのまま執務室へ連行された。
扉が閉まる。
外の喧騒が、嘘みたいに遠のいた。
「単刀直入に言おう」
ギルドマスターは椅子に腰掛け、俺を見据える。
「君に、魔王討伐に行ってもらいたい」
「無理です」
一切の間を置かず即答した。
「俺、戦えません」
「昨日も立ってただけです」
「期待値おかしくないですか?」
だが、ギルドマスターは眉一つ動かさない。
「魔王軍は、君を見ただけで撤退した。それが事実だ」
「偶然です。相手が勘違いしただけで――」
「だとしても、結果は結果だ」
机の上に、書類が置かれる。封蝋付き。嫌な重み。
「正式依頼だ」
「断る選択肢は……ないと思ってくれ」
圧が、強い。
「街は君を英雄として見ている」
「今さら“やっぱ行きません”は通らない」
つまり、俺の都合はどうでもいいらしい。最悪だ。
テンプレ異世界、強制イベント発生である。
「……はいはい、わかりました」
俺は深くため息をついた。
「行きますよ」
「魔王討伐」
言葉にした瞬間、なぜか胃がきゅっと縮んだ。
ギルドを出ると、リルがすぐに声をかけてきた。
「決まった?」
「最悪の方にな」
事情を話すと、リルは少し考え込むように視線を落とし、
それから真っ直ぐに俺を見た。
「じゃあ、僕も行く」
「……え?」
「一人で行かせるわけないでしょ」
即答だった。
「危ないぞ」
「大丈夫だよ。ハイトがいるし」
惚れてまうやろ。不思議と心が軽くなった。
「あーもう……」
俺は頭をかいた。
「一緒に死ぬ可能性高いからな」
「その時は、その時」
結婚しよう。そう思ってしまった。
こうして俺たちは、北にある魔王領を目指し、まずは王都へことになった。街の門を出る時、人々が集まり、手を振り、声を上げる。
「ご武運を!」
「必ず戻ってきてください、勇者様!」
「英雄様!」
違う。俺は勇者なんかじゃない。
ただの、流され続けている転生者だ。それでも――
なぜか、悪い気はしなかった。
テンプレ異世界転生。こうして俺は、断れない流れで魔王討伐の旅に出ることになった。




