第68話 条件交渉
「この度は、重ね重ねのご助力をありがとうございました。山門さんが戻ってきて頂けなければ、この支部は壊滅していたでしょう」
俺たちが再び訪れたダンジョン管理機構支部の応接室。
そこで支部長の昼馬さんとエミリーさんが誰も居ない空間に向かって頭を下げていた。
「昼馬さん、そんな。頭をあげてください。俺たちが戻ってきたのも偶々なので。それと、橘さん、そろそろさすがにスキルを解除しない?」
俺は背後から首筋に添えられた橘さんの手の感触に、背筋を震わせながら告げる。
極わずかにだが、俺の首筋を優しく撫でるように手が動いている気がするのだ。
外では橘さんの提言に従って、隠連募で姿を消してもらったが、さすがに室内に入ったら必要はないだろう。
そもそも、これから話し合いをしようとしているのに姿を隠したままというのは失礼過ぎる。
「仕方ありません。思水さんがどうしてもとおっしゃるのでしたら」
「……どうしても」
ふっと首筋から手が離れるのを感じる。
俺はほっと一息つく。
滑らかで少しひんやりとした橘さんの手の感触が、何故だかちょっとだけ怜悧なナイフのように感じられていたのだ。
ただ、それでも橘さんの距離が近い。
俺が応接室のソファーへと移動すると、ぴたりと張り付くようにして橘さんもついてくる。
それは、何かあればすぐに再び、俺の首に手をかけられる距離だった。
そんな俺たちをエミリーさんから、じーっと見られているのを感じる。
それは始めてエミリーさんに会ったときに向けられた視線に少しだけ近かった。
──うわ、絶対、変な風に思われているよね……とはいえ、ここで橘さんに離れるように言うと、何かとんでもないことになりそうな予感がひしひしと……
ダンジョン探索によって鍛えられた危機回避の直感に従い、俺はひたすらに小さく縮こまるようにして事態の推移を見守るのだった。
◆◇
「──それが、新たな依頼という訳ですか」
「はい。これは山門さん達にしかお願い出来ないものと考えております。ですので通常の指名依頼に加えて、私の権限の許す上限まで報酬を上乗せさせていただきます」
そうして昼馬さんから提示された金額は廃車になった愛車を複数回、買い替えても余裕でお釣りがくる金額だった。
俺がその金額に心動かされていると、ぴたりとくっついた橘さんが身を乗り出すのが感じられる。
「思水さん、差しで口をお許しください。昼馬さん、今回の依頼ですが、一連の事態に関する説明を聞かないという前回の取り決めに則って、一部情報を伏せられてのご依頼という認識でよろしいでしょうか」
「──間違いありません」
「さらには、依頼内容も鏡を運ぶ鏡台=エミリー=リシリアさんの皇宮までの護衛も含まれますよね」
「……左様です」
「であれば私が不勉強なのでしょう。今回の依頼の金額としては、いささかの計算上の不備があるように思われます」
「はい、橘さんがおっしゃられることも誠にごもっともです。ただ、こちらも無い袖を振るうことが難しいのはご理解頂けるかと。さらには、随行する鏡台も戦力としての働きはご期待頂けるはずです」
どうやら、橘さんは報酬の交渉をしてくれているようだった。今回の依頼はそれだけの対価を求めるべきものだと、暗に橘さんは告げているのだろう。
──あれ、もしかして橘さんに汚れ役をやらせちゃってる? さすがにそれは不味い……とはいえ、ここまで橘さんにやらせちゃったのを無駄にするのは、いっそう彼女に悪いか。
「あー。昼馬さん、それでは付帯条件をご検討頂くことはできますか?」
俺は引き継ぐように二人の会話に割り込む。
「──お伺いいたします」
重々しく頷く昼馬さん。
身を乗り出していた橘さんは、俺の方に軽く笑顔を向けると身を引き、再びぴたりと張り付いてくる。
俺は思い付く限りの自分達が有利になりそうな要求を、物は試しとばかりに告げてみるのだった。




