第65話 side 鏡台=エミリー=リシリア 1
「鏡台先輩、申し訳ありません、私たちの力が、至らぬばかりにライノソルジャー達にいいようにされてしまい──」
後輩のダンジョン管理機構エージェントの一人、巫烙印民子が、得物たる槍を構えて謝ってくる。
彼女は私の直衛についてくれていた。
その表情は悔しげに歪み、瞳に滂沱の涙が滴っている。そして、こちらへと攻撃してくるサイのモンスター──ライノソルジャー達を憎しみを込めて睨んでいる。
「うぐぅ……謝らないで、たみ、ちゃん。私は、まだ、まだいけます、から。つっぅ……ほら、泣かない、泣かない。ね?」
──たみちゃんは、泣き虫なんだから。これでもエージェントの中では一、二を争う槍使いなのにね……
私はたみちゃんを逆に慰めながら、この事態へと至った経緯を反芻していた。
こうなる可能性は、山門思水さんより邪田之鏡が管理機構に貸与され、私が代表して受け取った時から、実は覚悟していた。
魔を払い、国土を守護する結界の要となりうる邪田之鏡は、結界の起点となる皇宮に安置されるまでは、モンスターから狙われ続けるのだ。
──しかし、まさかこの早さで魔族による大規模な、ダンジョン領域拡大が起きるなんて……ああ、痛い痛い痛い……まるで体が、中から裂けるよう……
今、私が展開している守護の結界は、邪田之鏡の機能のうちの、極一部、副産物に過ぎないものだった。
結界としての効果も不十分で、しかも副作用もきつい。それが結界への攻撃が痛みとして私の体へと転化されるという物だった。
──ふぅ……、あっ……痛みで、このまだと、みっともなく泣き喚いてしまいそう。あぁ、たみちゃんみたいに、あんな風に、私も綺麗に泣けたら良いのに。
苦痛に歪む視界。目尻が涙で湿っていく。もう、溢れてしまいそうだ。
私は、自分の泣き姿がみっともない自覚は十二分にあった。
──このまま、恥も外聞も忘れて、心のままに泣きわめいたら、どんなことに、なるのかな……
普段、私は仕事場では意識して冷静さを装っている。管理機構のエージェントとしての仮面をかぶっていると言っても良い。
特に最近は後輩も増え、その規範にならねばと自分を律して仕事に励んできたのだ。そのお陰か、自分で言うのもあれだが、上からの評価もそれなりに受けている。
──きっと、みんな、幻滅するだろう。普段、クールさを気取って先輩風を吹かせていても、結局肝心な場面で痛みに負けて、みっともなく泣き喚き、涙や、もしかしたら他のものまで、駄々漏れになって……
その想像の中の自分へ感じるのは、当然、嫌悪感だ。
ただ、不思議とそんな風になってしまう自分に、興奮を覚える気持ちが、少しだけあった。それは解放への期待と言い換えてもいい。
──何を、考えているの、鏡台=エミリー=リシリア。痛みで、おかしくなり始めてきた? そんなみっともない姿を皆の前で晒したい、とでも?
そんな自問自答の間にも、邪田之鏡の副作用による痛みは、増すばかりだった。
いよいよ、顔が変な風に歪んでいく。
我慢の限界が、近い。耐えに耐えたものが今にも決壊しそうだ。
「先輩っ! しっかりっ! お気を確かに!」
隣で叫ぶ、たみちゃんの声も、もう、遠い。
その時だった。
あれほど感じていた痛みが嘘のように消えていた。
限界まで高まり、あとは解放を待つだけだったものが急に消え去ったのだ。
その衝撃に、私は大地に膝をついてしまう。掲げていた邪田之鏡を落とさないように抱え込めたのは、幸いだった。こんなときだけは普段邪魔な胸部の脂肪がありがたい。
そんな私の視界の先に映ったのは、一人の男性だった。
見たことのある姿。
それは私にこんな体験をもたらした邪田之鏡の本来の持ち主たる、山門思水さんだった。
彼がまるで風船を殴るような気楽さで、私のはった膜に、忌々しくも甘美な痛みをもたらしていたライノソルジャーを一掃していく。
その動きはまるで剣舞を舞うかのように軽やかなのに、その手にした天之邑雲による一撃はとてつもなく重いのが、見ているだけでわかる。
何せ、一撃一撃が巻き起こす風が暴風のようだった。
あまりに人間離れしたその姿はどこか恐ろしくもとても美しかった。
もし太古に鬼神や武神と呼ばれた存在が今の時代にいたらあんな姿かもと思わせるほどに。
そのお姿が瞳に焼き付いて、離れない。
その山門思水様の存在が、痛みの果てに解放されかけてお預けを喰らっていた、私の心の隙間にするりと入り込んだかのようだった。




