第53話 side 橘いちか5
楽しい時間はあっという間だった。
いや、実際に思水さんが寝ていた時間は、本当に短かったのだ。
寝ていたのは、実質、一時間弱ぐらい。こんな短時間の睡眠で大丈夫なのかと心配になるほど。
そして、それと同じくらい、思水さんに甘えて惰眠を貪ってしまった自分が、恥ずかしかった。
ちなみに、それはそれとして、思水さんが起きるタイミングでは、もちろん、抜かりはなかった。
見張りとして、思水さんを含む、周囲の状況の変化に全神経を尖らせていた私は、ほんの僅かな予兆も見逃さない自信があったし、実際、ちゃんとそれを捉えることが出来た。
思水さんの呼吸の変化。
そして瞼の僅かな動き。
そこから思水さんの覚醒をいち早く捉えると、私は落ち着いて立ち上がり、一歩。そしてまた一歩、思水さんから離れる。
──これぐらいが自然、かな
そしてそっと後ろを向いて、そのままじっと待つ。
「──おはよう、橘さん」
──思水さんが、朝の挨拶をしてくれた。相変わらず、とても心地よい声。
思わず聞き惚れてしまいそうになるのを私は必死に我慢して、全力で何気ない風に振り返りながら、返事を返す。
「おはようございます。全然、寝てませんけど、大丈夫ですか?」
「うーん、まあ、これぐらいなら慣れてるから──。だいぶ、すっきりしたよ。見張りしてくれて、ありがとう。モンスターは大丈夫だったみたいだね」
「はい。数匹でしたし、ゴズゴズだけで対処できました」「ぶもっ」
私が《《見張り》》という重要任務に従事している間にモンスターの対処をしてくれていたゴズゴズが、のんびりと鳴いて返事をする。
その返事が少し呆れているように聞こえたのは、契約している私だけだろう。
「それは、なにより。さて、軽く朝御飯にしますか」
そういうと、手早く調理の準備を始める思水さん。その所作はとても洗練されていて、見ていて目が離せない。
指先の動き一つ一つが滑らかで、調理器具の取り扱いもすごい丁寧な仕草なのだ。
──私も、調理器具になりたい……じゃない、じゃない。少しでもしっかりと見て……
朱坂ダンジョンにきてから、そんな思水さんが料理する姿を見せられるたびに、自分も料理を勉強しなければと、気合いをいれていたのだ。
──思水さんのご飯、美味しいんだもの。思水さんにこういう時に手料理を食べてもらえるようになるには、ちゃんと勉強して、さらに美味しいものを作れるようにならないと、だよね。戻ったら、やることが本当にいっぱい。
私も一般的な調理なら、それなりにはできる。ただ、特にダンジョン内での料理に関しては全くの素人だった。
こうやって、じっと思水さんの所作を観察しているだけでも、どうやらキャンプ料理とも違う、色々な注意点があるようなのだ。
私が下手に手伝おうものなら、逆に邪魔になって思水さんに迷惑になるのが、見ていてわかる。
なのでこういう時、私は大人しく思水さんを見ているのだった。それは、決して見ていて愉しいからだけ、ではない。
その、ダンジョンにおける思水さんの最適化されている様子の動き、一つ一つを記憶に叩き込むように、真剣に観察しているのだ。
「お待たせ、出来た」
「うわぁ、今日も美味しそうです。食べても、よろしいですか」
「どうぞどうぞ」
手を合わせ、食事の挨拶をしてから口にする思水さんの手料理。
今ばかりは、その至福の味を一噛み一噛み堪能するのだった。




