第27話 side 橘いちか3
「橘さん、そろそろ下ろすね」
「はい、さすがに重くて腕がお疲れですよね」
私は思わずそんな意地悪を口にしてしまう。思水さんに抱っこされているという至福の時間が終わるのを惜しんだのだ。
それで、はしたなくもそんな挑発するようなことを口走ってしまった。
万が一、思水さんのプライドが刺激されて抱っこし続けてくれるのではという淡い期待。
しかし、思水さんは、そんなことはないよと笑いながら、私の体を下ろしてしまう。
その対応は大人で、子供っぽい挑発をしてしまった自分が恥ずかしくなってくる。
「はい」
そういって、左手を差し出してくる思水さん。
私はそれだけで恥ずかしさも忘れてその手をとると、ユニークスキル隠連慕を発動する。
「しばらくは視覚を隠すのでお願いできる?」
「わかりました。あとは打ち合わせ通りで良いですからね」
「──ああ、善処するよ」
打ち合わせしたのは、探索中にありそうないくつかの遭遇パターンへの対処についてだった。
そのなかでも最も重要なのが、配信者との遭遇だった。
実際のところ、このレベルのダンジョンであれば私が足手まといにさえならなければ思水さんがモンスターに遅れをとることはあり得ないのだ。
なので、配信者対応が最大の課題だった。基本的に思水さんが配信者の気配を把握しだい、問答無用で私をお姫様抱っこすることに、二人で決めていた。
私も、最速での隠連慕の発動と思水さんの姿も隠すことを優先し、どこでもいいので思水さんの素肌に触れていいことになっている。
そう、どこでもいいのだ。
どこでも。
──大事なことですからね。一瞬の躊躇が、配信への映り込みに繋がるのですから。
そう、復習しながら歩いていると、モンスターの姿が遠目に見える。
それは私がちょうど事前に調べていたモンスター。優先度は低いが今回の穢之島ダンジョンに来た目的のひとつでもあった。
「思水さんいました。グレーワームです」
灰色の人間サイズのミミズのようなモンスターだった。ワーム系のモンスターは、目も耳もなく、敵を振動で察知するものと匂いで察知するものに別れるのだが、ここ穢之島ダンジョンに現れるグレーワームは匂いで敵を察知するタイプだった。
「お、早速ついているね、それじゃあ」
「もう、匂いを隠す方へスキルを切り替え済みです」
「さすが。手際いいね」
そんな何気ない思水さんからの言葉が今は何より嬉しかった。
思わずにやけそうになる顔を必死におさえる。
「それじゃあ近づいてみますか」
「はい」
思水さんが楽しそうだ。右肩をぐるぐる回している。
それも仕方ない。グレーワームは、アイテムドロップで、低確率だがウォーハンマーを落とすのだ。中層で鈍器を落とすモンスターは貴重なんだよねと語っていた思水さんの笑顔を思い出して私まで嬉しくなってくる。
私たちは手をつなぎ、特に音を立てるのを気にせずにそのままグレーワームへと近づいていく。
グレーワームは全く反応しない。
その、ヌメヌメとした体表面が私のすぐ目の前まで近づいても大人しい。
「すごいな、これはグレーワームなら殴り放題だ」
そう、思水さんは呟くと右手が振るわれる。その一撃で、グレーワームはあえなく煙へと変わるのだった。




