①白いステテコ
「真っ白なハンカチみたいな子が入ってきた」
18歳の頃アルバイト先の人にそう評された。そうか。白く見えるのか。あるいは清く。
上京したばかりの春だったので田舎者まるだしだったせいもあったかもしれない。
真っ白でシミひとつない清潔な、ピシッとアイロンがかかった木綿のハンカチが頭に浮かんだ。
そのイメージは後々のわたしの人生にもずっと薄っすらと影響し続けているように思う。
言った本人もきっと忘れてる。誰かが何気なく発した一言だったのに。
右も左も分からない状態から、一ヶ月ぐらい経つと周囲が落ち着いて見られるようになってきた。
すると周りの自分に対する視線が気になりだした。
大学とバイト先の人は変わらない。
通りすがりの人がとにかく見てくる。
さりげなく、不躾に、時にはニヤニヤ嫌らしく。同じ年頃の女の子は足先から頭の先まで鑑賞していった。
通学路にあるガソリンスタンドのお兄さんが声をかけてきたから、びっくりして2度をそのガソリンスタンドの前を通れなくなった。
ある日、私は美容院に行った。
そこでかなり短いショートカットにした。今までこんなに短くしたことはなかった。首がスースーして頭が軽かった。
コンタクトをやめてメガネにした。
男子でも着られそうなデザインのジーパンやTシャツばかりを着るようになった。
実家の祖父が使っていたハイキング用のリュックを送ってもらって、それを通学カバンにした。
宅急便を受け取るのもメガネに、冬ならわざわざ半纏を羽織ってマスクをして対応した。
周りは完全に静かになった。
一人暮らしのアパートは一階だったので、用心するに越したことはない。
その頃はベランダに男物の下着を干すと防犯になると聞いていたから、リュックと一緒に祖父の下着を一枚送ってほしいと頼んでいた。
送られてきたのは、真っ白いステテコだった。
普通こういう時はトランクスを干すのではないだろうか。
しかしここにはステテコしかない。
男物の下着を買いに行く勇気もない。
仕方がないのでそれをベランダに干した。
自分の洗濯物は一切外には干さなかった。
カーテンはモスグリーンにした。
憧れの一人暮らしである。カーテンは部屋の印象を決める要。ほんとは黄色やピンク、花柄なんかの可愛いのが良かったけれど我慢した。安全のためだ。
モスグリーンは深い森の中にいるようだと思えなくもないし。
その後揃えた家具も可愛くならないように気をつけて、しまいにはおじさんの部屋みたいな渋さになった。
唯一こだわった真っ白い小さなテーブルだけが18歳の女子の部屋だという証となった。
サンリオの創始者であるいちごの王様はこう言った。
「都会で一人暮らしをしている女の子が仕事から部屋に帰ってくるところを想像してみてほしい。真っ暗な部屋に電気をつけて、そこに可愛らしい一輪の花でもあれば心が慰められて癒されるでしょう?そういうものを作りたくてサンリオを始めたのです。」
私にとって、それは白いテーブルだった。
何年か経って社会人になった時、職場で部屋の話になった。
彼女は一人暮らしの部屋を思いっきり自分好みに設えていた。レモンイエローのカーテン、ギンガムチェックのベッドカバー・・・
自分の部屋が可愛すぎてたくさん写真を撮ったんだ、と見せてくれた。それはまさに当時の私が憧れた部屋そのものだった。
好きな部屋を作れた子は、好きな服も着られる。
どうして私はそうなれなかったんだろう。
一番若くて美しい時を目いっぱい太陽の下で謳歌するではなく、隠れるようにして小さく生きることしかできなかったのだろう。
そもそも
運命の人との出会いを信じていたくせに、そんなに自分を消していては彼にだって気づいてもらえないではないのか。
そこは都合よく。
「運命の人を信じているからこそ、どこにいてもどんな姿でも見つけ出してくれる」と思うことにしていた。
彼も人間なのでそんなことは不可能である。
飾り立てて私を見てとアピールするぐらいでちょうど良いくらいなのに。
世の女子たちはそれをよく知っていて、自分だけが逆行している気がした。
それでも私には勇気がなかった。
しっかりと守られている、安心安全な場所に居たかった。自由にもなりたかった。
なのに綺麗な靴を手に入れて、どこまでも遠くに行ってしまいとも思っていた、
スポットライトの下に躍り出て、世界のどこかにいるはずの誰かに見つけてほしかった。
でも当時の私には縮こまった手足を伸ばす勇気すらなかった。頭の中で考えるだけで。
お父さん。
お父さんがいればベランダに干したのはステテコじゃなかったかもね。