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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

空が一番近づいた日

作者: すちーぶんそん

「ワレのするこたぁ イカサマじゃぁ! 股ぁくぐれこのじじい!」


 額に巻いていたねじり鉢巻きが、体の揺れに従ってパカパカずれて目隠しになり、前後不覚に陥ったおじいさんが誰もいない空間に向かって叫んでいる。


 入居型老人ホームのメインホールの中心で、にわかにおっぱじまったもめ事に、橘小春は泣きそうな気分で仲裁に入った。


 鉢巻きのおじいさんの胸元の名札にはひらがなで「たなか(78歳)」と書かれている。


 手元のハンドマイクのスイッチを慌てて付けると、小春は大声で静止した。

「田中さん!落ち着いてください!」


 今度はじじいとののしられた方のおじいさんが青筋立てて反論する。


「黙れクソガキ! ふんづぶすぞ!」


 78歳を相手にとってクソガキ呼ばわりするのだから頭が痛くなる。


 啖呵を切るやいなや、のろのろと上着のベストを脱ぎだした。

 その後も二の句で何事かを叫んではいるが、入れ歯がガボガボにずれて、小春の耳にはべんべろべんべろとしか聞こえなかった。


「坂本さんもケンカしないで!」

 脱ぎ捨てられたベストに貼られた名札には「さかもと(85歳)」と書かれていた。


 事態を収拾するべく、小春は何度も何度も懸命に叫んだ。


「落ち着いてください!」「二人とも座ってください!」


(……駄目だこのじじい共。そもそも耳が遠すぎて注意が聞こえてないんだ)


「……あぁ」


 そこで小春は、気が遠くなる光景を目の当たりにする。


(――このままじゃまずい)


 まるで小春の叫びに集まるように、渦中の2人のおじいさんのまわりにワラワラワラワラとさらに大量のおじいさんが歩み寄ってくる。


「全員座って!」「下がって! 下がりなさい!」


 目の前で繰り広げられる大勢のおじいさん同士がゆっくりと互いの体をさわりあう異様な光景。


 本人達は喧嘩をしているつもりなんだろう。

 あちらこちらで額を突き合わせて、もごもごもごもごと聞き取れない言葉であれは罵り合いをしているのだろうか。


 ヨタヨタ歩き回る田中が、今度は地面に向かって指を突き付け坂本の非道を叫んだ。


 坂本の頭に絡まった丸首シャツの隙間から、勢いよく入れ歯が飛び出した。


 あちらの部屋の隅では杖をついたおばあさんが、険しい顔つきで備え付けの大太鼓を力の限り叩いている。


 部屋中がにわかに熱気を帯びる。


「みんな落ち着いて!」「お願いだから言うこと聞いてよ!」


(――あたしじゃ無理だよ。どうにもなんない)

 あまりの無力感に小春はその場にうずくまった。


 小春の声が届かない。


 控えめに言って地獄。


――どうしてこうなった






「小春。 あんたも大学生なんだし、連休でゴロゴロするんじゃなくてバイトでもしてみたら?」


 来週は母の日。それならコスメでも送ろうかな。


 出勤するママを見送りながら、その時、橘小春はぼんやりそんなことを考えていた。


 目を付けたのは、学生課のアルバイト紹介に貼ってあった老人ホームの運動会のウグイス嬢。 

 日当はとっぱらいで5000円。 

 大会の台本プログラムを読み上げるだけの、おじいちゃんおばあちゃんと楽しくすごす90分。 


 楽な仕事のはずだった



 確かに、ほんの半時前までは、お手玉競争、風船バレー、と女性陣を中心に東軍西軍に分かれて笑顔で競い合う、みんな元気で楽しいお祭りだった。


 小春は慣れないながらもつつがなく、得点を読み上げたり、互いのチームを応援したり、初めての司会業を精一杯こなしていた。


 問題は小春が読み手を務めた最終競技で起きた。


 東西両軍の代表各3人で行われたカルタ取り競争。


 用意された50音の「大判ニコニコカルタ」の読み上げが終わり、いざ結果発表の段になってみんなで獲得したカルタの集計をした。


 この時、坂本はどうしても東軍を勝たせたかったんだと思う。 


 結果は東軍110枚。西軍40枚の大差勝ち。


 ここで西軍から物言いがついた。


 とったカルタの大きさが妙だ。 そもそも50枚より少し多くはないか?


 そしてあっという間に、東軍坂本が持ち込んだ私物のカルタを勘定に加えるイカサマが発覚したのだった。

 

 小春にとっては正直どうでもよかった。一言謝ってもらって終われるはずだった。

 

 持ち込まれたのは確認するまでもなく百人一首だった。


 この時、東軍坂本は謝るのでなく、ただ顔をしかめた。


 これに気付いて勢いをつけた西軍田中が「悪党め! 三億円事件の犯人もどうせお前だろう」と責め立てた。


 これに逆上した坂本が売り言葉に買い言葉で始めたのが件の喧嘩だった。


 小春にとっては想定にないトラブルだ。どう収めればいいのか見当もつかなかった。


 あっという間に東西入り乱れてもめ事が拡大していった。


 小春の目には、大量の老人がひたすらゴネゴネするこの世のものとは思えない光景が広がっていた。


 その中心で坂本と田中がごもごもごもごもと後のない言い争いを続け、後に交わされた職員さん同士の立ち話が事実なら合計入れ歯4人前と飴玉2つ上掛け3枚に杖1本を紛失する大騒動であった。


 小春にとっては、初めてのアルバイトだったのに。


(さっきまであんなに楽しかったのに。今じゃみんなゴネゴネゴネゴネしてる。)


――私の声が届かない。


 そこから先はよくわからなくなった。







「さあ! いよいよ決着の時がやってまいりました!」


 突然隣で大声があがり、小春は我に返った。思考の海から引き上げられて急に始まった現実。 


 先ほどまで誰もいなかったはずの小春の隣の席には、ジェルでテカテカに頭髪を固めた横分けの男が座っていた。


「祭りに燃えない男など、先史時代よりその存在を許さない大和の地において、切った張ったの勝負事は命に値する! ならば潔く! これより東西両軍代表による相撲を執り行います!」


(なんで?)


 困惑する小春をよそに周りはいよいよ盛り上がっていた。


 代表の土俵入りを前に、両軍の応援団から、突撃ラッパがどうのという、耳を疑う剣呑な内容の合唱が始まっていた。



「では最終競技を前に改めまして、実況はわたくし古館五郎と」


「解説は橘小春でお送りします」


 どうやら解説をさせられるらしい。そして男は古館というようだ。


「さあ出てまいりましたまずは東方!」


「東軍を指揮するは、かつて帝国陸軍の中でも精鋭の誉れ近衛師団に所属し、山本の中の山本と言われた男、山本おおおおお! 一夫おおおおお! 御年110歳」


「いかがでしょうか!? 解説の橘さん!」


 イカガデショウカ?カイセツノタチバナサン 


 何を聞かれているかさえ不確かで小春の頭はとっくに考えることをやめていた。


「公園の手洗い場のミカンネットに入ったほそセッケンみたい」


 自分でも自分が何を口走ったのかわからなかった。


 意を得たりと一つ机をポンとうち、調子を上げて古館が叫んだ。


「まさに気焔満ち渡り闘気に焦がれた四肢が研ぎ澄まされているということでしょうか!?」


「そうかもしれません」


 絶対にそうじゃないなと思ったが、どうやらこの男も等しくいかれている。 


(逆らわないでおこう)


「つづいてやってまいりました!」


「西軍を指揮するは、山本享年110歳をスローガンに世代交代の風を操る、西軍一の頭脳を持つ男。三度の飯は忘れても、クロースワードは欠かさない! 伊東おおおおおお善蔵うううううう! 御年90歳。」



「さて両雄の指揮のもと、抜きつ抜かれつ進んだ祭りは終着点、団長同士の相撲対決に至りました!」


「行事軍配を務めるは、精密機械並みの動体視力を持つ男、入居型老人ホーム「憩い」代表理事バードウォッチング鈴木。」


 息つくまもなく古館がしゃべりまくる。


ときを上げ、軍神招来を祈る両軍の中心をご覧いただきましょう」


「締め付けと摩擦で褥瘡じょくそうを生じないようにとの配慮で、急遽用意されたまわし代わりの介護おむつを粋に着熟きこな快男児かいだんじに全ての時間が集約していくようであります。」


「安全マットの土俵上、さぁ塩がまかれました」



「直前の分析によりますと、両者の狙いはただ一つ、自分がつんのめる力を利用しての、はたき込みの一本槍。 立合の一瞬の攻防で、勝敗は決まるのでは、というのがあらかたの予想です。」


「いかがでしょう? たちばなさん」


(そんなことはあたしの知ったことじゃない。)


 それより目の前の二人のおじいさんは風もないのにゆらゆらと揺れている。


「ほんとにやるんですか?おすもう。」


「もはや解説のたちばなさんをして、大一番が待ちきれないという心情であります!」


「さあ時間いっぱいになりました! 両者見合って」


「はっけよーい! のこった!」



 トプン


 小春は、その瞬間、ほおばったシュークリームの尻からこぼれたカスタードが磨かれた床を叩く音を確かに聞いた。


 どんなに目をこらしても土俵にはクリームが見当たらなかった。


(だったらいったい何の音だったんだろう?)


 視線を上げるとそこには、額同士をぴったりとくっつけ互いのおむつの前をつかみ合い絶妙なバランスでかろうじて支えあうように立つ二人の力士がいた。


(相撲ってトプンって鳴るんだ)


 小春はほとんど白目をむいていた。


 古館はいよいよ叫んでいた。


「はけよいの合図で弾丸もかくやの会敵の刹那! 山本の突き押しをかいくぐった伊東の乾坤一擲のぶちかましが、両者の思惑を破滅に導きました!」


「意図せず巡った奇跡! 頭四つの組合いに、互いの双腕はさながら仁王の血が巡るししゃもに成り代わり、血脈浮き出す腕力にものをいわせ、互いが吊り押しを仕掛けます!」


 オーディエンスの拍手は鳴りやまない


「山本が押す! 伊藤が押す! どっちも押す! 勝負は互角です!」



 ピョーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 目の前の山本の口は堅く結ばれている。


 だがしかし明らかに異音は山本から発せられている。

 

「人体のいかなる穴を通った風の音なのか! これぞ山本七不思議!」

 

 やにわに東軍応援団の一人が立ち上がると


「山本名物人間笛じゃああああ!」


 でた。 終わった。 勝った。 とにわかに東軍が大騒ぎを始めた。


 その東軍の歓声を沈めたのはやはり奇怪な音だった。



 スンスンスン スンスンスン 



「今度は伊藤の体から何か聞こえてきます!」


 さきほどまで、かぶりつきで土俵を見つめていた、西軍最前列の男が立ち上がるやいなや


「でたああああああああ! 伊藤自慢の鼻吸いじゃあああ!」


 小春は思う。「もっとうまいこと言え」と。


 ついにバキューム様が降臨した。 勝った。 吸ってへらせ。 笛を吸い尽くせ。 と今度は西軍が奮い立つ。


 やんややんやの大歓声が鳴りやまない。 


「わたくしは感動しています! 人という字はこうして生まれたのかもしれません! 相撲をとって。吹いて吸って押して押して!」


「どうでしょう? たちばなさん」


(そうじゃない。あれが人なの?ちがう――あれじゃあまるで)



「ちょっと入ってる! すぐに止めて。山本さんちょっと『入って』る!」

 

 古館が爆発的に絶叫した。

「わたくしは戦慄しています! 『入る』という字は現在にさかのぼって今この瞬間に生まれました!

たしかに少し『入って』います! タイムパラドックスを伴って今この瞬間に生じた入るが過去の人類に入るという文字を与えました! おめでとう! ありがとう!これが相撲です! これが国技です!」


 観客のばばあの唱える念仏が降り注ぐ土俵に、時間が引き延ばされ、ばばあの数珠をもむ手がスローモーションのように感じる。


 二人の力士は互いのオムツの前褌まえみつをぐいぐい絞って釣り上げる。


 引き絞られた均衡が静の中の動を確かにしていた。あるいはこれこそが、決して動かぬ彫像に生じた動性に近い感情かも知れなかった。


 先ほどまで歯を食いしばっていたはずの両力士が、いつの間にかぽっかり口を開け、ぼんやり宙を眺めていることに気付いた。


 いつしかすべての音がやんでいた。


 先ほどまであれほどやかましかった実況さえも、無言で決着の時を待っている。


(いけない)


「止めないと!」


 行事は静かに答えた。


「あとしばらく」


「お願い! 早くとめて!」 


(どうして誰も気づいてないの?)


 小春は叫んだ。


「だって! 二人とも少し浮いてます!」


「「え」」


 行事と古館が綺麗にハモった


 真顔になった行事と実況の古館がそろって地に伏せ、土俵に顔をへばりつけて二人の足が浮いていることを確認する。


「はやくとめて!」


行事は無言でかぶりを振って勝負の終わりを否定する。


 古館が叫ぶ。


「二人が浮いてるんじゃない! そらが近づいてるんだ!」






 いずれ事切れる「運命の歯車」をハムスターの熱心さでカラカラ廻し、終には汗を吸って弱さを露呈した、まわしが、まずは死に神に掴まる。


 羽毛のように千切れて舞ったおむつの紙の繊維が天井まで桜華乱舞する激闘の土俵に、まわしが破れた衝撃に、生まれたままの姿で、仰向けに飛ぶおとこが二人。 しっかりと握られた掌には、勝利と同意義の紙片が張り付いていた。


「勝負あり! 勝負あり! 両者勝ち!

決まり手は御不浄勝ごふじょうがち!

東軍が勝った! 西軍が勝った! 両者が勝った! すばらしい勝負です! これが大相撲です!」


 実況の古館が涙を流し、声を飛ばして絶叫した。


 大騒ぎして盛り上がる会場。 そこここで、抱き合い、互いの軍の健闘を称えあう。戦は終わった。


 騒ぐ会場をよそに、土俵の中心にむかって、小春はゆっくり歩み寄る。


 AEDをかければ灰になりそうな痩躯で横たわる享年併せて200歳の両雄を静かに見下ろす。


 スマホを取り出すと、119にすべりかけた親指を叱咤して、咄嗟の判断がダイヤルを110番へと誘う。


 2コールで応答した携帯電話の向こうからの突然の問いに、小春は果たして答えられなかった。


「事件ですか? 事故ですか?」


「……へ?」


 これは、じけんなの? それともじこなの?


 遠くで誰かが呼んでいる。


 じけんとは? あれはじこ?


 もしもしだいじょぶですか?とこえがする。 


 わからない


 もうわたしにはわからない


 はじまりはきっとあのとき バイトでもしてみたら?っていわれたんです


 おまわりさん 


 あたし 綺麗になりたい



ここまでお読みいただきありがとうございました。少しでも楽しんでいただけたのなら、幸せです。


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