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先手必勝……させてなるものか!

(1)


「お気に召さない??いいじゃないの。両家の結びつきも深くなるし、あちらが紅茶なら我が家はコーヒー、事業協賛のいい機会になるかもしれない。もちろん家のためだけじゃない、貴女にとっても。こう言っては何だけど、ルードラ様なら貴女と境遇が似ていらっしゃるし、理解し合える部分があると思うの。そういう意味でも二度とない申し出じゃないかしら??」

「境遇、とは??」

「あらあら、ご存じなかったの!皆様周知の事実ですのに??」


 貴女の言う『皆様』の人数なんて数名のご友人だけでしょうに!


 あたかも自分達が世間一般の代表意見のように語らないでほしい。

 などと言えたら、さぞかし気持ちいいだろう。でも言わない。

 気持ちいいのは一瞬で終わる。それよりも情報を得る方がはるかに大事なこと。


「えぇ……、私は社交界と縁が薄いですから」


 あえて殊勝な態度を取ってみせれば、イヴリンは執事に一旦下がるよう指示を下した。


 執事の姿が温室から消えたのを確認し、出来の悪い子供を宥める口振りでイヴリンはナオミに語りだす。


「彼はね……、かつてクインシー様が植民地インダスに駐屯中、現地の女性に産ませた子供なの」

「……だから、私と立場が似ている、と」

「驚かないのねぇ??」

「えぇ、まぁ」


 彼の異国情緒漂う容貌を知るだけに、驚きより納得の方が勝る。

 だが、口にすると事態がより複雑化しそうなので黙っておく。


「貴女にとってこれ以上ないお相手でしょう??」


 何が楽しいのか、イヴリンは歌うように高らかに語り続ける。


 義理の娘を案じるように見せかけて、ひしひしと伝わってくる。


『同じ穴の狢同士仲良くすれば??』と。


「貴女が独身を貫きたいのは生みのお母様の血筋を大変恥じ入ってるからでしょ??長年鎖国状態だった東の島国出身ですものね。貴女自身は何も問題なくても、この国じゃあとてつもなく生き辛いし」

「……否定はしません」

「でもね、私みたいに家族としてなら受け入れてくれる方だっているでしょう??」

「お義母様が稀な方なだけですよ」


 求めているだろう言葉を、感情を込めず伝えてやるとイヴリンは満足げに微笑む。


 東方人の実母に捨てられた混血児(ナオミ)を差別せず、実子(ナオミの義弟)と分け隔てなく接してあげた。今だって対等に話してあげている。


 ナオミの血筋はガーランド家公然の秘密とし、あくまで(ナオミが幼き日々を過ごした)あの国から引き取った養女だと主張してあげている。


 また始まった。でももう慣れた。


 機械的に満足する言葉を与えてやるのが一番いいのもよくわかってる。


「でも、きっとルードラ様は貴女の言うところの『稀な方』だと思うのです」

「さぁ、それはどうでしょうか」

「きっとそう!ねぇ、一度両家を交えてお会いしてみるといいわ!いいえ、絶対するべきです!!お父様とも相談するから、貴女もちゃんと考えておきなさい。いいわね??」


『貴女に拒否権はない』


 言外に滲ませ、拒絶する隙を与えないのがイヴリンのやり口。


 これもまた始まったと諦めるしかない。

 あの国から帰国早々、幼いナオミの女子寄宿学校入学を決めたのも父ではなくこの人だったし。(寄宿学校での生活は厳しくも別に苦でもなかったけれど)


 でも、今のナオミは親に言われるがまま従うしかない子どもじゃない。


 結婚話が持ち上がったのは今回が初めてではないし、その度に上手く断り、躱し続けてきた。

 今回だっていつも通り上手く……、上手く、上手く……、行く、か??


 ルードの並々ならぬ自分への執着を思い返すと、少し、自信がない、かもしれない。


 勢いだけで迫ってきたなら何とでもなるが、押してもダメなら早速外堀を埋めにかかる周到な相手だ。


 それに──、できれば、デクスター家の仕事を失いたくない。


 当主クインシーと子息ルードはどうでもいいとして、セイラの教育を途中放棄するのは避けたい。


「ルシンダさんなら何か知ってるかしら……」


 二杯目の紅茶をさっさと飲み干し(急いで飲んだので味どころではなかった)、灯りが灯り始めた豪邸群を背にとぼとぼと歩きながら、ひとり零す。


 イヴリンの比ではない社交家かつ確かな情報通の彼女なら、求婚を断る口実になりそうな話ネタを知っているかもしれない。






(2)


 古い壁時計が十時半を指した。


 室内の明かりは普段よりも明るく、壁に固定させたガスランプのみならず、ベッドサイドのカンテラまで煌々と輝いている。

 そろそろ就寝準備を始める頃だが、ナオミは針を動かす手を止めない。


 花嫁衣装を思わせるシルクオーガンジーの小さなドレスに、慎重に丁寧に、でも手早く一針一針糸を通す。


 教え子の一人、厳密に言えば教え子の母親に押しつけられた人形用のドレスを黙々と縫う。

 ただでさえ繊細な生地に加え、物が小さい分縫い目も細かい。中々に骨の折れる作業だが、存外縫物も細かい作業も嫌いじゃない。どちらかと言えば得意な方だし、集中できるので無心になれる。


「そんなに根詰めてると肩が凝るわよ??」


 急に頭上から降ってきた声にびくぅっ!と肩が大きく跳ねる。


「……びっくりした」

「……割に、反応はそこまでよねぇ」


 本当にびっくりしたの??と、ナオミと同じく寝間着姿に下ろし髪のレッドグレイヴ夫人は苦笑する。


「おとなり、よろしい??」

「えぇ、どうぞ」


 適当なところでこま結びで糸を止め、糸切はさみで断ち切る。小さなドレスはサイドテーブルへ。


 寝台の端に寄ったナオミの隣に座った夫人に向き直れば、大きめのカップを差し出された。

 両手で抱え込んだカップの中身は温かいココアだった。


 この国の裕福な中流以上の家では最低一人は使用人を雇う。


 レッドグレイヴ夫人も例に漏れず、一切の家事を任せる家政婦を雇っているが、通いだし夜食の作り置きを作ったら夕方には帰宅してしまう。

 なので、目の前に差し出された温かい飲み物はわざわざ夫人手ずから作った物。


「ありがとうございます」

「いいのいいの!今日はいつもより疲れてるでしょ??」


 否定とも肯定ともつかない微妙な笑みでごまかす。


「疲れてるときにまで頑張って繕い物までしなくてもいいのに……。生徒のお母様に押し付けられた物じゃないの??」

「まぁ、そうですけど……、実は」


 聞き咎める者なんていないが、わざと声を落とし、ひそひそと囁く。


「生徒からは『お母様が作った物よりガーランド先生が作ったお人形の服の方が丈夫で糸もほつれたりしないし、意匠もお洒落』って。まぁ、私に縫わせるために母親から吹き込まれているかもしれませんけど」

「そこは素直に受け取っておきなさいな。にしても、よくこんな小さなお洋服のギャザーを手で細かくきれいに縫えるわね。私なら諦めてミシンで縫うのに……、本当に手先が器用だわ」


 製作途中の人形用ドレスを手に取ると、レッドグレイヴ夫人は感嘆の声を上げる。

 手先の器用さは母方の血筋だろう。そう思うと素直に喜べないが、今は黙っておく。


 ココアから立ち上る湯気が掻き消え、ふわふわ浮かぶマシュマロもしおしお萎んでいく気がしたので、慌てて一口含む。


 ほろ苦さの中のほんのりとした甘さに一日の疲れが癒されていく。

 ひと口飲むごとに解けていく心のままに、ナオミは実家でのイヴリンとの話を夫人に打ち明けた──



「ありえなさすぎる」


 楚々とした笑顔、優しげな声音なのに背筋に怖気が走る。


 寄宿学校時代、教師の目を盗んでは寮生たちと就寝時間中こっそりと枕を並べ、ひそひそおしゃべりした。

 最も、その友人たちとは卒業後の関係は自然と途絶えてしまったので、レッドグレイヴ夫人と夜のお喋りに興じるのは少女時代を思い出し、いつもなら楽しい、楽しいのだが──、今夜は恐ろしい。が、相談をもちかけたのは当のナオミ。


「ナオミさん」

「え、えぇ……」

「ナオミさんが断固拒絶してるのに勝手に外堀埋めだすのもありえない。結婚話をガーランドの旦那様ではなく奥様が積極的に話を進めようとするのもありえない。ナオミさんの独身年金をご自分の懐にしまいこんでるのに」

「いえ、あれは家を出る条件で差し出しているだけで私は別に」

「どちらにせよ、おふたりともナオミさんの気持ちを蔑ろにし過ぎなのです。奥様はああいう方だから一万歩程譲ってある意味仕方ないと諦めますけど、デクスターJr.は本当にありえません」

「ルシンダさん落ち着いてください。息継ぎせずに長く喋ると苦しくなります」

「これが落ち着いていられますか。私、女性の気持ちを一切無視して蔑ろにする男性が心底許せないんです」


 男なら見惚れそうな美しい笑顔の下は相当荒ぶっている。


「いえ、デクスターJr.には私、不信感しかありません。だって彼、嘘つきですから」

「嘘つき??」

「えぇ、だって……」


 ここでレッドグレイヴ夫人は言葉を切り、気を落ち着かせるべく呼吸を整えると。

 ナオミをちらと一瞥し、躊躇いがちに口を開いた。


「ナオミさん、私、言おうか言わないでおこうか、ずっと迷っていたことがあるのです」

「え、えぇ」


 余程言い出し辛いのか、夫人はちらちらとナオミの様子を窺うばかりで話を中々切り出せないでいる。


「もしかして、彼がインダス人の混血という話、ですか??」

「いいえ、違います。貴女は人種を問題にする方じゃありませんもの」

「では他になにか??」


 夫人は再び口を閉ざしてしまった。

 イヴリンと違って勿体ぶっている訳じゃない。本当に迷っているのだろう。

 とはいえ、一度言いかけたのなら最後まで言って欲しい。


 焦れたナオミが続きを促そうとしたとき、夫人の口が遠慮がちに開いた。


「デクスター父子は揃って社交界きっての遊び人(プレイボーイ)で名を馳せているの」

「クインシー様はまぁ……、でしょうね……。セイラさんを養女に迎えたきっかけからして。で、彼もなの??」

「えぇ。本当よ??私のお友達もデクスターJr.に何人も泣かされたのですから!なのに、ずっと貴女(ナオミ)を探し続けていました!前世恋人だった運命の人!なんて熱く語られても……、私は信じられないの」

「……それだわ……」

「え??」


 興奮冷めやらぬレッドグレイヴ夫人とは反対に、ナオミは至極冷静だった。


 始めからおかしいと思っていた。否、あれは誰もがおかしいと思うだろうけど。


 ルードの出自から察するに、彼とは火遊び程度ならともかく真剣交際、ましてや結婚を望む女性は限りなく少数。仮に真剣だとしても女性側の親族が許さない。

 だから彼自身も火遊び程度でしか女性と関わらないのだろう。


 しかし、ナオミと同年代、二十半ばから後半に差し掛かる年頃になれば、そろそろ結婚を真剣に考えなければならない。

 と、なると──、ナオミは家や会社同士の結びつきにも有益な上、似たような出自で引け目を感じなくてもいい、まさに結婚相手にうってつけの存在。


 あの夜会のときは気まぐれにナオミをからかってみただけだったとしても、後日、それが有益な相手と判明したなら──??


「うわ、きもちわるっ……」


 嫌悪感が一気に膨れ上がっていく。

 こちらの足元を見てくるだけじゃない。更に傷の舐め合いまで求めてきそうだ。(前世云々)までついて。


「ナオミさん、いい考えがあるの」

「ルシンダさん」

「ちょっと、いいえ、だいぶ意地悪な方法だけど……」


 困った表情とは裏腹に、夫人が口にした内容にナオミも少なからず腰を引いた。

 が、このくらいしないとルードは諦めてくれないかもしれない、と開き直りかけてもいた。

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