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貴重な理解者

「あの方が例の、様子のおかしい宵闇の君なのね??」

「ルシンダさん、様子がおかしいって言うのはさすがにちょっと……」

「じゃあ変質者まがいの美形紳士??」

「益々酷くなってない?!」

「初対面早々、名前も知らないお相手に『貴女の前世は姫騎士で、自分はその恋人でした。だから結婚しましょう』だなんて。どんなにお顔がよろしくてもだいぶ気持ち悪いですもの」


 馬車が去り、車輪が転がる音、蹄が石畳の上を駆け抜けていく音が完全に消え去ったあと、ナオミの下宿先の女主人ルシンダ・レッドグレイヴ夫人はまったりと微笑んでみせた。


 夫人はいつでも笑顔を絶やさない。後ろで緩く編み込んだダークブロンドの髪、薄茶の瞳、バラ色の頬という容姿に加え、淡い色のドレスや繊細なレースがよく似合う。物腰も大変柔らかく、それでいて男性と対等に渡り合う豪胆な一面もあった。

 楚々とした雰囲気に騙され、侮ると大抵の男性はしてやられてしまう。


 先程もそう。


『わざわざ馬車で送り届けていただきありがとうございます。ですが、ガーランドさんの厳格で貞淑な家庭教師(ガヴァネス)という評判を落としかねない行動は慎んでいただけますよう、何卒お願いします』


 夫人はにこやかに礼を述べつつ、ナオミの手を離さないルードの手元をちら、と一瞥した。


 夫人はあくまで嫋やかな笑顔を湛えていた。しかし、笑顔だからこそ得体の知れない怖さが増す。

 結果、ルードも恐縮し、あっさり手を離してくれた。


「……怒ってますか??」

「当然。ナオミさんが樹から落っこちて頭打って……、下手したら大事に至ったかもしれないのよ??なのに、明らかに嫌がられてるってわかってて尚、強引に馬車に同乗するなんて。嫌な相手と密室でふたりきりなんて最悪。私だったら耐えられない!ナオミさんに余計な心労かけて、具合が悪くなったらどうしてくれるのかしら。あぁ、嫌、嫌ねぇ。少しでも疲れが解れるよう、ハーブのお茶でも用意しますわね。居間でお待ちになってて」


 夫人の怒涛の毒舌に閉口しつつ、居間の長椅子に腰かけ、よりかかり、天井を仰ぐ。

 淡いクリーム色を貴重とした壁紙、薄茶で統一された家具調度品、薄緑の絨毯は品良く目にも優しく、いつもならホッとさせられるのに。


 頭痛はなくなったが、頭痛の種がこれからつきまとうと思うと気が重い。


「よっぽど疲れてるのねぇ」


 ローテーブルに置いた二人分のティーカップにハーブティーを注ぎながら、夫人はナオミを気遣う。銀製のティーポットから湯気と共にふわり、かすかな林檎の香りが漂う。


「疲れたときのカモミールティー。香りに癒されるでしょう??」


 香りにつられカップに手を伸ばす。ひと口含み、ようやく一息。


「ねぇ、ナオミさん。彼がどうしても嫌ならデクスター家のお仕事は断ったら……」


 向かいの長椅子に座ったレッドグレイヴ夫人はカップに手をつけず、改まった顔で問うてくる。


「それだけはしたくないの。仕事は仕事」

「でも、デクスター家以外の仕事もいくつも請け負っているじゃない。断ったとしてもそんなに痛手にならないんじゃ」

デクスターJr.(ルード)なら普段私が訪問する時間帯は仕事に出てるだろうし、セイラさんは教え子の中でも特に気にかけてる子だから」


 レッドグレイヴ夫人が納得の声を上げる。

 ナオミはその声に反応せず、黙ってカモミールティーを啜る。


 ナオミがセイラを気にするのは、立場はまったく違えど自分と重なる部分を感じるから。


 今はまだいい。守ってくれる家族がいる。

 けれど、いつかは大人になる。子供のままじゃいられない。


 大人になったあとまでクインシーやルードが彼女の()()を守れるか。守れたとして一生保たれるわけじゃない。


 自然と胸の前に降りてきた髪を背中へ払いのける。

 いつもはきつめのシニヨンに結っているが、今日は上半分だけ結い、下半分は下ろしている。デクスターの使用人に任せたらこうされてしまったのだ。


 癖がなく、黒に近いブルネットの髪は羨ましがられることが多いが、ナオミ自身はあまり好きではない。


 他の外見的特徴──、例えば青灰の瞳、ミルク色の肌、はっきりした目鼻立ち、すらりと長い手足はこの国の人間同様なだけに、髪色のせいで自分に異国の血が流れていると嫌でも思い知らされるのだ。


 決して己に流れる血を蔑んでいる訳ではいない。


 同じ国の人間でさえ階級間での差別が激しいこの国で、自分が恙なく暮らすには出自を他人に一生知られるわけにはいかない。だから。


 働けるうちにこつこつ働き、余生はあの国の田舎でのんびり一人で暮らす。

 自分だけの家庭菜園を造り、近所の子供たちに読み書き計算教えたり。

 小説か随筆でも書いて小金を稼いでみるのもいい──



「とにかく!私は私の平穏が守られている内はデクスター家の仕事は辞めないつもりなの」

「貴女がいいならいいけど……、でも、しなくて異あ我慢だけはしないでね??」

「えぇ、ありがとう」


 はにかんで答えるナオミに、レッドグレイヴ夫人も笑顔で応えたが、一方で物言いたげでもあった。




 その後、ナオミの言う通り、あの日以降デクスター家へ何度か訪問してもルードと顔を合わせることは一度もなかった。


 クインシーとは一、二度顔を合わせたが、挨拶程度の会話を交わしただけ。

 セイラに至っては勉強に一生懸命で(彼女なりに深く反省したようだ)それどころではない感じだった。不穏な夢もあの日以来一度も見ていない。




 所詮は独身紳士の気まぐれ。間違いない。


 そう結論づけかけていた矢先の話だった。

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