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めまぐるしき日②

(1)


 次の瞬間、ルードは玄関ホールの絨毯に爪先を取られ、前のめりに倒れかけた。

 寸でで転倒は避けたものの、平素の彼らしからぬ、また尋常でない様子に一同は唖然となった。


「ルードラ坊ちゃま、おかえりなさい」

「……ハリッシュ、坊ちゃまはやめてくれといつも言っている」

「口開くなり文句ですか。そういうところがまだまだ『坊ちゃま』すよ??」

「ハリッシュ」

「あと乱暴な扉の開け方やめてもらえませんかねぇ。壊れたら誰が修理すると思ってるんです??」

「……そうだな。僕が悪かった」


 あのルードが、だ。

 あのルードが、すんなり素直に謝った、ですって……?!


 しかも同じ立場である富裕層の者ではなく、(便宜上あえてそう呼ばせてもらうが)一介の使用人相手に、だ。


 姿勢を正し、息を整えるルードを、信じられない想いで凝視していると、ハリッシュは何かを察してにやっと笑う。


「さては坊ちゃま、ガーランド先生に一目会いたくて急いで帰ってきたんですか??いいすねぇ、若いすねぇ」


 いや、そう言う貴方も見た感じ自分たちと同世代に見えるんですが。

 あとは勝手にひとりで盛り上がらないで??


「ち、違う!そんなつもりで……、いや、まったくないとも言い切れない……」

「ほら、やっぱりじゃないすか」

「では、私は失礼させていただきます」


 今日は気分的に疲れているし、つまらない茶番になんか付き合ってられない。


「待ってください、ナオミさん!」

「はい??なんですか」

「たしか、この後お仕事は入ってないですよね??」

「ええ。入ってませんが」


『早く帰って早く休みたいのよ』と返しかけて、ルードのかなり真剣な面持ちに口を噤む。


「一時間……、いえ、三十分でもかまいません。少しの時間だけ僕の仕事を手伝っていただけませんか」


 まったく想定外の言葉に面食らい、返答に窮してしまった。

 なので、閉ざした口を再び開くのに少々時間を要した。


「私じゃないと務まらないようなこと、なのですか??」


 今度はルードが返答に詰まる番だったが、ナオミと違って彼の方が返答する時間は早かった。


「絶対……、というわけではないかもしれませんが、貴女だからこそお願いしたいと思っています」


 褪めた雰囲気は変わらずながら、ルードの固く真摯な表情に下心、もとい、誠意の度合いを推し量ってみる。たぶん、きっと、本心からナオミへの協力を仰いでいるのだろう。

 ルードの真剣さを汲んでか、ハリッシュもセイラも話の腰を折ってこない。


「わかりました。少しだけ、ですよ??本当に少しだけでしたら」

「本当ですか??ありがとうございます」


 頬を綻ばせるでもなく、表情は固いまま胸を撫でおろす辺りがとても彼らしい、気がする。


「それで、私は何をすれば??」

「まずは僕と一緒にコンサバトリーへ来てもらえませんか。詳しい話はそちらで話しましょう」






(2)


 正面玄関、ポーチを出て石畳を一分程歩くと左手に白い骨組みの全面硝子張りの一室──、コンサバトリーがある。


 ガーランドの邸宅にも似た造りの建物、イヴリンの温室があるけれど、こちらの部屋には観葉植物以外の鉢植えは置かれていない。


 くしゃみを我慢しなくてもいいことにホッとし、部屋の中心にある白い猫脚の三人掛けダイニングテーブルの一席へ、ルードに促されるまま腰を下ろす。


 テーブルと同じく華奢な猫脚の椅子に、六フィート近いであろう長身のルードが座ってもだいじょうぶかしら、と余計な心配しつつ、向かいに座ったルードの説明に耳を傾ける。


「ナオミさんはチャヤという飲み物をご存じですか??」

「いえ。今初めて聞きました」

「でしょうね。僕も最近知ったばかりでして。ダストティー(商品にならない茶葉)を利用したインダス流の紅茶の飲み方なんですが、これが意外に美味でして。上手くいけば廃棄対象のダストが商品化できるかもしれない。ただ、僕がインダス風の飲食物の味に慣れているので美味しく感じるだけかもしれません。ですから、ナオミさんに試飲をしていただけると大変ありがたい……のです」


 いくら自分が美味しく感じたからとはいえ、手放しでは勧めにくいのだろう。


 ダストティーはまともに飲むことができないくらい苦みが強い。レシピで味が変わるとしても本来は不味い粗悪品。

 粗悪品と知りながら勧めるのは充分失礼に当たる。人によっては怒り出しかねない。


 だからだろう。自信家の彼にしては珍しく、説明中もルードはちらちらとナオミの様子を窺っていた。


 当のナオミ本人は別段気分を害さなかったが、同時に他に試飲を依頼できる人はいなかったのかが気になった。それこそ失礼なので口が裂けても尋ねはしないけれど。


 自分に近づく口実か、と疑いかけるもそれこそ失礼な発想だと打ち消す。

 次に浮かんだ発想も相当失礼だが、実は正解に近い気がした。


 ルードには身近に頼み事ができる友人がいないのかもしれない。


「お話は理解しました。私でよければ協力しましょう」

「本当ですか?!ありがとうございます……!そうと決まれば、早速チャヤを用意しましょう」

「あぁ、Mr.デクスターJr.待ってください!」


 コンサバトリーと隣り合う厨房へ向き直り、腰を浮かせたルードを呼び止める。


「試飲の前に、チャヤが具体的にどんな紅茶……、紅茶、なんですよね……??細かいことはさておき、チャヤはどのような紅茶で、レシピなのか簡単に教えてくれますか??」


 ルードはあからさまにしまった、と顔を軽く歪めると、「僕としたことが説明が足りませんでした。すみません」と謝罪し、続けた。


「味の濃いミルクティーみたいなものです。粉末状のダストを水を沸騰させながら煮出すんです」

「え?!熱湯に蒸らすのではなく??」

「はい。数分掛けて茶葉を蒸らすより直接煮出した方が効率的だとか。煮出した紅茶にミルク、砂糖を加えてもう一度軽く煮出す。そうすると甘味とコクが濃くなるんです。地域によってはシナモンやクローブ、ジンジャーなんかをスパイスに加えるそうですよ」

「思っていたよりも飲みやすそうですね。スパイス入りなら寒い時期に身体が温まるかも……」

「今回はスパイスなしを試飲してもらうつもりでしたが、ナオミさんがよければスパイス入れも試してみますか??」

「そうね。こう言うと語弊があるかもしれませんが……、少し興味があります」

「わかりました。じゃあ、両方用意しましょう」


 立ち上がったルードは今度こそ隣の厨房へ消えていく。


 なんだか浮足立っているように見えるが、ナオミもまた、口にしたことのない珍しい、けれど美味しい(らしい)飲み物を口にするのが楽しみだった。

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