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紳士対淑女

(1)


 レッドグレイヴ夫人があとでこっそり教えてくれた彼女たちの試合不参加の理由──、『昨夜、突然月の障りが来てしまいまして……』だった。


 嘘か本当か相当あやしい。四人同時となると尚更。


 しかし、理由が理由だけに追求しづらく、女性が試合には参加せず見学に徹することにも特に違和感は持たれない。(例えば、イヴリンは最初から見学する気でいるし)


 そのため、『わかりました』と不参加を承知するしかない。



「絶対あの方(ルード)のせいですわ」


 穏やかな笑顔と声音を保ちつつ、夫人の静かな怒りは明らか。よくよく見れば、微妙に頬の筋肉がひきつっている。


 昨日のナオミへの所業だけでもかなり腹に据えかねているのに、更に追い打ちをかけられたも同然。ナオミもまた同様。


「ダフネさん、でしたか??ルシンダさんのお友達で唯一、あの方だけは試合参加されるんですよね??」


 いくら怒りに燃えていようと事態は変わらない。

 気を取り直し、少しでも明るい話題を持っていく。


「え、えぇ……。ただチームに抜けた穴を誰で埋めればいいか……」

「代わりに我々が入りましょうか」


 げ、と言いそうになり、慌てて飲み込む。

 よりによって一番入れたくないふたり、ルードとクインシーが名乗りを上げてきた。


「チームといってもまだ正式に割り振ってませんよね??ちょうどいいじゃないですか。今決めてしまいましょう」


 クインシーは別に息子の肩を持ってはいない。

 ごくごく当たり前の提案を持ち掛けたに過ぎないが、現在の状況に置いては傍迷惑極まりない提案。そして断り辛くもある提案。


 どうする??どうする??

 良い断り文句が咄嗟に思いつかない。


「お気持ちはありがたいですが、ご心配なく。姉とレッドグレイヴさんのチームには僕と友人たちが入りますから」


 レッドグレイヴ夫人と内心冷え汗を流していると、パーシヴァルが間に入ってきた。

 彼だけは予想に違わぬ動きをしてくれるのでとても助かる。


「いえ、僕たちが」

「でしたか。失礼。心配はご無用でしたね」


 尚も食い下がろうとするルードを制し、クインシーはあっさりと引き下がってくれた。

 ルードは何か言いたげだったが、おとなしくクインシーに従う。


 パーシヴァルが名乗り出てくれなければ危ないところだった……。


「たしかに各家同士で分かれて対抗した方が楽しさが増すでしょう」

「ご理解感謝致します。しかし、各家対抗ですとそちらの人数が足りませんね……。そうだ!宜しければ、母のご友人たちと一緒に組んでいただきましょう!おーい、お母様!!お母様のご友人一同、デクスターさんたちのチームに入っていただけますか??」


 我関せずを一貫し、おしゃべりに夢中だったイヴリンは、息子からの突然の呼びかけに、えっ?え?!と狼狽えた。


「パーシー。勝手なこと言わないで頂戴。お友達が試合に出て私だけひとり寂しく見学しなさいって言うの??」

「お父様がいるのだから一人じゃないですし、別に寂しくないですよ??」

「お父様は審判務めるし、女性同士でしか話せない話があるの!」


 子供か。寄宿学校時代にも一定数いたわね。

 一人でいるのが耐えられず、常に誰かとつるみたがる人。


 否、イヴリンのことだ。ナオミとルードが同じチームになるよう仕向けているのでは??


「お母様も参加すればいいじゃないですか」

「私はスポーツは苦手なの!」


 ぷいと横向き、イヴリンは徐に拗ねてみせる。やっぱり子供か。

 話に聞く耳持とうとしない母にパーシヴァルも困惑し、説得の言葉を考えあぐねている。


「まあまあ、ガーランド夫人もガーランドJr.も落ち着いて。そうだなぁ、私は品良く美しいご婦人方とチームを組めたら天にも昇る気持ちになります。投球も投打もいつになく気合が入り、頑張れそうですよ。ねぇ??」


 そっぽを向くイヴリンの周りを取り巻く淑女たちへ、クインシーは有り余る色気を迸らせ、艶然と微笑みかける。

 ナオミとレッドグレイヴ夫人はあざと過ぎる振る舞いにドン引きだったが、淑女たちの間ではある種の動揺が走った。


 ある者は少女のように耳まで真っ赤に染め、ある者はもじもじと下を向き。

 またある者は軽く卒倒さえしていた。


 ただひとり、そっぽを向いていたイヴリンのみ状況を掴めず、「み、皆様、どうなさったの?!」と再び狼狽えている。


「Mr.デクスター!私でよろしければ貴方のチームに入れてくださいませ!」

「私もお願いしますわ!」

「あら狡い!私もお願いしたい!」

「私も!」


「あの、皆様、待っ……」と弱々しく手を伸ばすイヴリンなど目もくれず、彼女の友人たちは一人残らずこぞってクインシーの周りを囲んでいく。


「はははっ、これで私たちのチームは十一人ちょうど揃いました。では行こうか、ルード」

「……はい」


 淑女たちをぞろぞろ侍らせ、ナオミたちから離れていくクインシーに続き、微妙な面持ちで去っていくルードに、ナオミは初めてほんのわずかばかりの同情を覚えた。







(2)


 クリケットの試合は主にコートの中心、長方形のピッチの中で行われ、十一人対十一人で攻守交代、一つの試合を五日間かけて行う。


 攻撃側は打者(ストライカー)走者(ノンストライカー)が各一名(二人合わせてバッツマンと呼称される)ずつピッチに入り、残りは待機。


 守備側は投手(ボウラー)捕手(ウィケットキーパー)が一名ずつ同じくピッチに入り、残る九名は野手(フィールダー)でコートに入り、外野を守る。


 ピッチの両端、選手たちの背後にはウィケットと呼ばれる三本の棒があり、守備側はウィケットにボールを当てて倒すことを、攻撃側はウィケットを守るためにボールを打ち返すのを目的にプレイ。


 一人10アウト交代の二回攻撃制で多く得点したチームが勝ちとなる、主に上流階層では男女共に人気のスポーツである。(ゆえに男女混合試合もよくある話だ)


 ガーランド家対デクスター家。


 チームごとで横並びに整列し、選手宣誓(の真似事)をする。

 審判のエブニゼルがコイントスで先攻後攻を──、結果、先攻はナオミとパーシヴァル率いるガーランド家だった。




「では……、僭越ながら私が一番に投げさせていただきますね」


 防具に身を包んだレッドグレイヴ夫人がピッチに降り立つ。

 捕手はパーシヴァルの友人の一人。対する一番打者と走者はイヴリンの友人たち。


「クリケットなんて久しぶりですし、なんだか緊張しちゃいますわ。ね??」


 夫人が肩を竦め、打者の女性に楚々と微笑む。

 気安い雰囲気につられ、バットをかまえながら女性もぎこちなく表情を緩める。


「え、えぇ、私もですの。お互い無理なく試合に臨みましょうね」

「こちらこそ!」


 淑女たちの控えめな会話に緊張を孕んだ空気が和む中、芝生の外野で待機するナオミとパーシヴァルの表情は固い。

 特にパーシヴァルはのんびりした夫人に軽く苛立っているのか、ざっざっと何度も芝生を踏みにじっている。


「パーシー、苛々しない。芝生が可哀想」

「姉さん、でも」

「だいじょうぶ。今にわかるから」


 ニッと唇の片端だけ上げて笑む。


「はわわ……、姉さんの貴重な笑顔ぉおお……」

「……試合に集中!あっ!」


 パーシヴァルから再びピッチへ視線を戻す。

 直後、レッドグレイヴ夫人がその見た目にそぐわぬ回転速球を投げ、見事にウィケットを倒していた。


「あぁ、よかった!手元が狂わなくって」

「あな、あな、貴女……、苦手なんじゃないの……!」

「あら、私、久しぶりで緊張するって言っただけで、苦手だなんて一言も言ってませんわ??」


 バットを握りしめ、呆然としつつ抗議する打者の女性に、夫人はきょとんと首を傾げてみせた。


 その後、レッドグレイヴ夫人は二球目以降も立て続けにボウルド(ウィケットを倒す)を決めた。


 チーム・デクスター側も好球続きの夫人に対抗すべく、三番以降は男性打者(クインシーの友人たち)を起用。

 辛うじて四番打者が球を打ち返したけれど、対岸のクリース(バッターボックス)へ走り出して間もなく、球をキャッチしたナオミによってウィケットを倒されてしまった。


 試合序盤、チーム・ガーランドが優勢か??


 ところが、最後の六球目(投手は一回につき六球投げられる)の投球になって事態に変化が訪れることに。


 五番打者がピッチを去り、夫人の隣に立っていた走者が六番目の打者として交代する。


 クリースに立ち、平たい木剣のような形のバットを二、三度素振りする六番打者に対し、ナオミは緊張し、余裕げだった夫人も表情をさっと引き締める。


「さぁ、レディ・ルシンダ。私の準備は整っています。いつでも投げてくださってかまいません」

「…………」


 レッドグレイヴ夫人の眉目や口元が引き攣るも、すぐに一段と柔らかい笑みを唇に浮かべた。

 機嫌が傾いたのは遠目ながらナオミにはよく伝わってきた。


 そりゃあね、ほぼ初対面でろくに話したことない相手から馴れ馴れしく名前(ファーストネーム)呼ばれたらね。

 彼女は顔や大人の色香で騙せる人じゃないし。


「私のことはレッドグレイヴ夫人とお呼びくださいませ。Mr.デクスター」

「これは失礼!Missガールがお名前で呼んでいらっしゃったし、夫人と呼ぶには余りに美しく若々しい方ですからつい」

「えぇ、大丈夫ですわ。私、ちっとも気にしませんから」


 夫人の笑みがより深まったが、ナオミは知っている。

 この笑顔は内心の怒りを押し隠すためだと。


「うふふ。では、早速投げさせてもらいますね」


 助走をつけ、腕を大きく伸ばす。(肘を曲げての投球は違反になる)

 回転がつくよう調整しつつ、これまでとは打って変わり、夫人は低くゆるやかな球を投げる。


 長身男性のクインシーだからこそ、あえて足元を狙った低く打ちづらい球を。打ったとしても長打になりにくい球を。


 弱々しくワンバウンドさせた(投球はワンバウンドさせなければいけない)球は絶妙な低速度を保ち、狙い通り、クインシーの足元へ──


「え」


 クインシーには打ちづらい低い球であったのに。彼は大きくスイングさせたバットを、地面につくかつかないか絶妙な位置まで振り下げ──、を強く高く打ち返した。


 打ち返されることまでは想定内だった。

 ただ、打ち返された球が高く遠くへ飛んでいくのは予想外だった。


 ナオミの立ち位置(ポジション)からじゃ球を捕るのは間に合わない。


「走って走って!!!!」


 自分は間に合わないと分かりつつ球の行方を追い、コートを走り、叫ぶ。


 このままじゃ球はノーバウンドでコートの外枠(バウンダリー)を超え、六点取られてしまう。


 ピッチ内で打者(クインシー)と対岸の七番打者の女性がバットを手に走り出す。


 互いが対岸のクリース(バッターボックス)へ移動、バットの先が触れてしまったら更に一点加算。って、もう取られたし!


 放物線を描いていた球が落ちていく。予想通り外枠を超えてしまった。


「うわっ!」


 しかし、この長打の球が加点されることはなかった。


 体勢を崩し、転びそうになりながらもパーシヴァルがこの球を果敢にも捕ったからだ。


 投げるより早いし確実と判断したのか。

 パーシヴァルは球を握ったまま、ウィケットに向かって走り出した。早く速く!! ……間一髪、間に合った!!


「あぁ、残念だ。やはり歳には勝てないですねぇ。あと二十年若ければもっと速く走れたのですが」

「ご謙遜を。Mr.デクスターは充分お若くていらっしゃいます」

「またまた。肉体年齢が最高潮の若者には負けます」


 ピッチから去っていくクインシーの背中は、悔しさを滲ませた言葉と裏腹に潔いほど真っ直ぐ伸びていた。


 成程。顔や物腰の他に、背中で美しさを物語れるのも彼の魅力なのだろう。


「おとーさま、かっこよかったあ!!」

「うんうん、そうか!お父様はセイラに褒められるのが一番嬉しいなぁ」


 休憩席(待機席)へ戻ったクインシーにセイラが駆け寄り、ぴょんと飛びついてきた。

 クインシーはバットを放り出すと、セイラを軽々と片手で抱き上げる。


 交代で外野に入った夫人が通り過ぎざま、ナオミにだけ聴こえるよう、ぽそり、つぶやく。


「気障ったらしい笑顔より、優しい父親の顔の方が余程素敵に見えるのに」

「……同感。あぁ、そんなことよりお疲れさまでした」

「えぇ、とっても楽しかったわ。誰の目も憚らず、またこんな風に伸び伸びと身体を動かせるなんて幸せねぇ」


 最後の投球で点を取られたにも拘わらず、レッドグレイヴ夫人はたのしげで、鼻歌でも歌い出しそうだ。パーシヴァルが聞いたら、『不謹慎なっ』と嫌な顔をしかねない。

 だが、ナオミは夫人の言葉の意味が理解できる。


 親の都合によって、夫人は十代半ばの若さで二回り以上年上の男性と強引に結婚させられた。

 おまけにその男性の価値観は保守的且つ病的に支配的で、必要最低限の社交以外での外出は一切禁止。

 夫人の言動行動を逐一使用人に監視させ、少しでも気に入らない点があれば、数時間かけてねちねちと責め立てる。当然スポーツなどやるどころか観戦すら許されなかった。


 ところが、不動産王で名を馳せていた夫人の夫は仕事上では完璧な人格者に擬態。


 周囲に話したとして誰も信じないだろうと、夫が死ぬまでの約六年間夫人は黙って耐え忍んだという。


『あの人との結婚生活は生き地獄だったの』

『未亡人になってようやく、私は両親からも夫からも解放されて初めて自由になりました』


 女にとって結婚なんか墓場でしかない。


 実母が自分より学業を、母国への帰国を選んだのは正しい選択だと思う。


 イヴリン辺りは(もしかしたら父も)ナオミが実母を恨んでいると勘違いしているが、実際はまったく恨んでなどいない。

 顔も知らない、一切の記憶がない相手など恨みようなどないのに。


 実母は情より己の利を優先したかったのだろう。別に悪いことじゃない。


 一点だけ気に入らないとすれば、一時の情に流されて子を成してしまったこと。


 かの東の島国はこの国以上に女性の地位が低いと聞く。


 留学を許されるだけの優秀さがありながら、なぜ??理解できないし、したくもないけれど──



「ナオミさん」


 近い場所に立った夫人に呼びかけられ、ハッと現実に引き戻される。


 いけない、いけない。

 投手打者交代の時間中だとしても気を抜いては。しかも三分に満たないごく短い時間なのに。


「今度はある意味因縁の対決になりますわね」


 レッドグレイヴ夫人が水を向けた先には、二番投手パーシヴァル、七番打者ルードがピッチで対峙していた。

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