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箱の中の少女

作者: オリンポス

 私はショッピングモールで買い物をしていた。

 陳列棚に並ぶキーホルダーやストラップを無表情で眺める。

 あ、これ欲しい。そう思って手に取ったりはするけれど、すぐに棚に戻す。

 どうせ買ってもらえないことはわかっていたから。

「こんなくだらない物」と侮蔑するような眼差しで母親に一蹴されることを私は恐れていた。


 私の家庭は、進路も交友関係も恋人も、全て両親が決めるのが普通だった。

 そこに私の意志や決定権は存在しない。

 思い出したくもない、忌まわしい過去の記憶は、今でも鮮明に覚えている。


 ふと物陰から母親が顔を出した。片腕には値札のついた高級バッグを引っ掛けている。ニコニコとした品のいい表情を浮かべて、濃い化粧の上に深い笑い皺を刻む。どうやらお目当てのブランド商品が見付かったようだ。私は内心でため息を吐く。あなたの方こそ値段でしか物の価値を判断できない、くだらない人間なんじゃないの。そんな辛らつな言葉を空気とともに飲み込む。似合ってるよとお世辞を言って、ご機嫌を取る。それこそが模範囚のあるべき姿。私の家庭は監獄と同じだった。


「そう。それは良かった。ところであなたは欲しい物が見付かった?」

 すっかり上機嫌になった母親は唇の端を上げて陳列棚を一瞥する。くまのキーホルダーや革製のストラップを見る目は吊り上がり、口はへの字に曲がっていた。ふーんと手に取って確認したときにふわりと香った石鹸のにおいが私と同じで嫌気がした。こんな人が選んだシャンプーやコンディショナー、ボディソープや香水を共同で使っていると思うと屈辱的な気持ちになる。ビニールカバーの丸い切れ込みを商品棚のフックに戻した母親は、あざけるようにして「こんな物が欲しいの?」と訊いてきた。私が「いらない」とそっけなく答えると彼女は満足そうにほほ笑んだ。「そっか。あなたには感情がないのよね。愚問だったわ」そう言って背中に手を回してくる。汚い。不潔。触らせたくない。そんな感情を押し殺して、生地の繊維越しに伝わってくる生温かい感触を皮膚で受け止めたときだった。


 ぞわり、と背中が粟立つのを感じた。

 不快感をも上回る、根源的な恐怖。

 振り返ってみると、半透明の少女が、憎悪に満ちた眼差しでこちらを睨んでいた。長い髪の毛が目元を覆いつくして、猛獣が威嚇をするときのように歯ぐきを剥き出しにしている。判別不可能なうめき声をあげて、両腕をわなわなと震わせていた。


 私の脳裏に首を絞めて殺される映像が浮かびあがる。

 理由はわからないが、逃げなければ殺される。

 そんな気がした。たぶん間違ってないと思う。


 私は、脱兎のごとく駆けだした。

 半透明の少女は歩きながら近寄ってくる。

 売り場を抜けると、フードコートがあった。

 そこにはたくさんの家族連れがいた。

 うどんをすすったり、ハンバーガーをかじったり、アイスクリームをなめたり、ドーナツを頬張ったり、一般的な家族の姿がそこにはあった。だれもが幸せそうな顔をして、子どもは欲しい物をねだったりしている。それが普通なのかはわからない。「あなたには感情がないのよね」母親の捨て台詞がリピートされる。なんだか情けなくなった。


 目に涙を溜めて走り去っていく私に気付く人はだれもいなかった。みんながみんな、自分だけの幸せな世界に浸っている。居場所がなくて否定される私はどこに行けばいいのだろうか。とにかく駐車場まで走ろうと思った。もしかしたら両親が車で待機しているかもしれないと淡い期待を抱く。


 今度はファッションコーナーに差し掛かった。小さな女の子が母親にピカチュウのパジャマをねだっている。その隣にいた男の子は唇をとがらせて、「僕はこっちがいい」と蛍光塗料の光るパジャマをアピールしていた。「それを着たら頭が良くなるっていう科学的なデータがあるの? それよりもこっちの方が睡眠の質を高めてくれるからこっちを着なさい」そうやって怒鳴られるんだろうなと見ていたら、その母親は女の子の背中についているタグを眺めて、「わかったわ。その代わりに良い子にしているのよ」とバッグから財布を取り出して紙幣の枚数を確認し始めた。どうやら買ってもらえない様子の男の子はダダをこねているが、その右手には戦隊ヒーローの変形ロボットのおもちゃが握られていた。


 私は母親の選んだ服しか着たことがなかった。アパレルショップでは数時間にわたって着せ替え人形にさせられた挙句、結局私が選んだ服が採用されたことは一度もなかった。そんなアクセサリーみたいな扱いを受けるのが普通だと思っていたのに、ずるいよ。と奥歯をかみしめる。みんなも私と同じように不幸になってしまえばいいのに。


 私は後ろを振り返った。

 半透明の少女が追ってきていることを確認するためだ。

 不思議なことに、彼女との差はそこまで開いていなかった。

 明らかに私の方が速く移動しているのに、おかしいと思った。


 ファッションコーナーを抜けると、今度はゲームセンターに繋がっていた。

 クレーンゲームを筐体の横からのぞき込んでぬいぐるみを取ろうとアームバーを動かしている男性がいた。その隣には娘と思しき女の子がいる。両腕で白い子犬のキャラクターを抱きかかえながらその行方を窺っているのだった。


 私はほぞを噛む思いでその場を後にする。

 なんでみんなは否定されないんだよ。なんで私だけが否定される世の中なんだよ。

 笑顔で太鼓を叩いている子ども達も、夢中になってハンドルを回してレーシングゲームを楽しんでいる子ども達も、ライフルのような造形をした銃を使ってシューティングゲームに興じている子ども達も、おもちゃのメダルを使ってスロットやパチンコをしている子ども達も、みんなみんな大嫌いだ。世の中はなんでこんなにも不条理なんだ。


 もうそろそろ足を止めて楽になろうかな。

 半透明の少女は私を絞め殺すだろうか。よくわからない。

 ただなんとなく脳裏にそんな映像が流れ込んできただけで、それが現実になるとは限らない。


 私は音楽の授業で習った、シューベルトの魔王という楽曲を思い出す。

 あれもこんな感じのファンタジーな世界観だった。

 高熱に苦しむ息子が幻聴や幻覚を発症し、父親は真夜中に馬を走らせるも、残念ながら息子は息を引き取ってしまうというお話だ。息子はキリを魔王と見間違えて、枯れ葉が風で揺れるのを魔王のささやきと聞き間違える。灰色の古い柳を魔王の娘と発言し、やがて何も話さなくなるのだ。おそろしいことに今の状況と酷似している気がした。


 だんだんと逃げる気力もなくなってきたところで、私は本屋の一角へと足を踏み入れていた。

 目の前の書棚には自己啓発本が並んでいる。ディズニーランドのCEOが書いた就任までの軌跡、人に嫌われない話し方、人間関係の悩みがなくなる本、これを読めばすっと心が軽くなる、そんな背表紙のタイトルを見せられてもピンとこなかった。やっぱり私は漫画や雑誌が読みたい。どうせ買ってもらえないだろうけど、立ち読みくらいだったらしてもいいはずだ。どうせ半透明の少女につかまったら終わる命なのだし。私の心はだんだんと諦めの領域へと達しつつあった。


 私は雑誌コーナーへと足を向ける。そこには同世代の女の子がちらほらといた。ゴシップ系の記事がでかでかと表記された週刊誌が商品棚に主力として並んでいる。私はティーンエイジャー向けのファッション誌に目をやった。その表紙では、綺麗なモデルさんが表紙を飾っている。きっとすごい努力をしているんだろうなと思った。足が細いし小顔でスタイルもいいしファッションセンスも抜群だ。雑誌の付録にはそのモデルさんが身に付けているアクセサリーが同封されていたが、どうせ買ってもらえないので元に戻す。コミックスはビニールカバーがかけてあるからそもそも読めなかった。きっとみんなは買ってもらえるんだろうな。私が買ってもらえるのは、せいぜい参考書とか資格に関係する書籍だけだ。そこに娯楽が入り込む余地はない。


 ああ、退屈な人生だった。

 走馬燈のように思い返してみても楽しかった記憶はほとんど出てこない。

 もういいや。駐車場まで逃げる気力も失せた。

 どうせこの先も、箱の中の囚人で居続けなければならないんだろうから。

 そろそろ終止符を打とう。振り返る。半透明な少女は真後ろにいた。


「ねえ、あなたは何者?」

 私は肩を落として尋ねてみる。

 返事がかえってくるとは思っていなかった。


「私は、あなたが、にくい」

 よく見ると、半透明な少女はガリガリに痩せていた。

 栄養失調なのだろうか。モデル体型というよりは不健康と形容した方が近い。


「あなたみたいに、裕福な家庭で生まれた、なにひとつ不自由のない暮らしをしている人が、にくい」

 とつとつとした無機質な話し方をしているが、すぐに襲ってきたりはしないようだ。この不透明な少女はやはり概念的な存在なのだろうか。そもそもこの女の子には実体がなくて、私が脳内で作り出した妄想なのかもしれない。


「なにひとつ不自由のない暮らしか。経済的にはそうかもね」

「え、どういうこと?」

「私だって、あなたと同じくらい不自由だよ。お金があっても、何もできないから」

「へえ、そうなんだね」

 不思議そうに彼女は笑う。

 これで納得してくれたとは思えないけど、私は本心を打ち明ける。

 心の叫びを、だれかに聞いてほしかった。

 それができる日をずっと待ち望んでいた。


「だから私だって憎いよ。普通に親から愛されて、幸せに育っている子どもがさ」

「そっか」

 半透明な少女は気まずそうに頭を振った。振り乱れた髪の毛からただようにおいはシャンプーのようないい香りではなかったけど、丁寧に箱の中で飼育されている動物のにおいではなくて、自由に放牧されている動物のような草原の香りがした。それは私がもっとも欲しているにおいだった。私の身体からは、母親のにおいしかしないのだから。


「苦しんでいるのは、私だけじゃ……なかったんだね」

「うん、そうだよ。私はあなたがうらやましいな」

 私が頷くと、その女の子は光の粒になって消えていった。

 その代わりに、私の影が半透明に実体化していくのだった。

「私は、あなたが、にくい」 

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