1話
「僕は、桜木さんが好きだって言ってくれるなら、たとえそれが僕にだけじゃなくてもいいって本気で思ってたんだけどーー」
授業が終わった放課後。僕たち以外誰もいない、静かな図書室内でいつものように僕は対面に座って何かを書いているとある女子生徒に相談に乗ってもらっていた。
僕はその女子生徒に向かって眉を下げた情けない表情のまま話を続けた。
僕が恋をする相手、桜木桃香はとても可愛い。
ふわふわとした少し茶色っぽい髪に、ぱっちり目。美少女と呼ぶに相応しい見た目で、明るく可愛い声とくるくる変わる表情、女の子らしい仕草に、目を離せなくなるほど危なっかしいどこか抜けた性格。
守ってあげたくなるようなそんな庇護欲が掻き立てられる子だった。
そんな子だったから彼女のことを気にする男子が多くて、中でも僕含めた四人が守るように常に彼女の側にいるようになった。四人のうち誰も彼女と付き合っていたわけではなかったけど、いつの間にかそうなっていた。
彼女がよく他の女子から嫌がらせを受けたり、避けられてひとりぼっちになっていたからだ。
桜木さんは僕たちに「好きだよ」って言ってくれた。それが僕は嬉しかったんだけど、ふと気付いたんだ。
「よく考えたら、これって四股されてるってことじゃない?って」
「今更ですか、先輩」
悲しげな表情を浮かべる僕にその女子生徒、九条涼花は作業の手を止めてただ呆れたような視線を僕に向けた。
九条涼花は、僕の一つ年下の後輩だ。
真面目な優等生って感じの、さらさらストレートの黒髪女子。
そんな涼花ちゃんとの出会いは恋愛小説を読んで振り向いてもらうすべを学ぼうと、図書室に行ったことがきっかけだ。そこで参考になりそうな本がわからず、受付で尋ねた僕に彼女は冷めた目で言ったのだ。
「は?恋愛小説を参考に好きな人を振り向かせる?あれは本の中だからいいのであって、実際にやったら引かれますよ」
確かにそうかと納得した僕は再び尋ねた。
「じゃあどうしたらいいと思う?」
何かの作業の途中だったにも関わらず、彼女は手を止めてしばらく考えていた。
そして思いついたのか、真っ直ぐ僕を見つめて教えてくれた。
「細かい気配りをする、ですかね」
「気配り?」
「はい。両手がふさがっていた時にさり気なくドアを開けてくれたりとか……あと、ちょっとした変化に気づいて褒めるとかですかね。前髪を切った時とか、新しい服を着たときとか似合ってると言われると嬉しいですし、そういう風にされると気になったりするのではないでしょうか」
なるほど。彼女の意見はとても参考になりそうだ。僕はにっこり笑顔を浮かべた。
「参考になったよ、ありがとう!ねぇ、これからも君に話を聞きに来てもいい?」
「え、はあ、いいですけど」
戸惑いながらも彼女は頷いた。
こうした出会いがあってから、僕は度々……というかほぼ毎日放課後になると図書室に行くようになった。涼花ちゃんはまた来たのかと言いたげな顔をしながらも僕の話を聞いて助言してくれる。
今日もそうだ。
「周囲の誰もが思ってましたよ。そもそもなぜ桜木先輩が女子の皆さんからよく思われてないと思ってるんですか?」
僕の話を聞いた涼花ちゃんは、淡々とそう言った。
桜木さんがよく思われていない理由?
なんだろうか。
いつも笑顔で優しい彼女が嫌われる理由なんて何も思いつかない。
腕を組んで、考え込んでいると涼花ちゃんにため息をつかれてしまった。
「原因の一つは先輩たちですよ」
「え、僕たち?」
ますますわからない。
「お金持ちで文武両道の天沢先輩と、一匹狼なとこが魅力的な御子柴先輩に、可愛い癒し系の結城誠くん。そして先輩を含めたそんな四人が、あからさまに桜木先輩を庇ったりするから悪いんですよ」
「ええ?」
「桜木先輩はすごく可愛いので、それが気にくわないって子多いんです。なのに、彼女が女子人気が高い男子たちをどんどん落としては側に置くから、毛嫌いされたんですよ」
「えー、そんな理由?」
桜木さんの側にいたのは僕たちが勝手にしていたことだ。それがまさかこんなことになるなんて。いや、よく考えてみればそうかもしれない。女子同士の間に男子が中途半端に入るのはますます事態を悪化させることになるんだってどこかで聞いたことがある。
僕は桜木さんに罪悪感を感じた。
「まあ、他にもあるんですけど先輩に言ったってどうせわからないでしょうし、いいです。それで、四股にやっと気づいた先輩はこれからどうするんですか?」
「言い方に棘があるなあ……今日はそれを相談しに来たんだ。僕としては、桜木さんの側から離れようと思ってるんだけどどうかな?」
「はあ、いいんじゃないでしょうか」
「本当にそう思ってる?」
「はい。というより、先輩はいいんですか?」
「何が?」
「好きなんですよね、桜木先輩のこと」
じっと見つめられ、僕は不思議に思った。どういう意味だろう。涼花ちゃんは僕が桜木さんを好きなことをもう知っているはずなのに。よくわからないがとりあえず頷いて答える。
「うん、好きだよ」
「離れても辛くないんですか?先輩以外の人と仲のいいところを遠くから見ることになるんですよ?」
「距離が違うだけでいつものことだし、別に平気だよ?」
「……ならいいんですけど」
腑に落ちないような顔をして涼花ちゃんは、手に持っていたペンを置いた。そして代わりにいくつか本を抱える。
僕も立ち上がって、本に手を伸ばす。
「それ全部返却するやつ?僕も手伝うよ」
「ありがとうございます。では、そっちのを任せますね」
「うん、了解」
僕は言われた本を何冊か抱えて、涼花ちゃんと一緒に本棚に戻しに向かった。
§
桜木さんとは少し距離を置くようになって僕の日常はほんの少し変わった気がする。
桜木さんは僕がいなくてもいつもと変わらず、周りにいる他の男子たちと話していて楽しそうだ。それに何か思わないわけではないけど、まあ、僕が原因で悲しまれたりするよりはよかったかな。桜木さんには笑顔が似合うし。
僕はあまり話していなかったクラスメイトたちとよく話すようになった。そのおかげでクラスに溶け込みはじめているのを感じる。
離れて正解だったかもしれない。
涼花ちゃんに話す話題も、最近では桜木さんに関する話ではなく、新しくできた友人たちの面白い話や起こった出来事の話をするようになった。「こういうことがあったんだ」って話すと涼花ちゃんが共感して、一緒になって笑ってくれるのがとても嬉しいし楽しい。
今日は、友人の家で起きたというとある愉快な事件の話をしようと思う。話を聞いた時、僕は笑いすぎて頬が痛くなった。きっと涼花ちゃんも僕と同じように笑いすぎて「ほっぺが筋肉痛になったらどうしてくれるんですか」と文句を言うかもしれない。
涼花ちゃんの反応を想像するだけでも楽しい。
そんなことを考えていたら僕の名前が呼ばれた。
「瀬戸くん!」
僕は声のする方へ振り返った。
横に編み込んだ可愛い髪型で、ふんわり笑顔を浮かべた桜木さんがぱたぱたと駆け寄ってくる。
最近少し距離を置くようにしたから、同じクラスなのになんだか久しぶりな感じがした。
「今日、みんなで遊びに行くんだけど瀬戸くんもどうかな?」
上目遣いで首を傾げながら聞いてくる桜木さんの後ろからは、隣のクラスの天沢和臣が僕を不機嫌そうに眺めていた。
なんでピリピリしてるんだろう。
僕は天沢和臣が少し苦手だ。
「いや、放課後は用事があるからごめんね」
放課後は、涼花ちゃんに相談しにいく用事がある。
すると、桜木さんがしょんぼりと悲しげな表情を浮かべ、それに気づいた天沢和臣がギロリと僕を睨んでくる。
「宗介、お前いつも放課後何してるんだ?」
「んー、まあちょっとね」
「その用事って時間がかかるの?途中から来れるのなら来て欲しいなぁって思うの」
「うーん、難しいかな」
桜木さんの言葉に困ったような笑みを向けると、何を思ったのか突然天沢和臣が桜木さんを後ろから抱きしめた。
驚いて目を丸くする僕が視界に入っていない様子で、ぎゅっと桜木さんを包み込んでいる。
「来れないってやつを無理に誘わなくてもいい。桃香には俺がいるだろ」
ぶっきらぼうにそう言って、僕の方を冷ややかに見る天沢和臣。目がお前は邪魔だと言っていた。怖い。
桜木さんはその天沢和臣の様子に気づいていないようで、残念そうな顔をしていた。
「うん……そうだね。ごめんね瀬戸くん、無理に誘っちゃって!じゃあ、また明日ね」
「うん、また明日」
去っていく二人をひらひらと手を振りながら見送る。姿が見えなくなるとスッと手を下ろしてぐったりした。
はあー、なんだかすごく疲れた。
桜木さんから離れる前の僕がどうやって接していたのか忘れた。ついこの前のことなのにな。
息をついていると、僕たちが話していたのを少し離れた距離から見ていた菅谷がこっちにやってきた。
「前から思ってたけど、瀬戸って放課後何してんの?学校内にいるよな、いつも」
菅谷は、最近よく話すようになった友人だ。誰とでも仲良くなる明るい性格で、話していてとても気楽な相手。
「図書室にいるよ。いつもそこで涼花ちゃん……後輩の手伝いをしているんだ」
後輩に話を聞いてもらってるなんてなんとなく恥ずかしくてそう誤魔化す。
菅谷はそれを聞くと、目を丸くしてそのあと感心したような顔をして頷いた。
「へぇ、図書委員でもないのに?……さすが」
「ん?」
「いやいや、なんでもない。それじゃあ俺、部活行かないといけねーから、またな!」
「うん、頑張って!」
爽やかに教室を出る菅谷に手を振り、僕もゆっくりと図書室へ向かった。
「お!今回はお菓子特集かー」
図書室についてすぐに並べられた本たちが目に入った。お菓子特集と書かれた手作りのポップは涼花ちゃんが一生懸命にかいたものだ。可愛らしいイラストが描かれていていい感じだ。
受付にいる涼花ちゃんを見ると、今日はただ座って本を読んでいた。
「あれ?今日は暇そうだね」
「返却本が少なかったんです。本棚の整理も終わってしまいましたし、あとポップも描き終えてしまったので正直、暇です」
「そんな日もあるよね」
僕はパイプ椅子を移動させて座る。
「お菓子特集見たよ。どれも美味しそうだよね。涼花ちゃんはお菓子作りとかする?」
「いえ、私は食べるの専門ですので。それに自分で作るより買った方が美味しいですしね」
「たしかにね」
「先輩は、お菓子作りとかできます?うちでは兄がそういうの上手なんです」
「いや〜、僕はお菓子作りしたことないよ。それより涼花ちゃん、お兄さんいるの?」
「はい。先輩と同じで私の一つ年上の兄です。先輩はお姉さんがいますよね。羨ましいです。あんなに綺麗で優しそうな……」
「ちょ、姉さんのこと美化しすぎだよ。実際はそんなんじゃないからね?この前だってさーー」
そんな風に話していると、時間はあっという間に過ぎて行った。話そうと思っていた友人家での愉快な話では、涼花ちゃんが想像通りの反応をして「笑い過ぎて腹筋が痛いです」とお腹を抑えていた。
「あっ、もう確認終わった?」
「はい」
外はもう日が暮れかけていて、夕焼け空が窓から見えた。図書室の窓の施錠と換気扇と電気等をしっかり確認した涼花ちゃんが図書室を出て、ドアに鍵をかける。
「荷物ありがとうございます」
図書室前で待っていた僕は涼花ちゃんの荷物を手渡した。あとは先生に鍵を渡したら終わりだ。涼花ちゃんの後をついていく。
教員室の前で待っていると、出てきた涼花ちゃんは両手に紙パックのジュースを持っていた。
「先生がくれました。先輩どっちにします?」
差し出されて見ると、フルーツオレとカフェオレ。
「いや、もらったの涼花ちゃんだから好きな方もらって」
「じゃあ、すみません。フルーツオレもらいますね」
はい、とカフェオレを渡されて僕は心の中でほっとする。情けなくて言えなかったが、僕はフルーツオレが苦手だ。
涼花ちゃんが僕を見つめてなぜか悪戯っ子みたいに笑う。
「先輩、もしかしてフルーツオレ苦手ですか?」
「……なんでわかったの?」
「顔にフルーツオレ選んでくれてよかったって書いてありましたよ?」
「うわー、そんなわかりやすかった?フルーツと牛乳別々ならいけるんだけど、合体したらちょっと美味しさがわからないんだよね」
「私は好きですけどね、この味」
そう言いながら、ストローをさして飲む涼花ちゃん。僕はむっとしながらカフェオレにストローをさした。二人で飲みながら昇降口へ向かって歩く。
「いつか克服して涼花ちゃんの前で平然と飲んで見せるから期待してて」
「別に無理しなくていいですよ」
「いや、僕がフルーツオレを好きになりたいだけだから」
「何でですか?」
「だって、涼花ちゃんの好きなものを僕も好きになりたいじゃん」
そういうと、涼花ちゃんの足が止まった。
「ん?あれ、どうしたの?」
涼花ちゃんが恨みがましそうに僕を半目で見る。
「先輩が特になんの意味もなく言ってるのはちゃーんとわかってますからね」
「え?何、どういうこと?」
突然のその言葉に戸惑うと、涼花ちゃんは「何でもないです」というと早足で歩き出した。
僕、なんか変なこと言っただろうか?
わからず、頭の中に大量の疑問符を浮かべながら涼花ちゃんの後ろ姿を追いかけた。
§
天気は快晴で、お出かけ日和な日曜日。僕はいきなり姉さんに連れ出された。
彼氏と喧嘩して憂さ晴らしに買い物をしたいらしい。楽しげに買い物をする姉さんの、重そうな方の荷物を持つと、姉さんは「ありがとう」と言って全部の荷物を僕に渡してきた。
え、これ全部僕が持つの?
荷物要員として連れてこられたんだから仕方ないか、と僕は早々に諦めてぐったりしながら付いて回る。
そしてようやく買い物を終えて満足気な姉さんが、ある雑貨屋を見て声を上げた。
「見てみて宗介!あそこにすごいイケメンがいる!」
「えー?どこに…………え?」
姉さんの見る視界の先には、見慣れたさらさらストレートの黒髪女子がいた。涼花ちゃんだ。その側には整った顔立ちの黒髪の男がいる。なんか騎士っぽい高潔な感じのクール系イケメンで、男の僕から見てもかっこいいと思った。
何を話しているのかまではわからなかったけど、その男が涼花ちゃんの髪にヘアピンらしきものを当てて楽しげに笑っている。
「隣の子、彼女かな。一緒に真剣に考えてくれる彼氏羨ましいな〜!」
そんな姉さんの声が耳に入り、僕は動揺していた。
彼氏?あの男が涼花ちゃんの彼氏?
ただでさえ重かった荷物が倍の重さになったように感じる。
涼花ちゃん、彼氏いたんだ……
なんだかとても胸がもやもやとする。涼花ちゃんに彼氏がいようといなかろうと僕には関係ないはずなのに、どうしてかとても辛い。
二人の姿を見たくなくて、すぐに視線を逸らした。
「どうしたの宗介。そんな泣きそうな顔して」
僕の顔を見た姉さんがギョッとした表情を浮かべる。なんで泣きそうになってるんだろう。僕にもわからない。苦しくて辛い。息苦しいこの気持ちははじめてだった。
この辛さを紛らわそうとふるふると首を振って姉さんに言う。
「なんでもない。もう早く帰ろう。ちょっと僕、体調悪いや」




